信州の鉄道

長野県は何地方?と聞かれると一瞬考えてしまう。もちろん答えは中部地方ですが、関東と東海そして北陸の狭間にあり、様々な影響を受けながら、歴史的にも文化的にも独自性を保ってきた地域です。鉄道趣味的にも周辺地域からの影響を大きく受け、また山に囲まれた山国という地形的な部分も重なり、非常に興味を引く運転形態や車輌が数多く見られます。JRは東日本と東海に加え西日本の区間まで存在し、振り子電車といえばかつては中央西線の381系の独壇場でした。また信越線には最勾配を誇ったご存知碓氷峠があり、篠ノ井線には未だにスイチバックが存在します。運行されている車輌も各地からのものが入り乱れ興味は尽きません。東京からの距離もそんなに遠くないので、スキーなどのレジャーも含め長野県にはかつてから何度か足を運んだことがあり、また2000年から2002年までの3年間は仕事の都合で長野市に住まいを構え、生まれ育った横浜についでなじみのある地域になっています。そんなわけで第二のふるさとの鉄道に敬意を表し?信州の鉄道をご覧頂きます。

昭和53年の松本駅

私が初めて長野県に足を踏み入れたのは高校1年生の時でした。家族で立山黒部アルペンルートを旅行しようということになり、自分の好みで行程を組んでの旅行でした。上野から10系客車急行能登の寝台で富山へ、そしてアルペンルートを横断して大町に下山。大町からは大糸線で松本へ、松本からは臨時の急行アルプス165系で新宿という行路でした。この時松本での乗り換えの時間を利用して撮影したのが以下の写真です。当時はまだまだ国鉄の列車も混雑しており、乗車する列車はほとんどが満員でした。富山から立山への富山地鉄は大阪からの乗り入れ車475系で、大混雑の車内を立ったまま立山まで乗車した記憶があります。帰りのアルプスも普通車の指定が取ず、生まれてはじめてのグリーン車乗車でした。

振り子特急381系に興奮


 

昭和48年の中央西線・篠ノ井線電化に合わせて投入された振り子式電車381系です。国鉄初の振り子式電車としてして知られた車輌でした。横浜に住んでいた私には滅多に見ることが出来ない憧れの車で、振り子式という先進技術を投入した最新車輌に非常に興奮したことを記憶しています。
遠心力によって自然と車体を傾斜させて走行する構造で、乗り心地は御世辞でも良いとは言えず、投入後しばらくは乗り物酔いをする乗客が続出し、乗務員泣かせの車だったそうです。

1978年8月13日 松本駅

中央西線の80系電車


最近は新車が新造で地方路線にも投入されますが、当時のローカルといえば都会から転属されてきた旧型国電の天下でした。中央線も大糸線もこの例に漏れず、既に首都圏では珍しくなっていた80系や55系などが活躍していました。
写真は最後の活躍の機会となっていた中央西線塩尻口の80系です。2年後の1980年に115系1000番代の新造で淘汰されてしまいました。
80系の後方には急行のキハ58系が停車しています。真夏の暑い日でしたが、不具合があったのか乗務員が汗と油にまみれて必死で床下でエンジンを調整していたことが印象に残っています。

1978年8月13日 松本駅


ブルーの旧国55系




大糸線にはブルーの旧型国電が活躍していました。この車も80系廃車の翌年の1981年には廃車となりました。現在の長野色もブルーが基調となっており、長野はブルーが好みなのかも知れません。
同じホームの反対側には松電の日車標準型10系が停車していたおりました。松電は京王からの譲渡車3000系に大糸線はE127系に変っていますが、今でも同じホームで電車以外はほとんど変らず使用されています。

1978年8月13日 松本駅



松本電鉄日車標準型




日車標準型モハ10形です。同型車が6両在籍していたが、昭和33年から38年にかけて旧型車を床下機器を流用し車体を新造したもので、よく見ると1両1両ずいぶん違っていた。

後年、東急から5000系の譲渡を受け置き換えら、更に現在は京王の3000系が入っています。

1978年8月13日 松本


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