とある雨の日
○月×日 真崎翔太
ここ三日間くらい、ずっと雨が降り続いていた。
雨が嫌いな人は多いけど、俺は雨の日がわりと好きだった。
家の中にいると、窓の外をいろいろな音が行き交う。
雨水を走り散らす車の音とか、物にあたる雨の音。
それが耳になんとなく心地よくて、自然と目を閉じてしまうなんてことがよくあった。
今も、まさにそんな一時だった。
目を閉じた真っ暗な世界に、雨音だけが静かに鳴り響いている。
美大在学中の俺は、思わず絵筆をとりたい衝動に駆られる。
「真崎、」
真っ暗な俺だけの世界に、どことなく雨音に似た聞き心地の良い声が響いた。
「んー?」
目を開けると、そこにはほくほくと白い湯気をあげたカップを二つ手にしている山瀬がいた。
そうだ。
今は、あいつの部屋にいたんだった。
「悪い、寝てた?」
ベッドに寄りかかりながら床に座っていた俺の隣に腰を下ろす。
カップを渡される。
「雨の音、聞いてた。」
そういうと、山瀬の口元がゆっくりと笑んだ。
「お前の事だから、どうせ絵描きたいとか考えてたんだろ?」
アイツの言葉に、思わず俺まで笑いがこみ上げてきそうになる。
他人のことなんかどうでも良さそうな振りをして、山瀬は意外と他人をよく見ている。
そんな自分の矛盾点に、奴はまだ気付いていないらしかった。
「まあ、なんとなく・・。」
受け取ったカップに口を付ける。
山瀬好みのブラックコーヒーにも、ようやく慣れてきた。
「真崎は、芸術家になるべくして生まれてきたような奴だよな。」
「急になんだよ?」
コーヒー独特の苦みが口内に広がる。
アイツの口の中も、今はおんなじ味なのだろう。
ふと、そう思った自分を変態かと心の中で毒づく。
「それこそなんとなく、さ。単なる上京目当ての俺なんかより、全然この道に向いてる。」
山瀬はいつも自分を卑下するが、俺自身はそうは思わなかった。
目的がなんであれ、コイツには才能があったのだ。
山瀬の絵を見る度にそう言ってやるが、情けをかけるなと苦笑されるだけだった。
「先に情けじゃないと言っとく」
カップをテーブルに置いて、山瀬を見た。
うん?と言いつつも、奴の目は笑っている。
俺の言おうとすることを既に分かっているのだろう。
それでも、
「才能あるよ、山瀬は」
いつもの様に苦笑されるかと構えていれば、ふと鼻先にコーヒーの匂いが掠めた。
なんだと瞼をぱちくりさせる前に、唇を塞がれる。
「・・ありがとう、」
重なり合った相手のものが離れていく。
息ができなかった。
もう、自分の口は自由だ。
それでも、息が苦しかった。
どうして、キスをされたのかわからない。
「うん、」
それでも、聞き返すのはなんとなくしのばれて、頷いた。
無意識に窓の外に視線を流すと、いつの間にか雨はやんでいた。
隣に座った山瀬が、立ち上がる。
「雨やんだな。どっか行くか」
「どーせ、俺が車出すんだろ?」
「無免ですから?」
残りのコーヒーを飲み干して、俺も立ち上がる。
―――口の中には、俺と山瀬のコーヒーの味がしていた。
END