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186-173=お前との距離。



俺の身長  186センチ。
お前の身長 173センチ。
その差、13センチ。
遠いようで、近くて・・でも、俺にとっては遠い距離。
この距離を縮めることは、たぶん俺にはできない。

でも、思い続けてもいいか?
諦める、とは言い切れねえけど、諦めきれねえとははっきり言える。
こんな俺を、お前は矛盾してるなんていうんだろうな。



「やーまーとーくーん、あーそびーましょー」

玄関のチャイムの音と、あいつ・・唐沢竜也の馬鹿っぽい声が聞こえる。
俺はテレビを消して、玄関へと向かった。

ガチャ、
ドアを開ける。

「やあやあ、オヒサシ」

もともと白い唐沢の肌は、この夏休みの間で、少しやけた気がする。
いろいろバイトをやってるって言ってたからな。工事現場とかも、やってたのかもしれない。

「どーも。てか、急にどーしたわけ?」

おじゃましまーす、と言って、唐沢は上がりこんだ。
靴は、きちんと端っこに揃えてある。
ああ見えても、けっこう唐沢はしっかりしてるなと、ところどころで思うときがある。
スリッパを唐沢にだして、玄関の鍵を閉めた。

「今日のバイト、お前ン家の近くだったから、涼みにきた。外、超あちーよ」
「俺ン家は、喫茶店か」

溜息をついて、廊下を歩く。

「それにしても、相変わらず、でっけーマンションだよなー。入るとき、いちいち受付の人に用件言わなきゃなんねーし」

めんどくせーの、と唐沢は苦笑いした。

「セキュリティなんとかだろ。俺だって、めんどくせーよ。部活で疲れて帰ってきたときでも、いちいち受け付け通んなきゃ部屋帰れねーし」
「セレブってかんじー」

入れよ、俺はリビングに唐沢を通した。
リビングに入った途端、「すずしー」と気の抜けた声を出す唐沢。

「なにがセレブだか。おふくろの、見栄だよ」

親父と離婚した後も、おふくろはこのマンションに住み続けるといった。
俺も妹も、小さなアパートに引っ越してもいいんじゃないかと提案したが、無駄だった。
離婚の原因は、オレたち兄妹にもよくわからない。
でも、おふくろのこういう「見栄」とか、仕事に関する異常なまでの「執着」とかが原因なんじゃないかと、俺は思う。
俺は、親父について行ってもよかったけど、高校の通学の関係もあるし、おふくろについていくことを余儀なくされた。

「見栄ねえ・・。でも、見栄でこんなマンションに住めちゃうのは、やっぱすげーよ。うちの母ちゃんなんか、バーゲンでブランドもんのスーツ買ってたけど、入んなかったんだってさ。貧乏人は、見栄はっちゃいけねえってね」
「それは、ちょっとちげーだろ」

微笑しながらソファに座ると、唐沢もその隣に腰掛けた。

「そーかな。・・あ。そーいや、俺な。土産持ってきたン」

黒のエナメルバッグのファスナーを開け、その中をあさりだす唐沢。
そんな唐沢を見ている俺。

・・あー。なんでこのソファ、もうちょっと狭くねえんかな。
そしたら、このもどかしい距離が縮まるのに。
そんなことを内心思っていたら、唐沢が「あった!」と声をあげた。

「そこのコンビニで買ってきた。ちょうど今日、給料日だったし。お前、甘いもん好きだろ?」

コンビニの袋を、俺に押し付けてくる。
礼を言いながら中を覗くと、ティラミスっぽいものが3個も入っていた。

「なんで3個・・?」

袋の中から、その3つを取り出して、俺は首を傾げる。

「お前と、さちと、おふくろさんの分。あ、俺は甘いもん好きじゃねえから、いらねー」

さちというのは、俺の妹の名前だ。
何回か唐沢と顔をあわせていて、けっこう親しいらしい。

・・それにしても、俺の家族全員に、たとえコンビニのデザートとはいえ、買ってくる唐沢。
ホントにこいつは、気のいい奴なんだなと思った。

「・・金、大丈夫?」
「ばーか。今日、給料日っつったんじゃん。だから、ちょっとフンパツ」

バッグのファスナーを閉める音がする。

「なんか、気つかわせて悪いな」
「いーってことよ。だから、ちょっと涼ましてな」
「はいはい。なんなら、飲み物でもお出ししましょうか、ぼっちゃん」
「お、いーねえ。頼むわ、じい」

笑いながら、キッチンへと入る俺。
冷蔵庫を開けて、コーラを取り出す。
これ、たしか昨日あけた奴だよな。炭酸抜けてっかな。


「なー、唐沢。昨日あけたコーラって、もうヤバイかな」

キッチンから、リビングにそう声を投げる。

「なんでもいーから、俺に潤いをくれー」

死にそうな声で、返事が戻ってきた。
・・馬鹿だな。
3個のデザートを買った金で、自分のぶんの飲み物を買えばよかったのに。
・・ホント、馬鹿でいいやつ。

キッチンにあったおぼんに、適当なグラスを2つ置いて、その中に氷を入れる。
コーラのペットボトルものせて、俺はリビングへと戻った。


「サンキュー。これで、生きられる」
「おおげさだろ、」

ミニテーブルの上に、グラスを置いて、コーラを注ぐ。

「・・なんか、シュワシュワ感がたんなくねえ?」
「いーって、いーって。・・はいはい、どーも」

グラスいっぱいにコーラを注ぎ終えると、「お先」と言って、唐沢はコーラを一気飲みした。
よほど、ノドが乾いていたらしい。

「どう、まだコーラだった?」

自分のグラスにコーラを注ぎながら、そう問う。
全て飲み終えた唐沢が、グラスから濡れた唇を離した。

「あっま!超甘ッ」
「だから、ヤバイかって聞いたじゃん」
「ンなのわかるか!俺、コーラ博士でもなんでもねーからッ」
「なんだそら」

あっけらかんとして、俺が対応すると、唐沢の腕が俺のTシャツの首もとに伸びた。


「口なおし、」

そのまま、グイッと引き寄せられた。
濡れたままの唇が、俺の唇に押し付けられる。
すぐに舌が入ってきて、俺の舌を絡めとった。
・・コーラの甘い味がした。

・・・・なにが、「口なおし」だ。
お前にとっては口なおしでも、俺にとってこれは、立派なディープキスだよ。

頭がいたい。
だから、諦めきれない。
・・そのたび、俺は唐沢竜也という男を好きになる。

されるがまま、「口なおし」され、ようやく唐沢の唇が去った。

「・・たしかに、甘いな。水、持ってくる」

ソファを立つ。

「サンキュ」

奴に背を向けて、またキッチンへと向かう。
今、唐沢に顔を見られたくなかった。
だって、顔が熱い。
たぶん、すげえ赤いと思う。
そんな動揺した顔、あいつだけには見られたくなかった。

「やまと、」

俺に、呼びかける声。
振り返れない、俺。


「ありがとー」

一方的すぎる。
一方的に、「キス」をして、一方的に礼を言ってくる。
それは、一体なんに対する礼だよ。
コーラか、水か、・・・キスか?

蛇口のレバーを下げて、水を出す。
新しいコップに、水を入れる。
もっと早く、水を出せばよかったんだ。
そうすれば、あいつの言葉だって、聞かなくてすんだ。
・・悩まなくて、すんだのに。

顔の熱が引いて、俺は水の入ったコップを持って、リビングへと戻った。
唐沢に、渡す。

「あー、うめえ。やっぱ、最後は水だね。ごっそーさん」

水も一気に飲んで、空のコップを俺に返してきた。

「・・ところでさ。さっきから、ずっと気になってたんだけど」

そういって、向こうの食卓テーブルを指差した。
その上には、さっき俺が買ってきたコンビニ弁当が置いてある。

「何だよ、」
「お前、いっつもあんなの食ってんの?」

訝しげな表情で、俺の顔を覗き込んでくる。

「まさか。今日は、妹が帰りおせえから、買ってきただけ。いつもは、あいつが作ってる」

コップをミニテーブルの上に置いて、また俺はソファに戻る。


「まあ、なんておにいちゃん思いな妹さん」
「てか、俺料理できねえし、おふくろは帰りおせーから」

何気なくいうと、唐沢は驚いたような顔で俺に詰め寄ってきた。

・・アホ、近い。
近いよ、


「嘘!お前、料理できねーの!?」

意外、とでもいった雰囲気だ。
こいつ、俺をなんでもできるスーパーマンかなんかと、勘違いしてんじゃねーの・・?

「いつもさちが作るから、俺ができなくてもよかった状況で」
「それ、いーわけだろ。ったく、コンビニ弁当なんか食うなよな。そーゆーときは、家庭的な唐沢くんを呼びなさい」

よし、と立ち上がる唐沢。
そーいや、これこそ意外に唐沢は料理がうまいんだっけ。


「材料ある?」
「適当には、あると思うけど。・・なんで、」

キッチンに向かう唐沢の後をついていく。
わけがわからない。


「俺様が、とびっきりのディナーを作ったるよ」

Vサインを俺の顔の前に向けて、唐沢はいった。
・・馬鹿、いいやつ、おひとよし、世話好き。
全く、いいパパになれそうなもんだな。


「それは、どうも」
「ンだよー!もっと、ありがたがれっての。ちなみに、ディナーと言っても、この材料だとカレーがいいトコだな。・・食えるよな?」
「食えるけど」
「よし。では、助手の大和クン。私の包丁裁きを、よくみておきなさい」

それから唐沢は、手際よく、料理を作っていった。

「おい、大和。なに泣いてンの?そんなに、俺のエプロン姿が拝めて嬉しーか?」
「ちげーよ、馬鹿。玉ねぎ、超いてえ・・」
「そーゆーときは、ゴーグルでもつけときなサイ」

新婚みたい、なんて思いもしねえけど、これはこれでまた一つ、こいつを諦めきれない思い出が増えちまったなと思った。



「育ち盛りだからって、一人で全部食うなよ。ちゃんと、おふくろさん達にも」
「わーってるって。あんな量、一人で食いきれるわけねーだろ」

玄関で靴を履きながら、唐沢がいう。
カレーを作り終わって気付くと、もう7時をまわっていた。
ということで、唐沢はお帰りだ。

「んじゃあ、いろいろとサンキューな」
「うん、」

立ち上がりざまに、振り返る唐沢。
頷く俺。

こちらこそ、どうも。

ガチャ、
唐沢が玄関のドアを開けようとしたら、外側からそれよりも先にドアが開いた。
外から入ってきたのは、疲れきった顔のおふくろと、妹のさちだった。
偶然会った、というところだろう。


「あ、こんばんわー。おじゃましてました、」

軽く会釈をして、唐沢があいさつをする。
おふくろが口を開く前に、さちがひょっこりとその間から顔を出して、嬉しそうな声をあげていた。

「竜也くんだー。久しぶりー!」
「おー、さち。相変わらず、元気だことで。また、可愛くなったんじゃねえの?」
「竜也くんもカッコよくなったよ」

なんて、バカ2人が互いを褒めあっている。
・・ったく。


「じゃー、失礼します。・・大和、またな」

ひらっと俺に手を振って、唐沢は帰っていった。

リビングに戻ろうとすると、いつもよりも数オクターブ低いおふくろの声が俺を呼び止めた。


「航、」

振り返ると、まだ玄関でハイヒールを履いたままのおふくろが少し怒ったような顔で、俺を見つめていた。
さちが俺の横を、走って通り過ぎる。


「何、」

美人だった筈のおふくろの顔は、すっかりくたびれていて、目の下には隈ができている。
もともと細かった脚も、ますます細くなってしまっていた。

・・・・・どうして、そこまで無理して、見栄を張ろうとするんだよ。
もしアパートに引っ越せば、そんなにやつれてまで仕事をしなくてもいいんだ。
大人のいう見栄ってのは、そんなに大事なものなのかよ。

俺には、目の前に立っている自分の母親の筈の女が何を考えているのか、全く理解できなかった。


「さっきの子、」

ブランド物のバッグを肩から下ろして、玄関の端におく。
ウェーブを施した長い髪が、揺れる。

「唐沢の事?」

俺の問いに頷きもしないで、おふくろは続けた。

「・・いつから、あんな柄の悪い子と付き合うようになったの?」

溜息をこぼして、おふくろは目を伏せる。
長い睫毛が、目の下に陰をつくる。

・・おふくろの言葉に、一気に怒りが募った。


「・・・柄が悪いって、なんだよ」

吐き捨てるように、そう投げつける。

なんなんだよ。
あんたに、唐沢のなにが分かる?
バカで、おひとよしで、・・・・あんなにいい奴のなにがわかるってんだよ。


「悪いでしょう?まだ高校生なのに、髪の毛は染めてるし、服装だって・・」

・・初めて、おふくろを殴ってやりたいと思った。

おふくろは、いつから外見で人に価値をつけるようになっちまったんだよ。
前は、そんな女じゃなかっただろ?
息子の友達にケチをつけるような、そんな理解のない母親じゃなかっただろ?
・・この人は、全てが親父と離婚したときから変わったんだ。
こんなおふくろを、俺は知らない。
知りたくもない。


「あんたには関係ねえだろ。唐沢の事なんも知らねえくせに、ごちゃごちゃ知ったような口聞くなよ!」

肺の辺りから上ってきた声が、一気に吐きだされる。
自分でも気付かないほどに、大きな声を出していたらしい。
さちが、リビングのドアから、そっとこちらを覗いていた。


「なんなの、その口の聞き方は!」

負けじと、おふくろも声を張り上げる。
こうやって、面と向かっておふくろと怒鳴りあったのは初めての事だった。


「仕事のストレスを、家にまで持ち込んでんじゃねえ。俺の事何言ったっていいけどな、唐沢の事とやかく言われんのは我慢できねえんだよ!」

俺の言葉に、真っ赤な口紅で塗りたぐられたおふくろの唇が、きゅっときつく結ばれる。
痩せこけた頬が、ぴくりと微かに動いた。
・・・・・・・鋭い視線が、俺の目を捕らえて放さなかった。


「それもこれも全部、あんたの見栄のせいだ。馬鹿馬鹿しい見栄なんか張ってるから、こんな仕事し」

パシンッ
頬に、鈍い痛みが走った。
しばらく、なにが起こったのか理解できなかった。
目の前のおふくろが、はっと我に返ったような表情で自分の手を慌てて引っ込めたのを見て、叩かれたんだとようやく思うことができたくらいだ。


「・・あ、航・・・・ごめんなさい、」

俺の頬に触れようとする手を、反射的にはらいのける。
そのときおふくろは、ひどく傷ついた顔をしていた。

居た堪れなくなった俺は、おふくろの横を走り抜けて、家を出て行った・・。



行く当てもなく、マンションの近くの歩道橋をただ無意味に渡る。

つかれた。
べつに、唐沢を理解して欲しいわけじゃない。
ただ、あいつを否定して欲しくないだけだ。
なのに、どうしてこんなのことになる?
・・俺は、間違ってない。

歩道橋の手すりに腕を預けて、ぼうっと車の通りの激しい道路を見つめる。
下で工事をしているらしく、工事特有のガガガという音が、俺の脳に痛く響いていた。


「やまとー?」

俺は、思わず自分の聴覚を疑った。
下から、・・唐沢の声が聞こえる。

慌てて下を覗き込むと、そこには唐沢らしき男が俺のほうを見上げていた。


「なんでこんなとこにいんだよー?」

そう言う唐沢は、工事現場の車道誘導員の格好をしていた。
・・今日の分のバイト。まだ、残ってたのかよ。


「いろいろあったんだよ、」

唐沢に聞こえるように、少し声を張って投げる。

・・これだから・・、運命って奴を信じちまう。
もしこれが、運命の神様ってやつの仕業なら、ひどく酷な事をなさる。
これ以上ないってくらいに、また好きな気持ちが溢れてしまう。


「そかー。俺、ここ通りかかったら、現場の先輩に呼び止められて、手伝わされてんの。マジついてねー」

おかしそうに笑う声も、届いてくる。
俺も、思わず笑う。

「てか、お前。やっぱ、背でっけーのな!」

「ばか。歩道橋の上なんだから、当たり前だろ」

・・・・でも、唐沢の言葉で、この遠い距離に改めて気付いてしまった。

13センチ。
そんな距離じゃなく、俺たちは遠いのかもしれない。
遠すぎて遠すぎて、これ以上近づくことはできないのかもしれない。
この距離も、神様が決めたのか。
この俺の思いを弄んで、楽しんでいるのか。
これ以上、苦しまなければいけないのか。

そんな事を柄にもなく考えていたら、下から唐沢を怒る男の声が聞こえた―――――――――。










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