頭をなでる。
‥‥‥どーしよ。
電車での通学中、痴漢にあった。
こんなの初めてだったし‥‥なにせ、オレは男だ。
そいつの手を引き上げて「この人痴漢です!」なんて言えるはずも無い。
だからオレは相手が目的の駅で降りるまで、ずっとその行為を許すざるを得なかった。
最初は、満員だから不意に手が当たってきたのだと思った。
‥‥‥でも、違かったんだ。
ずっとずっと、オレの目の前に立っていた人は、オレの下半身を触っていた。
気持ち悪くて、ただうつむいていることしかできなかった。
その時に目に入ったのが、磨き抜かれた黒い革靴。
この人には、革靴を磨いてくれるような人がいる。
それなのにこんなことをして、その人に申し訳ないとは思わないのだろうか。
‥‥‥きもちわるい。
センパイ、たすけて。
やだ‥こわい、
「お降りの際は、足元にお気をつけください」
プシュー。
電車のドアが開いた。
押し合うように、人が出ていく。
オレは少し顔をしかめながら、人の波に押し出されないように、必死に手を伸ばして吊り革につかまった。
やがて、車内が落ち着いてくる。
電車の中も、人がだいぶいなくなった。
さっきの痴漢も、波に紛れて、降りたようだ。
‥‥よかった。
少し移動して、反対側のドアから外の景色を眺める。
また、電車が動き出した。
外に並ぶビルが、進行方向とは逆にとんでいく。
‥‥センパイがのってくる駅まで、あといくつだろう。
ふいにセンパイの顔を思い浮かべたら寂しくなってしまって、オレは頭の中で指を折った。
‥‥‥あと、よっつ。
あとよっつ分待てば、センパイに会える。
そのときオレは、いつもどおりに笑うことができるだろうか。
‥‥心配になる。
朝から、センパイを困らせたくない。
でも、どうしようもなく、センパイに寄り掛かりたかった。
‥‥安心したかった。
ぼうっと外を眺めながら、何回ドアが開いたか数えていた。
二回目までの記憶はある。
そのあとは、センパイのことで頭がいっぱいだった。
四回目を数えたとき、いつもと同じように笑顔でオレに駆け寄ってきて。
重そうなエナメルバックを「おっこいしょ、」とか言いながら、肩から降ろして。
かならず、オレの頭を一撫でする。
‥プシュー。
‥あ、何回目だっけ。
「ハルキ、」
……四回目だ。
後ろから、優しい声と温もりが伝わってきた。
がやがや。
また、車内が混みあってくる。
「‥おはようございます、」
なるべく明るい声で、むしろいつもよりも笑顔でオレは挨拶をする。
‥‥バレて、ないよな。
「おはよーさん」
センパイこそ、いつもと変わらない挨拶だった。
‥‥なんか、今更無償に泣きたくなってくる。
手を伸ばそうか、迷った。
手を伸ばせば届く距離にいるからこそ、遠く感じる。
もっと、近くにいてほしい。
手を伸ばさなくったって届く距離でありたい。
そんなオレは、わがままですか。
「・・・・せんぱい、」
「んー?」
「‥‥‥さわって…ほしい、」
聞こえたかなと思うほどの小さな声で、オレは後ろにいるセンパイに呟いた。
まだ、外の景色を見ていたかった。
「‥ハルキ、」
‥後ろから、ぎゅうと抱きしめられた。
オレの声は、ちゃんと届いていたらしい。
「…なんかあったんか?」
オレの耳元で、囁く声がある。
腰にまわされた腕の力が、少し強まった気がした。
「‥‥なんで、」
「わいに隠し事できる思うなよ。そこまでお前ん事知らん訳やない」
「すいません・・・・、」
何故だか、謝ってしまった。
だって、センパイが珍しく怒ってるんだ。
オレを後ろから抱く腕にこめられている力が、痛い。
オレに向けられる言葉が、痛い。
周りの人の目とか、すごく気になってたけど、今はそんなことすっかり忘れていた。
「嫌な事があったんやろう?そないな時は、わいに相談しぃ。なんか、頼られてへんみたいで寂しいやろ」
ふっと、センパイの腕の力が抜ける。
オレは、無意識のうちに息を思いっきり吐いていた。
・・・・・・今は、話せない。
センパイには、話したくない。
「・・今は、話せないんです。・・・・オレ、勇気がでない・・」
また、怒られるかなと思った。
・・でも、センパイは怒声も浴びせなかったし、何も怒りをあらわすことはなかった。
そして、あることに気付く。
背中越しに、センパイの心臓の音が伝わってきていた。
それが、オレの心臓の音と重なる。
・・・・素直に、カラダが熱くなった。
「ハルキがそんでええんやったら、わいはかまへんよ。・・ちゃんと、待っとる」
そして、いつものように頭を一撫でされた。
ふと振り返って顔を覗けば、そこには笑顔がある。
・・センパイの、この優しさが好きだ。
すごく大切にされてる事が、痛いほどよくわかる。
さっきだって、オレのことを心配して怒ってくれた。
こんなに優しいひとに、オレは好意をもってもらってる。
・・・オレは、すごい幸せモノなんだ。
「・・・・ありがとうございます、」
プシュー。
反対側のドアが開いて、また人が押し寄せてくる。
人の勢いに、ドア側にいたオレたちはどんどん奥へと押しつけられていった。
「わ、」
・・・・・・・センパイと、近い。
センパイの背がこんなに高くなければ、きっと顔と顔とがあと数センチでくっついてしまうくらい・・近かった。
――――発車する。
「ずいぶん込み合ってきたなァ。いけるか?」
「・・・・大丈夫、」
・・じゃない。
オレの心臓が、大丈夫じゃない。
こんなに密着してたら、オレの心臓はじきにダメになる。
自分の心臓が、こんなにももろかったなんて、センパイに出会うまで知らなかった。
「・・・・わいは、キツイわ。」
「?」
たしかに、センパイのバックの中には教科書はぜんぜん入ってないけど、部活の道具でびっしりだ。
そのバックの場所を、満員電車の中で維持するのは辛いかもしれない。
「大丈夫ですか?」
なんやかんや言って、オレはドアに寄りかかっているような状態なので、センパイに申し訳ない気持ちなっていた。
ちょっとブルーになっていると、センパイはオレの両側に手をついて、苦笑しながら少し屈みこむ。
そして、オレの耳元で「ダメそうや」と囁いた。
「ハルキと、こないに近いンやで?変な気起きへんように必死やわ。」
・・・・・ホントに、オレたちは似たもの同士なんだなと思った。
こんな風に近づかれたら、オレだって・・・・・・ヤバイです。
「センパイ、」
「んー?」
「これ以上、近づかないでほしーんです・・ケド・・・・・」
そうオレが言った途端、センパイはまさに「ガーン」と効果音をつけたくなるような顔をする。
かんぺきに、意味を捉え間違えたようだ。
「あ、違う!そーゆー意味じゃなくて、」
「・・ほな、どないな意味や・・・・?」
耳元におくられた言葉と共に、ペロリと舌の感触が伝わってきた。
・・・センパイってば、分かってんじゃんか。
「ッ・・でも、今は電車ン中だから」
「そやけど、ハルキ…ヤバイんやろ?」
カラダがゾクリとした。
センパイの手が、オレのワイシャツの下にもぐってきて、そのまま乳首を触ったからだ。
「っセンパィ・・!」
オレが小さく叫ぶと、周りにいた人たちが一斉にオレたちのほうを振り返る。
・・・恥ずかしい。
「・・・ワイシャツをちゃんと入れへんハルキが悪いv」
あんまり関係ないと思ったオレだけど、この状況であまり大きな声を出す訳にもいかない。
・・・センパイは、・・・・・いぢわるなひとだ。
「ン・・、っ・・・」
零れ落ちそうになる声を、必死に両手で塞ぎこむ。
センパイを止めるよりも、こっちの方が簡単だった。
「我慢しとん?・・ホンマにかわいいやっちゃな、」
だって、こんなに満員電車なのに。
いくら端っこでドア側にいるからって。
こんなこと・・・・・。
「マジで、やめてください・・・・・っ」
「いまさらやで、ハルキクン。」
満員電車で、こんなことしてくるセンパイにも少し腹が立ったけど。
・・・なにより、そんな状況で感じてる自分に、一番腹が立った。
バレたらどうしよう、っていう不安と。
こんなトコでオレを欲してるセンパイの傲慢さが、ミスマッチだったけど・・・・興奮してた。
「・・・・・あとなァ、」
「・・・・ッ?」
相変わらず、オレの乳首の元で指を動かしているセンパイが、また囁きかけてくる。
「さっきのアレは、反則やで。」
アレ。
アレって、なんだ。
オレは、顔を顰めた。
「わからへんちう顔やな。・・アレや。『さわってほしい』ってやつ。」
ドアについていた左手が、オレの前で人差し指をたつ。
それとほぼ同時に、右手がオレのワイシャツの中から抜き出された。
「ぁ、アレは・・!」
「理由はなんにしろ、アレはわいをさそったうちに入るんや。」
なに、その突発な理由。
・・・・ダメだ。
完ぺきに、センパイってばスイッチ入っちゃってる。
「あとな。・・・ワイシャツのボタンは開けすぎやし、ズボンも下ろしすぎや。先輩方に目ェつけられてまうで。」
それは、ホントに関係ないと思う。
・・・でも、まァオレを心配しての助言である事はわかった。
「・・・・・もォ、目ェつけられてます。」
ぎゅっと、センパイのワイシャツを掴む。
センパイは驚いた顔をして、オレを見つめる。
「誰にや、」
「大道寺センパイ。」
そして、そのまま背伸びをして、キスをした。
「次はー、」
次は、オレたちの降りる駅。
そろそろ、降りる準備をしなくちゃいけない。
・・でも、
「センパイ。次、降りなくていーですよね。」
いたずらを含んだ声で、オレはいう。
「次、降りる駅やぞ。」
センパイも、ニカッと笑う。
プシュー。
「まったく、困った不良はんや。」
そして、いつもの如く頭をなでられる。
―――――ドアが、閉まった。
**END**