「おつかれっしたー」
部活終了後の部室内に、部員たちの声が行き交う。
わいも、着替え終えたユニフォームを適当にバッグに詰め込みながら、帰ろうとする仲間たちと軽く別れを交わしていた。
「兄者ー!俺んとこ、今おわったー」
部室に残る部員の数が少数派になった頃、遠慮の「え」の字も感じさせない勢いで、部室のドアが開いた。
訪問者、花螢稜はサッカー部のユニフォームのまま、若干息をきらせながら、兄の花螢劉を呼んだ。
「ん、今行くー」
それに反比例して、花螢は相変わらずのマイペース…というよりは、全く急ぐ気は無いといった感じで、隣に居たわいのまいすいーとらばー、紫苑春喜に声をかけていた。
「あ、ハル」
「なんですか?」
ハルキは、律儀にユニフォームをたたんでいる最中だ。
「水もらってい?」
それ、と指をさす先には、半分くらいの量の水が入った500ミリリットルのペットボトルがあった。
ハルキは、部活後にはこのメーカーの水しか口にしない。
以前に、なんでかと聞いたことがあったが、「ただ、なんとなく」と曖昧な返事が返ってきただけだった。
とくに、理由は無いらしい。
「いーですよ。はい、」
そして、ペットボトルを花螢に手渡す。
「さんきゅー、助かる。今日、飲み物忘れちゃってさ」
女みたいな表情で、花螢は笑っていた。
「兄者はやくー。俺、腹へって死にそー」
ドアの横では、稜が不機嫌そうな顔で花螢を急かす。
わいは、制服のポケットからミルキーを取り出す。
「腹ぺこぼーやは、これでも食っとけや」
不意に投げたミルキーを、稜がうまいことキャッチした。
その前を「失礼しまーす」と言って、一年が帰っていく。
「お前、その顔でミルキー持参はねーよ」
とかなんとか言って、クックと笑いながらミルキーを口へと放り込む稜。
つられて、わいも封をあけたミルキーを放り込んだ。
口内に、世に言うママの味とやらが広がる。
甘い。
「じゃ、貰うね」
「どーぞ」
花螢とハルキの一言ずつの小さな会話が、また耳に入る。
ふと目を向けてみると、花螢がペットボトルの蓋を開け、それに口を付けようとしている所だった。
それを見て、わいは根も葉もないことをふと思ってしまったのだ。
…間接ちゅーやんか。
「間接ちゅー…」
ぼそ、と誰も聞こえないくらいの声で呟いたつもりが、どうやら稜には聞こえていたらしい。
「…変態みたいよ、大道寺くん」
あー痛い痛い、と零す稜に対し、わいは奴に歩み寄って、がばっと勢い良く肩を抱く。
「いってえ!んだよっ」
「…恋に盲目な男は、みんな変態なんやで。稜くん」
「や。お前の場合、けっこー犯罪の域かと」
「はー?どこがやねん」
「俺は兄者のこと、ちょー好きだけど「メイド服着せてヤりたい」とか、「ヤってる最中にビデオ廻す」とか、ぜってーやんねーもん」
言ってる俺が変態みてえ。
稜は、あとからそう付け加えた。
「でもな。そら、愛情故に」
「それがエスカレートした人間を、変態といいまーす」
「そ、そやったんか…」
「え。マジで言ってる?」
…変態、変態。
よくハルキにも言われる。
ハルキは、わいが変態なのは厭なんやろか?
『せんぱぃ…、そんなことして…変態みたい』
『もー!なんでそんな変態なんですかっ』
…うーん。
ハルキの反応からは、いまいちわからんな。
やっぱり、こういうことは、悩むより本人に聞くのが懸命だと思う。
「ハル、ありがとー。さっきんとこ、置いとくよ」
「あ、はい。オッケーです」
とかなんとか考えているうちに、花螢は水を飲み終えたらしい。
「おまたせ、稜」
部活バッグを肩に背負い、花螢が稜の元までやってくる。
「んー。じゃ、大道寺くん。あんま、うちの子に嫉妬しないでネ」
柄にもなくウィンクしてくる稜に、思わず背筋が凍る。
「やめえ、きしょいわ」
「お前よか、キモくねーよ」
べ、と舌を出して挑発される。
はっきりいって、こっちのが稜らしい。
「はいはい。バカやってないで、行く行く。マック行くんでしょ」
至って兄らしい振る舞いで、花螢が稜の背中を押す。
「やっべ、そだった!ユニフォームのまんまでもい?」
「自分で言いだしたくせに、忘れてたわけ?」
「まぢちょーゴメン、な?」
花螢の機嫌を伺いながら、謝る稜。
花螢にはてんで頭あがらん、て感じやなあ。
「いーよ、べつに怒ってない。着替えるなら、待ってるけど?」
「めんどいし、いい。あ、でも、外さみーかな?」
「じゃ、ウィンブレだけでも着れば?」
「んー、そするー」
そして、稜はドア先でちゃっちゃと着替え終えた。
「じゃーな」
「おつかれ」
稜と花螢に、そう順々に別れを告げられる。
「おー」
軽く片手をあげ、それに答えた。
そして、二人の声がだんだんと遠ざかり、部室にはわいとハルキだけが残った。
「オレたちも、行きますか」
二人きりやなあ、と和んでいたら、ハルキにそう声をかけられて、ふっと我にかえる。
「あ、あんな、ハルキ」
「え?」
部室に、一時沈黙が走る。
頑張れ、わい!
勇気を出すんや。
「ハルキ、わいんこと変態やって言うやんか?」
「…はい?」
「そんで、それに対して、ハルキはどない思ってんやろて考えてて」
わいの言葉に、最初のうちはハテナを浮かべていたハルキも、その意味をとらえたらしく、不意に笑いだした。
…んで、笑うかなあ。
「おーい、ハルキくん。今、笑うとこちゃうでー」
「だって、」
「?」
腹痛い、と腹を抱えて笑うハルキに、今度はわいがハテナや。
とりあえず、ハルキの返答を待つ。
そして、思わぬ返答が、わいの脳天に直撃した。
「なんかセンパイ可愛いんだもん」
だもん、とか言っちゃうハルキのがよっぽどかわええと思う…けど、わいのどこが可愛いって言うんやろ。
「心配しないでください。オレは、センパイの全部がすきですから」
まだ、ほんのり笑みを残した表情のまま、ハルキは言った。
わいの…全部?
「変態でも?」
「そりゃ、ちょっといきスギっつーとこもありますけど」
と多少の釘を刺されたものを、わいは既に幸せいっぱい夢いっぱいの状態だった。
変態って、実はこの世で一番扱いやすい生きもんなのかもしれん。
…自分で言うのも、なんやけど。
「ハルキ!」
「せ、せんぱいっ?」
感極まって、思わず抱きついてしまった。
汗と香水の匂いが交じって、わいの鼻をくすぐる。
部活後の、このハルキの匂いが好きだった。
…ま、そんなこと言ったら、どうせまた例の言葉が世間に飛びかうんやろけど。
「ハルキ、わいもハルキの全部が好きや。愛してる」
「な、なんですかきゅーに」
わいの直球ストレートに、早くもハルキは戸惑っていた。
でも、それは失敗なんかじゃあらへん。
ハルキのほんのり赤い頬が、そう教えてくれた。
「何回でも言うで?愛してる愛してる愛してる愛して…」
「わかりました!…てか、わかってます。オレだって、そんくらい理解してるつもりです」
抱き寄せられたままのハルキは、少し距離を置いて、わいに目線をかよわせた。
「オレも…愛してんですから」
わいの首の辺りに腕を絡ませて、唇を重ね合わせてきた。
それは、徐々に立体的に形づくられていく。
しだいに、交ざり合った唾液はミルキーの味だと思った。
「やば…」
やがて離れた唇を余所に、ハルキはぼそりと呟くように何かをこぼした。
「恥ずい」
そして、俯く。
・・・照れてる・・んか?
「なんや、どした?」
直ぐ様問えば、無言の回答がかえってくる。
理解したわいは、そっとハルキの下半身に手を伸ばした。
「…興奮したん?」
耳元で、囁く。
びくっと、ハルキのカラダが反応した。
「やめてください…マジちょー恥ずい。オレ、バカみたい」
相変わらず、下を向いたまま、ハルキは一人で自己嫌悪に陥っているようだった。
そんなとこも、マジちょーかわええんやけどなあ。
「安心せえ。わいもバカや」
ハルキの太股辺りに、自らを押しつけてみる。
それを悟ったハルキの心臓は、わいにも聞こえるくらいに激しく高鳴っていた。
「…オレも、変態かも」
ようやく顔を上げたハルキが微笑した。
きゅんや、きゅん。
少女漫画のごとく、きゅんきたで。
「ほな、…変態同士仲良くいこうや」
ハルキの耳元で、そう二言目を囁いたわいは、自然とハルキのカラダを靜かに床に押し倒していた――。
【END】