【助けて!桧洞丸の樹々の叫び】
趣旨  (写真展について)

このたび、皆様の援助により丹沢大山国定公園の丹沢山塊桧洞丸の惨状を訴える場を与えていただきました。お力添えの皆様に感謝いたします。

桧洞丸は、神奈川県の、北西に位置し、大倉尾根の便利さから比べ入山に暇がかかりました。然し、昭和40年に神奈川県により、ツツジ新道が開かれ、桧洞丸の登山が飛躍的に短縮されました。又ツツジ新道は、シロヤシオツツジとミツバツツジの大群落地でもあり、その素晴らしい景観は他に類を見ません。故に、一躍マスコミに取り上げられ、県内外から、登山者が押し寄せるようになり、登山道の荒れ方は荒廃の一途を辿り、それに伴ってツツジの根も浮き、やがて転倒し、枯れて行くものが、後を絶たぬ有様になりました。土砂の流出は。登山者が歩くばかりでなく、保護された鹿の繁殖により、笹の葉や下草が、驚くほど減って、山は風雨から用土を守る機能を失い、又、大気汚染は、酸性雨を降らせ、三つ巴で丹沢の山々を、襲いました。然し、桧洞丸は、まだまだ緑が多く、今手当てをすれば助かると思われる木が、沢山あります。それは、第1に露出した樹の根を守る事です。丹沢の山は、県民の水瓶として、大きな役割を担っています。此処に樹があり草があるということは、岩山であり、土砂流出するだけの草木のない山とは役割を担う価値が違います。大きく山の土を抱える大木。その足元を守る草、そして堆積した腐葉土、これらは水を蓄え、その水質を守る大きな役割を担っています。それは正に我々の命の水そのものを守る役割です。ただ、蛇口をひねれば何の後先も無く水が自然に出てきているわけではありません。私たちは、この水を守り、つまりは、この山の草木を守らなければなりません。皆が知恵を出しあい、心を傾けて、自分の時代に不自由無いようにすることは勿論、子や孫、延々と続く未来のために、語り合い、些細な提案でも尊いのだという事を自覚していただけましたならば、大変に、ありがたく思います。

尚、桧洞丸に建つ青ケ岳山荘は地元の高城が昭和36年に建設しました。平成23年には50年を迎えます。登山者を受けいれる宿泊施設として営業をしておりますが、主脈から外れているため、またツツジ新道で簡単に日帰りが出来るために、利用者が少なく、経営として成り立たず、週末の営業に限っていました。然し今は、この小屋はボランティアの拠点として、植生保護、清掃、調査、観察、安全登山の活動の場として200911月より新たな旗を掲げました。心ある方々の集まりをいただいておりますが、広く皆様のご協力をお願い致しますと共に、この場を借りて、活動の経緯をご報告いたし、お力添えの方々に深く感謝を申あげます。

主宰 青ケ岳山荘ボランティア部

高城律子