トップページを飾った写真

思い出は形に込められた想念です。その時、その映像を楽しいと思って記録すれば楽しく、
涙ながらに見た映像は悲しい図形です。
それぞれの映像は、見る人がそれぞれの自分の経験で得た想念を呼び覚ます、一コマのドラマかも。

写真・文・サイト管理者  高城 律子


日の出は色々毎日あるが、人の感動対象の色々。好き好き。

手のひらを太陽に、透かして見れば真っ赤に燃えてる赤き血潮・・・・という歌があった。
地下から地上に放たれるエネルギーが血管のように空に延びて、宇宙エネルギーと融合し、
血潮のように輝いている。




共にひと時の存在・・・。

2012年12月1日19時46分偶然に出た山小屋の入り口に、この景色が待っていた。この時の人数は3人か?
驚きの声を上げてそれぞれシャッターを押した。月明かりに浮かぶ、細々とした霧氷の光は、
天然のイルミネーションだった。二度と見る事が出来ないかもしれないこの時の山の景色。
廻る宇宙の光と陰が惰性の記憶にピンを打つ。




一瞬の絶景

2012年、雨の多い7月8月9月と続いて見た景色は、寒さの中の雲と光の織り成す不思議な景色。
この写真を人に見せると「なにこれ!」と合成写真でも見せられたかと言う不快感の表示。
ブロッケンよりも出会えない偶然。ほんの10秒の奇跡。



祝いのオーロラ

新しいサイトの作成に日夜追われていた時、疲れて外に出たときに待っていた雲。祝福のオーロラのように思えた。




これに勝る黄金の霧氷はいまだお目に掛かれず・・・。

忘れられない2011年12月9日の霧氷。この時どうして動画で撮らなかったかと、今も後悔している。
桧洞丸山頂から西の稜線、白ザレの頭方面を望む。



写真をクリックしてください。拡大画面が表示されます。

写真をクリックしてください拡大画面が表示されます。

(右の左も手前も奥も、つつじが一面に咲いていた。カメラを覗くといつも 霧中ののシロヤシオは、霞んでいて、
どうせ撮れないだろうと、いい加減にシャッターを押した。影像に成ってみると、一応記録としては役に立っている。)
桧洞丸の山頂付近の景色です。






同じ場所に立って同じ情景に出会うとは限らない。なぜだろう・・・・情けの景だからなのだろう。つまり、自然にも情けがある。

忘れがたい、様々な景色に出合った年。この星は水の惑星。






上下の雲に挟まってそびえる富士山。動画で撮った雄大な景色は長くトップページに飾った。




賑やかな日の出。

青ケ岳山荘を出ると見渡せる丹沢の主脈。こんな賑やかな日の出もある。






空前絶後というべき菊の大群落。桧洞丸の北陵熊笹の峰に向かう稜線で見る。
霧風に揺れるヤマシロキクは幻想的で、蘇る思い出がある。なぜ、忘れられないかと言うと
「みんなが見舞いに来てくれると、二階に寝ていては迷惑掛ける」と階下に休んで、友を待ち、
誰の見舞いも受けられず、其のまま逝った・・・・・逝かせてしまったふがいなさが消えないからだ。







珍しい雲。檜洞丸の山頂から。

迫りくる、大滝。

桧洞丸の山頂直下、熊笹の峰を超える大雲海を望む。




店長さんの傑作。

 ◎注(高見さん撮影)

茅ヶ崎の店長さんが撮影してメールで送ってくださいました。小屋番をするようになって初めて、
人様が撮影してくださった写真を挿入しました。ボランティア部からすると、何にも勝る貴重な写真なのです。
抜けてゆく老人の髪の毛のような、衰えてゆく山肌です。




凍りついた窓から日の出と対面。

寒かった正月休暇。何もかも凍って悲惨だった。そんな中でも掃除と大工を続けて、
終盤を迎えた日の出がガリガリと凍った窓ガラス越しだった。その氷を爪で欠いて太陽と会った。




砂金の山

秋の日に砂金を撒いたように輝く桧洞丸の斜面に建つ青ケ岳山荘。この小屋で様々な活動をした。
大きな活動の第一歩。忘れがたい影像。



ブナとシロヤシオツツジ。

2010年下山の日、丁度5日の土曜日あたりが最高だろうと読みつつ、もう少し山に居たかったが、
仕事に呼ばれて下山となる。とても残念だった。




久々、親方の傑作。

北麓の夕陽。疲れてくると外に出る。待っているのはいつも異次元。




ひそっと花が咲き、霧が染み渡る。
2010年西丹沢山開きの日は霧だった。
人工的に押しつぶされている木々に出遭って、助けてもらいたいと
この場所に立ち、伝えるべき人を待ちつつ、つつじを求めて行きかう人々を見ていた。
霧に煙る新緑が緩衝材となったのか、人が居ても美しい景色だと思えた。




マフラーを巻いた大室山。

今まで、こんなに山を見たことはなかったと思うほどいつも天気情報に
囚われる日々と成っていました。気候変動の激しい年でした。




相模湖で虫干か?。

奥相模湖に群なすアオサギと鵜です。鵜は延々と羽を広げて、まるで虫干を思わせます。




神の川公園橋の一瞬。

寒かった春先、山桜が信じられないほど増えて、神の川の山肌を錦に彩りました。




遅くまで雪が降った年、山桜と雪の山を何度も見た。

山だからこの桜が美しく映えるのでしょうか。




ヤシヤブシの新緑が雪に映え、桜の花びらが雪を受ける。

遅くまで寒波再来の、20010年4月の雪でした。ヤシャブシの新緑に雪が映えて、山桜も雪を被りました。
過酷な思い出を残した春でしたが、景色はそれを上回る見とれる美しさでした。




受ける月

星を受ける月。こういう時が必ずめぐってくるんですよね。





孫右衛門トンネル

この年は遅くまで雪が降り、4月までも降りました。
寒さもひどく、野菜が遅霜で何度も被害にあった年でした。
雪が溶けて、起きるのが落石。神の川林道は悲惨でした。




好い身分です!?

春の日に悠々自適?。






雲を表示しようか富士にしようか迷うほど、雲の綺麗な夕陽でした。
写真をクリックっするとパノラマが表示されます。




地に触れる水に触れる・・・この幸せ!

見るからに幸せそうです。



王者の風格

花もいいですが、この木の美しさ、風格、年輪、幹模様、しばし離れがたく・・・。




水の装い

このときのエビラ沢は素敵でした。裾模様と言う感じです。





色の悪い絵です。

コイワザクラ。色が無いのです。アクルリカラーです。




この瞬間を手に入れた。

5月29日にカメラの好きなご夫婦が泊まった。その日は土砂降り。出発の日も土砂降り・・・。
もう一晩泊まっていかれたらと、喉元まで出たが、こらえた。何もない山小屋、
もう1日我慢するのは辛いだろうと思った。そして次の日、光が氾濫した。
木の芽木の葉が水滴に光り、反射し、降り注ぐ太陽が、まるで昇り立つ
火炎のように放たれた。一人でその景色を360度眺めつつ、
帰って行った二人を、いつまでも思った。




原生林の中の小屋

光りの乱舞去れば、緑の色が深まり、弱っていく山とも思えぬ、精気に溢れかえっている。
然し、この景色ももう見ることができなくなった。古木で蔦と着生植物に身を貸していた、この
木は2011年の台風で倒れた。また一つ、山の景色が消えた。





宇宙を思わせる。

この太陽は植樹の次の日の太陽だった。惑星といえば特別な宇宙のようなにおいがするが、
ひとくくりでただ宇宙。




宇宙劇場の名優達。特等席に観客はひとり。

小屋の前のこの木が値打ちなのです。雲があるから値打ちなのです。
何よりも太陽があるから見られる景色なのです。今があるからです。




この山は水の司

水を蓄える司。




犬越路から桧洞丸の稜線。

天気を語る、情報の山。




目の前の景色。

北麓の名所。特別珍しくもない景色を絶景と思うとすれば、それはその人のその時の心と、感性に尽きる。
たとえば、語ると言う送信機、聞くと言う受信機・・・・。そのどちらもなければ、全て無。




神の川の暮間時。

神の川に立つ、静寂の夕暮間。誰もいない神の川の林道で、真冬の寒さは無いと言えども、
春まだ浅い肌寒さがあった。
夕暮れに湧いた霧の中に、かすんでゆく山桜・・・・特別に派手やかな景色ではない中で、立っていた。
山小屋の創立者であり、小屋番を続けた者が、病に倒れ、
小屋の変動と危機に向かって、辞めて逃れられない立場で立っていた。
帰ろうか・・・・車に向かって歩く時も、お互いに何も語らなかった。

山の夕暮れ、人の夕暮れ・・・他人にはつまらない写真でも、削除しがたい思い出がある。いずれ、
消えてゆく思い出だろうが、山と山小屋を介して立った歳月。