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深夜ランニング。(1)



風呂から出て、1時間ぐらいグダグダしてたら、眠くなった。
そろそろ寝ようかと思っていた矢先の、唐沢からの電話。

『今から、走んねえ?』

・・・・・正直呆れたが、俺の脳内は当然のごとく「断る」なんて選択肢は持ち合わせていなかった。

こんな夜にランニングに誘ってきた唐沢の思考はどうにも読み取り難かったけど、
とりあえずあいつが不安定な気分なんだろうということはかろうじてよみとれる。
俺に会うことでその気分が少しでも晴れるというなら、しょうがない。

簡単なトレーニングウェアに着替えて、俺は唐沢と約束した場所へと向かった。




待ち合わせ場所は、俺たちが通う高校の校門前。
中学は違かったけど、お互い同じ市内に住んでる事もあり、そういう面では気軽に会うことができた。
だからって、こんな夜にランニングすんのなんか初めてだったけど。

「・・・・・・」

唐沢は、まだ来ていなかった。
俺はチャリを校門の横にとめて、簡単なストレッチを始める。
部活が終わって家に帰ってからも、かならず走りこみは欠かさなかった。
走ることは、嫌いじゃない。

一通りストレッチが終わっても唐沢が来ないので、携帯に連絡してみようかと思っていた所で、
チャリのタイヤが回る音が近づいてくることに気がついた。
ようやくのお出ましだ。

「悪ィ、大和!タイヤ、空気抜けててさ。バイクは兄貴が使ってっし」

立ちこぎで向かってきた唐沢は、軽く息があがっていた。
暗がりで表情はよく見えないが、明るい茶髪だけは月明かりにしっかりと照らされている。

「はいはい。こういう時は大抵お前が遅れるから、今更驚きはしませんよ」

そう言いつつも、取り出そうとしていた携帯をそっとポケットの中へと戻している俺がいる。
こんな素直じゃない自分は、我ながら可愛げのない男だと思った。

「そーですかあ。そんなら、もっと遅れてくりゃよかった」

自分のチャリを俺のチャリの横にとめて、わざとらしいため息をつく。
奴なりに急いできたんだなあと、あがった肩を見て思った。

「んじゃ、走りますか」
「ちょっと、待て」

しゃがみ込んで靴紐を結び始める唐沢に、思わず待ったをかける。

「なんだよ?」
「お前さあ、走ったこととかないわけ。走る前は、軽くでもストレッチしとけよ。これ基本」

・・今、すごい口うるさいおかんを見る目で見られた気がする。

そして、しぶしぶ唐沢が軽いストレッチをはじめる。
その間に俺は、靴紐をきつく結ぶ。
・・・・なんか、よくよく考えたら変な光景だ。
なんでこんな夜中に、いい年頃の男子2人がランニングなんだか。
かるく哀しくなる気もする。

「うっし、オッケー。大和クンいわく大事なストレッチもちゃんとしたし、今度こそ行くか」

俺に言わせればまだまだだけど、まあ軽いランニングだろうし、これくらいでも見逃してやろう。

「最初から、あんまとばすなよ」
「わーってるってえ」

俺のありがたいアドバイスも軽く流して、唐沢は走りはじめた。
俺も若干のため息を引き連れて、その後を追うように走り出したのだった。




「なあ、ルートどうするよ?」

おしゃべりな唐沢は、走り中も関係なく話しかけてくる。
あとで、息あがってもしんねえぞ。

「河原?までとか」

河原までの往復だったら、適度な距離だろう。
走りだったら、片道15分くらいのペースでいけるはずだ。

「オッケー」

それから唐沢は、意外にも黙々と走りに勤しんでいた。(もちろん俺もだ)
こいつは、何を考えながら走ってるんだろう。
いきなり電話で「走りたい」と言った経緯は、一体なんなんだろう。

走っている間、俺は癪なことにも唐沢の事しか考えていなかった。



細い歩道に差し掛かったところで、何分くらい走ったのか、ようやく河原を目にする事ができた。
これくらいの距離は全然走りなれてるはずなのに、今日はやけに長く感じた。
それは、隣に唐沢がいるからだろうか。
自分でも、その辺はあいまいだった。

「ッてェ・・!」

とりあえず、あと少し無心になって走ろうと思っていた矢先に、隣で走っていた唐沢が声をあげた。
いきなりの事に若干ビビって隣を見ると、すぐには唐沢の姿を確認する事はできなかった。
それは、夜だから暗くて・・とか、そんなのじゃなくて。

「・・何やってんだよ」

地面に尻餅をついている唐沢に、そう一言。
早い話、唐沢は走ってる途中に、いきなりと言っていいほどのタイミングでコケた・・らしい。

「足もつれたー!あー。くそいてえし、カッコわりい」

「カッコいいカッコわるいの問題じゃねえだろ。見せてみろ、どこ打ったんだよ」

しゃがみ込んで、唐沢と同じ目線になる。

「膝と手。おかげでジャージ破けたし」

これ気に入ってたのにー、とか言って、唐沢は嘆いていた。
膝に目を向けてみると、たしかに破けたジャージからは、少し出血した皮膚がのぞいている。

「俺、絆創膏なんか持ってねえぞ。どうすんだよ、これ」
「知ーるーかーよ。ほっとけば、治んじゃね?」

「なんなら、俺が舐めてやろうか?」

他人事のような口ぶりの唐沢に、俺はちょっとしたジョーダンを言ってみた。
もっと、「大丈夫かよ」とかかける言葉なんかあっただろうに、・・・なんでこんなこと言ったんだか。

「大和君のエロス」

俺のジョーダンを、ジョーダンで返してくる唐沢。
ていうか、エロスってなんかちげえだろ。

「唐沢君ほどじゃ、ありませんけど」

さらに俺が言った事に、唐沢はふっと小さく笑う。
そして、奴は思いがけない事をいとも簡単に口にした。

「舐めろよ」

先ほど打ったばかりの右足を軽く数回揺らして、「ほら」と促してくる。
・・・・こいつ、ジョーダンだったって分かってるよな?
これも、唐沢のジョークなのか?
――でも、顔が。

「馬鹿。ジョーダンだって」

奴の右足を押し退けるようにして、俺は言った。
・・ホント、こいつのジョークはタチわりい。

「そんなん知らねえよ。早く舐めろって」

そう言われてから、俺は唐沢の目を見てみる。
いつもと変わらない?
・・でも、今のこいつはどこかおかしい。

そう勝手に悟った俺は、唐沢の右足に手を添えた。
そして、傷口にそっと舌をあてる。
少しだけ、唐沢の身体がぴくんと揺れた。

「優しくしろよな?地味にいてーんだから」

舌先で触れると、また唐沢が微かに反応する。
浅そうに見える傷でも、けっこう深いのかもしれない。

消毒程度に何度か舐めてから、そこを軽く吸った。
血の味と、砂の味が口内で入り混じる。

「っ・・あほ、いてえだろ!」

そして、唐沢からの抗議。
全く、色気もなにもあったもんじゃない。

「傷、けっこう深いんじゃねえのか」

傷口からそっと唇を離して、俺はいった。

砂の混じった唾を吐き出したあとも、まだ口の中には唐沢の血の味だけが残っている。

「深くねーよ、走れるし!はやく行こーぜ」
「・・強がるなっての」

そそくさと立ち上がり、俺に背を向けて既に走る体勢にある唐沢の背中を見て、俺はそう溢したのであった。












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