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- 太平洋戦争
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- 1941年
- 12月8日、日本が、英米に宣戦布告し太平洋戦争が開戦します。
- 同日、台湾の日本軍基地から戦闘機34機、陸攻53機が、マニラの北西約60kmにあるルソン島のクラーク空軍基地(Clark Air Base)を襲い、アメリカ軍はB-17 18機、P-40 53機、P-35 3機、その他を喪失し、アメリカ極東航空軍は開戦初日で兵力の過半数を失います。
- 同日、日本軍はフィリピン最北のバターン島に進軍します。バターン島の北方約190kmには台湾(中華民国)があります。
- 12月10日、マレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊とイギリス海軍の東洋艦隊の間で、マレー沖海戦が始まります。
- 同日、日本軍は、ルソン島北端のカガヤン州アパリ(Apari)とイロコス・スル州のビガン(Vigan)へ上陸します。
- 同日、グアム島の、タラワ、マキンを占領。
- 12月12日、日本軍が、ルソン島南端のレガスピ(Legazpi)に上陸し、飛行場を確保して航空部隊を前進させます。
- 同日、日本軍が香港の香港九龍市を制圧、英軍は香港島へ逃走します。
- 12月15日、日本軍がマレー半島の西方、マラッカ海峡のペナン島を占領します。
- 12月16日、日本軍が、マレー半島アロールスターを占領します。
- 同日、日本軍が、北ボルネオ(コタキナバル)に上陸します。
- 12月20日、日本軍は、ミンダナオ島ダバオ(Davao)に上陸します。
- 12月21日、日本政府が、タイと攻守同盟を締結(日泰同盟)します。
- 12月22日、日本軍が、北太平洋、南鳥島(マーカス島)の東に位置するウェーク島(Wake Island)を占領します。占領後は大鳥島(おおとりしま)。
- 同日、日本軍が、リンガエン湾に上陸します。
- 12月23日、マッカーサーは配下の各部隊長に方針を伝達し、アメリカ極東軍司令部とフィリピン政府もバターン半島への移動を開始します。
- 12月24日、日本軍が、東岸のラモン湾に上陸します。
- 12月25日、日本軍が、香港島を制圧、香港のイギリス軍が降伏します。
- 1942年
- 1月2日、米軍は、マニラ非武装都市宣言を出し、バターンに退却します。
- 同日、日本軍は、それによりマニラに無血入城します。
- 同日、フィリピン大統領のマニュエル・ケソンは、米国側 の説得を受け入れ、マッカーサーと共にコレヒドール要塞に逃れます。
- 1月3日、軍政を布いた 日本軍は、軍政宣布を発布します。その内容は、以下 の通りでした。
- 日本軍 の進駐は、比島民衆を米国支配から解放し、大東亜共栄圏 の一員として、比島人の比島を建設するためである。
- 従来 の法律行政制度と司法制度は軍政に支障 のない限り存続させる。
- 治安を乱す行動はすべて敵対行動と認め、最も峻烈に処断し、重いものは死刑に処する。
- 1月8日、連合軍、タイ攻撃開始。
- 1月9日、日本軍はバターン半島入り口のナチブ山周辺の米比軍防衛線へ攻撃を開始します。
- 1月11日、日本軍、マレー半島クアラルンプール占領。日本、オランダに宣戦布告。
- 1月15日、日本軍、英領ビルマ(現ミャンマー)攻撃部隊がタイに集結。
- 1月16日、日本軍はバターン半島の米比軍防衛線の攻撃に兵力5,000を投入。
- 1月22日、日本軍は、舟艇機動でバターン半島の米比軍防衛線の背後に上陸させる奇襲作戦を決行しますが、米比軍に包囲され全滅します。
- 1月23日、日本軍、ニューブリテン島ラバウル占領。
- 1月24日、バリクパパン沖海戦。
- 1月25日、タイ、英米に宣戦布告。日本軍、バリクパパン占領。
- 1月27日、エンドウ沖海戦。
- 1月31日、日本軍が、タイからビルマ侵攻開始。マレー半島ジョホールバル占領。
- 2月1日、日本軍が、シンガポールの石油施設を砲撃。米機動部隊、マーシャル諸島来襲。
- 2月4日、ジャワ沖海戦。
- 2月6日、フィリピン共産党は、日本軍に対して、人民軍をもって闘うことを決定します。
- 2月7日、日本軍が、シンガポール北東のウビン島に牽制上陸。
- 2月8日、日本軍が、シンガポール北西海岸より上陸(シンガポールの戦い)。
- 同日、日本軍は、バターン半島の米比軍防衛線との戦いで兵力の3分の2を失い、攻撃停止を指示し、日本軍の攻勢は中断となります。
- 2月14日、日本軍、蘭領東インド(現インドネシア)スマトラ島パレンバンを落下傘部隊で占領。
- 2月15日、シンガポールの英豪軍が降伏。
- 2月20日、バリ島沖海戦。ニューギニア沖海戦。
- 2月24日、米機動部隊、ウェーク島来襲。日本軍伊17潜、カリフォルニア州サンタバーバラを攻撃。
- 2月26日、スラバヤ沖海戦。
- 3月1日、フィリピン統一抗日人民軍(フク団)結成。バタビヤ沖海戦。日本軍、蘭領東インドジャワ島スランに上陸。
- 3月2日、日本軍が、ミンダナオ サンボアンガに上陸し、4月には米軍は降伏します。
- 3月4日、米機動部隊、南鳥島来襲。
- 3月5日、日本軍、ジャワ島バタビア(現ジャカルタ)を占領。
- 3月7日、東インドのオランダ軍降伏。
- 3月8日、日本軍、英委任統治領ニューギニア島ラエとサラモアに上陸、占領(東部ニューギニアの戦い)。
- 同日、ビルマ(現ミャンマー)ラングーン(現ヤンゴン)占領。
- 3月11or13日、アメリカ極東軍総司令官 のマッカーサーは「I shall return」と呼びかけて、コレヒドール島から脱出します。
- 同日、フィリピン大統領 のケソンは、オーストラリアに脱出し、その後、米国に亡命します。
- 3月24日、日本軍は、バターン半島の米比軍防衛線に攻撃機による連日爆撃を始めます。
- 3月29日、フィリピンに、反日人民軍フクバラハップが創設されます。創立宣言では、極東米軍と の協調的活動を採用し、貧農で組織された農民軍は、ゲリラ戦で日本軍と戦います。
- 4月3日、日本軍は、バターン半島の米比軍防衛線に地上部隊による総攻撃を開始します。
- 4月5日、日本軍、セイロン(現スリランカ)コロンボの英軍基地を空襲。セイロン沖海戦(〜9日)。
- 4月9日、日本軍は、バターン半島の米比軍防衛線を攻略し、アメリカ防衛軍司令官 のエドワード・キング少将が降伏します。この時、捕虜 のアメリカ兵12,000人、フィリピン兵64,000人の計76,000人を、飢えとマラリアに犯された状態で、バターンからオドンネル基地までの88Kmを歩行移動させます。収容された捕虜は54,000人といわれ、行進で死んだ数は22,000人とも言われています。これはバターン死の行進と呼ばれています。
- 4月18日、米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)。
- 5月1日、日本軍、ビルマ中部マンダレー占領。
- 5月3日、日本軍、ソロモン諸島ツラギ占領(MO作戦始まる)。
- 5月4日、日本軍、英領ビルマのアキャプ占領、ビルマ制圧完了。南方作戦完遂。
- 5月7日、日本軍、コレヒドール島を占領。珊瑚海海戦(〜8日)。
- 5月10日、日本軍、ミンダナオ島を占領。
- 5月29日、日本軍の特殊潜航艇、マダガスカル島のディエゴスワレスのイギリス軍基地を攻撃(マダガスカルの戦い)。
- 5月31日、日本軍の特殊潜航艇、オーストラリアのシドニーのイギリス軍艦艇を攻撃。(特殊潜航艇によるシドニー港攻撃)
- 6月5日、ミッドウェー海戦(〜7日)で日本軍敗北。
- 6月7日、日本軍、米アリューシャン列島キスカ島に上陸、占領。
- 6月8日、日本軍、アリューシャン列島アッツ島に上陸、占領。
- 6月16日、日本軍、ニューギニア島ポートモレスビーの連合軍基地を空襲。
- 6月20日、伊26潜、バンクーバーのカナダ軍基地を攻撃。
- 6月21日、伊25潜、オレゴン州アストリアの米軍基地を攻撃。
- 7月1日、日本軍、フィリピン全土占領。
- 8月1日、イギリス領インドで反英暴動。
- 8月7日、米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸(ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)。
- 8月8日、第一次ソロモン海戦
- 8月24日、第二次ソロモン海戦
- 9月9日、伊25潜より発進した艦載機がアメリカ本土のオレゴン州を空襲。
- 9月15日、伊19潜、米空母ワスプ撃沈。
- 9月29日、伊25潜より発進した艦載機、アメリカ本土のオレゴン州を再度空襲
- 10月、英米、中国における治外法権撤廃を声明、不平等条約を廃止。
- 10月、重慶で英米中ソ対日作戦会議。
- 10月11日、サボ島沖海戦
- 10月13日、ヘンダーソン基地艦砲射撃(ヘンダーソン飛行場艦砲射撃)
- 10月26日、南太平洋海戦。米軍の稼動空母が0隻になる。
- 11月12日、第三次ソロモン海戦
- 11月30日、ルンガ沖夜戦
- 12月8日、ニューギニア島バサプアの日本軍全滅。
- 1943年
- 1月、レンネル島沖海戦
- 1月〜3月、カサブランカで英米首脳会談。
- 2月、日本軍、オーストラリアのポートダーウィン爆撃。
- 2月1日、日本軍、ガダルカナル島撤退(ケ号作戦)(〜7日)。
- 2月10日、日本軍、第一次アキャブ作戦開始(三一号作戦)(〜3月下旬)。
- 3月2日、ビスマルク海海戦
- 3月26日、アッツ島沖海戦
- 4月1日、南樺太を内地に編入。
- 4月7日、い号作戦(〜16日)
- 4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
- 5月、日本、学徒戦時動員体制の発表(学徒出陣)。
- 5月12日、米軍、アッツ島上陸(5月29日、日本軍全滅し「玉砕」の語の使用始まる)。
- 5月31日、日本政府は、大東亜政略指導要綱を決定し、フィリピンには 日本軍占領下での独立させることになります。
「対米作戦ニ伴フ比島処理方策案」によると、「比島作戦ハ比島ニ於ケル米軍ノ根拠地覆滅ヲ主トシ、比島ノ物資獲得ヲ重視セス」とあります。 - 7月6日、クラ湾夜戦
- 7月12日、コロンバンガラ島沖海戦
- 7月29日、日本軍キスカ島から撤退(キスカ島撤退作戦)。
- 8月、日本軍、バー・モウを首班としてビルマ独立を宣言。
- 8月、カナダ・ケベックで英米首脳会談。
- 8月6日、ベラ湾夜戦
- 9月、イタリア、連合国に降伏。
- 9月10日、鳥取地震が発生。鳥取市が壊滅し1083名(1100名以上とも)が死亡。情報統制の中、国内外から支援。
- 9月17日、連合軍、ラエを占領。
- 9月30日、御前会議で絶対国防圏構想を決定。
- 10月、日本軍、フィリピン独立を許可。 日本軍は、フィリピン共和国 の成立を認め、 日本総領事館 の顧問弁護士だったラウレルが大統領に就任します。アメリカ的教育を受けたエリートは、対日協力政府を構成していましたが、経済的には対米依存から脱却できず、同時にUSAFFE系抗日ゲリラ(米比軍ゲリラ)
の指導者でもあります。例えば、パナイ島 のUSAFFE系抗日ゲリラを率いていた のは、パナイ島イロイロ州 の前知事であったトーマス=コンフェソールでした。
そこで、 日本軍は、積極的対日協力勢力であるラモス率いるガナップ党を利用することにします。 - 10月6日、ベララベラ海戦
- 10月21日、東京・明治神宮外苑にて出陣学徒壮行式開催(学徒出陣のはじまり)。
- 10月24日、スバス・チャンドラ・ボースがシンガポールで自由インド仮政府の成立を宣言。
- 10月26日、自由インド、英米に宣戦布告。
- 11月、東京で大東亜会議が開催され、大東亜共同宣言を発表。、フィリピン大統領 のラウレルが出席します。
- 11月1日、ブーゲンビル島沖海戦
- 11月21日、米軍、マキン島・タラワ島上陸(11月23日、 日本軍玉砕)。
- 11月22日〜26日、エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談)。
- 11月24日、セント・ジョージ岬沖海戦
- 11月28日〜12月1日、イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談)。
- 12月5日、マーシャル諸島沖航空戦
- 1944年
- 1月、イラン、英ソと軍事同盟を結び対日断交
- 2月3日、日本軍、第二次アキャブ作戦開始
- 2月6日、クェゼリン島の日本軍玉砕
- 2月17日、トラック島空襲
- 2月22日、エニウェトク環礁(ブラウン環礁)の日本軍玉砕
- 2月26日、日本軍、第二次アキャブ作戦を中止
- 3月8日、日本軍、インパール作戦開始
- 4月17日、大陸打通作戦(〜12月10日)
- 5月25日、日本軍、洛陽占領
- 6月15日、米軍、サイパン上陸(サイパンの戦い。(7月7日 日本軍玉砕、在住日本人1万人死亡)
- 6月16日、米軍、中国大陸から北九州へ初空襲
- 6月19日、マリアナ沖海戦
- 7月4日、日本軍、インパール作戦を中止
- 7月18日、東條英機内閣総辞職
- 7月22日、小磯国昭内閣成立
- 7月25日、大本営は、「国力 の戦力 の徹底的重点(7〜8割)を構成して、主敵米 の進攻に対し決戦的努力を傾倒し、一部(2〜3割)をもって長期戦的努力を行なう」という戦争指導方針を決定して、捷一号〜捷四号という作戦計画が立てられます。
・捷一号作戦は、フィリピンを主目標として、陸上決戦場はルソン島に限定して、その他 の島へ の米軍 の来攻に対しては、陸海航空兵力と海軍艦艇による決戦を行なうというものです。
・捷一号作戦に基いて、陸軍は第14方面軍・第35軍を編成します。海軍は、第1遊撃部隊・第2遊撃部隊・機動部隊本隊・第1航空艦隊を編成します。 - 8月2日、テニアン島の日本軍玉砕。(テニアンの戦い)
- 8月11日、グアム島の日本軍玉砕。(グアムの戦い)
- 9月9日、米軍は、ミンダナオ島に上陸します。
- 9月11日、米軍、ペリリュー島上陸。(ペリリューの戦い)
- 9月12日、米軍は、レイテ島を空襲します。 日本軍参謀本部は、ルソン島決戦からレイテ島決戦に作戦を変更します。海軍 の主力戦艦である大和・武蔵をもつ第1遊撃部隊第2艦隊(栗田健男中将率いる艦隊)を中心とする連合艦隊はレイテ湾に進撃します。機動部隊(小沢治三郎中将率いる部隊)は、おとりとなって米軍を引きつけ、栗田艦隊 のレイテ湾突入を容易にするため の陽動作戦としてルソン島北部に向かいます。
- 10月10日、米軍、沖縄、台湾を空襲(十・十空襲)米軍は沖縄全域に大規模な空襲を行います。十・十空襲(じゅうじゅうくうしゅう)と言われ、焼夷弾(しょういだん)が初めて戦闘に使用されます。この空襲で最も被害 の大きかったのは現在の那覇市の一部で、市街地の9割は焼失して同市は壊滅し、市内 の死者は255名となります。
- 10月12日、台湾沖で日米の航空戦、台湾沖海戦が始まります。
- 12月15日、米軍は、ミンドロ(Mindoro)島に上陸します。第14方面軍司令官の山下奉文大将は、レイテ決戦を諦め、ルソン島での決戦に変更します。しかし、ルソン島から多くの兵力・軍需品をレイテ島に輸送した後では、膨大な米軍と決戦という
のは口実に過ぎず、本土決戦のための時間稼ぎの作戦でした。時間稼ぎと言っても、任務は米軍と の長期持久戦ということになります。
ルソン部隊28万7000人を3つの集団に分けて配置します。
・ルソン北部 のバギオを中心にした拠点を尚武集団は、山下奉文大将が指揮して、兵力は15万2000人でした。
・マニラを含む中万部を守備する振武集団は、横山静雄中将が指揮して、兵力は10万5000人でした。
・クラーク飛行場群西方でアメリカ上陸軍 のマニラ侵入を阻止する建武集団は、塚田理喜智中将が指揮して、兵力は3万人でした。 - 10月20日、米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)米軍は、レイテ島に上陸します。神風特攻隊24人が組織されます。レイテ沖海戦では、米軍 の被害は沈没6隻に対して、日本軍は戦艦武蔵など30隻を失います。
- 10月23日、レイテ沖海戦
- 10月24日、戦艦武蔵沈没(シブヤン海)
- 10月25日、神風特別攻撃隊、レイテで初出撃
- 11月10日、汪兆銘、名古屋で病死
- 11月10日、日本軍、桂林、柳州占領
- 11月24日、米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲
- 12月7日、東南海地震が発生し、家屋倒壊と津波で1223名が死亡。情報統制によってほとんど報道されない
- 12月10日、日本軍、大陸打通作戦を完了
- 12月18日、大本営陸軍部は、「決戦思想ヨリ持久思想ヘ転換ス」という指示を出します。
- 12月19日、第14方面司令官 の山下奉文大将は、第35軍司令官 の鈴木良作中将に対して、「第35軍司令官は、自今、中南部比島において永久に抗戦を継続し、国軍将来における反抗の支とうたるべし」というレイテ作戦終了ではあるが、交戦継続という文章を通告します。
- 12月下旬、日本軍は、米軍 のマニラ接近 の対応策として、マカピリ(フィリピン愛国同志会)を創設し、彼らに義勇軍として の役割を負わせます。戦後、彼らは、同胞から売国奴という扱いを受けます。
- 12月26日、礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)
- 1945年
- 1月6日、ルソン島の戦い(〜8月15日)
- 1月9日、米軍の第6軍19万人は、空母12などの艦隊でルソン島のリンガエン湾に上陸します。
- 1月18日、最高戦争指導会議は、本土決戦即応態勢確立など の「今後採るべき戦争指導大綱」を決定します。
- 1月23日、米軍は、第23師団 の西山福太郎中将率いる沿岸守備隊を分断します。第58旅団 の佐藤文蔵少将率いる部隊と戦車第2師団 の重見伊三雄少将率いる中核旅団 の九七式中戦車は、米軍 のM4戦車と激突し、多数 の戦車を失います。
- 1月24日、イギリス海軍、スマトラの製油施設を空襲(メリディアン作戦)。
- 1月下旬、米軍は、建武集団を突破します。この頃「市民は双手を挙げて米軍を歓迎し、日本の戦闘行動を阻害し、ゲリラ化せる一般市民にして、攻撃前に内通」という
日本軍には不利な状態になっています。
山下奉文大将は、マッカーサーがしたように、マニラ非武装都市宣言が希望でしたがこれを、大本営は認めませんでした。山下奉文大将はマニラを戦場とせず市中から軍 の退去を命じ、マニラ北方 のプログ山に移動するよう命令しましたが、岩淵三次海軍少将指揮下 のマニラ海軍防衛隊1万人と野口勝三大佐率いる野口支隊4000人は、山下奉文大将 の退去命令に従いませんでした。
『勇士相次イデ弊レ残ルハ軍属及弱者ノミニシテ今次大戦ニ再起奉公ノ望ミナキ者 尤モ有為ノ士相当アルモコレ無ケレバ戦ハ出来ズ此処ニ最後ノ御奉公然ルベキナリ単ナル玉砕ハ小官モ持ラザル所ナルモ一ツデモ多ク敵ノ首ヲ取ラシテヤリ度ク小官此処ニテ一同ノ最期ヲ見届ケ度御蔭ニテ得難キ数々ノ体験ヲ得感謝ニ堪エズ』
これに対し、上部機関からは「貴隊 の壮烈勇敢なる戦闘は燦として青史に輝けり、崇高な御心事拝察して余りあり」、「全将兵、貴隊 の奮戦振りを範として敵必滅に邁進す」などの電報が入ります。市内 の1万4000人 の兵士もマニラ撤退 の命令を期待します。しかし、岩淵少将は、『単ナル玉砕ハ小官モ持タザル所ナルモ一ツデモ多ク敵ノ首ヲ取ラシテヤリ度ク小官此処ニテ一同ノ最期ヲ見届ケ度』(単なる玉砕を遂げようとは思わない。敵の首を1つでも多く取らして皆 の最後を見届けたい)と考え、マニラ市内に戻ってきます。 - 2月、クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談)。
- 2月3日、米軍は、首都マニラに進入します。
- 2月4日、ルーズベルト・チャーチル・スターリンは、ヤルタ会談を開き、対独戦後処理を決定します。秘密協定で、ドイツ降伏後3ヵ月後、ソ連 の対日参戦が決定します。対日参戦を条件に千島譲渡・南樺太返還が約束されます。これをヤルタ協定といいます。その内容は、以下の通りでした。
千九百四十五年二月ノ「ヤルタ」会談ニ於テ作成
ソビエト連邦、アメリカ合衆国及び英国 の指導者は、ドイツ国が降伏し且つヨーロッパにおける戦争が終結した後2ヶ月または3ヶ月を経て、ソビエト連邦が、次の条件で連合国側において日本国に対する戦争に参加することを協定します。
千九百四十六年二月十一日米国国務省ヨリ発表
三大国即チ「ソビエト」連邦、「アメリカ」合衆国及英国ノ指揮者ハ「ドイツ」国カ降伏シ且「ヨーロツパ」ニ於ケル戦争カ終結シタル後二月又ハ三月ヲ経テ「ソビエト」連邦カ左ノ条件ニ依リ連合国ニ与シテ 日本ニ対スル戦争ニ参加スヘキコトヲ協定セリ
一、外蒙古(蒙古人民共和国)ノ現状ハ維持セラルヘシ
二、千九百四年ノ 日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルヘシ(イ) 樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソビエト」連邦ニ返還セラルヘシ
(ロ) 大連商港ニ於ケル「ソビエト」連邦ノ優先的利益ハ之ヲ擁護シ該港ハ国際化セラルヘク又「ソビエト」社会主義共和国連邦ノ海軍基地トシテノ旅順口ノ租借権ハ回復セラルヘシ
(ハ) 東清鉄道及大連ニ出口ヲ供与スル南満洲鉄道ハ中「ソ」合弁会社ノ設立ニ依リ共同ニ運営セラルヘシ但シ「ソビエト」連邦ノ優先的利益ハ保障セラレ又中華民国ハ満洲ニ於ケル完全ナル主権ヲ保有スルモノトス
三、千島列島ハ「ソビエト」連邦ニ引渡サルヘシ
前記ノ外蒙古並ニ港湾及鉄道ニ関スル協定ハ蒋介石総帥ノ同意ヲ要スルモノトス大統領ハ「スターリン」元帥ヨリノ通知ニ依リ右同意ヲ得ル為措置ヲ執ルモノトス
三大国ノ首班ハ「ソビエト」連邦ノ右要求カ 日本国ノ敗北シタル後ニ於テ確実ニ満足セシメラルヘキコトヲ協定セリ
「ソビエト」連邦ハ中華民国ヲ 日本国ノ覊絆ヨリ解放スル目的ヲ以テ自己ノ軍隊ニ依リ之ニ援助ヲ与フル為「ソビエト」社会主義共和国連邦中華民国間友好同盟条約ヲ中華民国国民政府ト締結スル用意アルコトヲ表明ス
千九百四十五年二月十一日
ジェー・スターリン
フランクリン・ルーズヴェルト
ウィンストン・チャーチル
1945年2月 の「ヤルタ」会談に於いて作成
1945年2月11日 米国国務省より発表- 外蒙古(蒙古人民共和国) の現状は維持する。
- 1904年 の 日本国 の背信的攻撃により侵害されたロシア国 の旧権利は、つぎ のように回復される。
- (イ)樺太 の南部及びこれに隣接するすべて の島を、ソビエト連邦に返還する。
- (ロ)大連商港を国際化し、この港におけるソビエト連邦 の優先的利益を擁護し、また、ソビエト社会主義共和国連邦 の海軍基地として の旅順口 の租借権を回復する。
- (ハ)東清鉄道及び大連に出口を提供する南満州鉄道は、中ソ合併会社を設立して共同に運営する。但し、ソビエト連邦 の優先的利益を保障し、また、中華民国は、満州における完全な利益を保有するものとする。
- 千島列島は、ソビエト連邦に引渡す。
3大国 の首班は、ソビエト連邦 のこれら の要求が 日本国 の敗北した後に確実に満足されることを合意した。
ソビエト連邦は、中華民国を 日本国 の束縛から解放する目的で、自国 の軍隊によりこれに援助を与えるため、ソビエト社会主義共和国連邦と中華民国との間の友好同盟条約を中華民国政府と締結する用意があることを表明する。
1945年2月11日
ジェー・スターリン
フランクリン・ルーズベルト
ウィンストン・チャーチル
(1904年 の日露戦争で侵害されたソ連 の権利は回復する。樺太南部・樺太に接する島嶼は返還、大連・旅順口は回復。千島列島は引き渡す。北方領土問題の原点となります。) - 2月10日、北号作戦
- 2月16日、アメリカ の機動部隊は、艦載機1200機をもって関東各地を攻撃します。
- 2月18日、米軍は、硫黄島に上陸し、 日本軍守備隊2万3000人が玉砕します。硫黄島の戦い(〜3月22日)
- 2月26日、激しいマニラ市街戦により、マニラ海軍防衛隊や野口支隊 の多数が戦死します。岩淵少将は自決します。マニラには 日本 の会社員もいます。多数 のフィリピン人もいます。この市街戦で犠牲になったマニラ市民は9万人ともいわれています。マニラ市内の国会議事堂・市役所・中央郵便局なども破壊され、マニラは廃墟の町となります。
- 3月、イラン・トルコが対日宣戦布告。トルコでは市民が宣戦布告に反対してデモ。
- 3月3日、米軍、マニラ占領。
- 3月10日、東京大空襲
- 3月12日、名古屋大空襲
- 3月14日、大阪大空襲
- 3月16日、神戸空襲
- 3月25日、名古屋大空襲
- 4月1日、沖縄戦(〜6月23日)
- 4月5日、ソ連、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。小磯国昭内閣総辞職
- 4月6日、菊水作戦発令
- 4月7日、戦艦大和沈没 鈴木貫太郎内閣成立。
- 4月12日、アメリカ合衆国のルーズベルト大統領急逝、後継に副大統領ハリー・S・トルーマン。
- 4月30日、ドイツ総統ヒトラー自殺。
- 5月2日、ベルリン防衛軍司令官降伏(ベルリン陥落)。
- 5月7日、ドイツ大統領カール・デーニッツ無条件降伏を受諾、ナチス・ドイツ滅亡。
- 5月8日、ドイツ陸海空軍代表がベルリン郊外カールスホルストで降伏文書に調印。p
- 5月16日、ペナン沖海戦
- 5月29日、横浜大空襲
- 6月5日、神戸空襲
- 6月9日、熱田空襲
- 6月26日、国際連合発足(加盟50カ国)。
- 7月5日、第1次横手空襲
- 7月10日、仙台大空襲
- 7月14日、函館空襲(〜7月15日)
- 同日、北海道空襲
- 7月14日、釜石艦砲射撃
- 7月15日、室蘭艦砲射撃
- 同日、小樽空襲
- 7月16日、アメリカが原子爆弾の実験に成功し、マンハッタン計画完成。
- 7月26日、ドイツのポツダムで英米ソ首脳会談、ポツダム宣言発表、日本これを黙殺。
- 7月28日、米海軍、呉軍港爆撃(呉軍港空襲)
- 8月6日、米軍、広島に史上初の原子爆弾投下。
- 8月8日、日ソ中立条約を破棄し、ソ連対日宣戦布告、満州国と朝鮮半島に侵攻。(ソ連対日参戦)
- 8月8日、福山大空襲
- 8月9日、釜石艦砲射撃
- 8月9日、米軍、長崎に原爆投下。御前会議でポツダム宣言の受諾を決定。
- 8月9日、大湊湾(大湊町)で海戦(大湊空襲)。事実上最後の海戦となります。
- 8月10日、第2次横手空襲
- 8月10日、日本、連合国にポツダム宣言受諾を打電により通告。
- 8月14日、終戦の詔が出される。中立国にポツダム宣言受諾を通告。中ソ友好同盟条約締結。深夜〜15日未明土崎大空襲。
- 8月15日、国民へ玉音放送(終戦の詔)。支那派遣軍と南方軍これに抗議し戦闘続行。鈴木貫太郎内閣総辞職。
- 8月16日、ソ連軍、南樺太に侵攻開始(28日占領)。大本営、停戦命令を出します。
- 8月17日、東久邇稔彦内閣成立。天皇、停戦の勅旨。連合国の許可を得て皇族をサイゴン・シンガポール・南京・北京・新京に派遣し、勅旨を伝えます。
- 8月18日、ソ連軍、千島列島の占守島に侵攻。
- 8月19日、フィリピン・ルソン島の日本軍部隊、停戦命令を受領。関東軍とソ連極東軍が停戦交渉開始。
- 8月21日、占守島の日ソ両軍、停戦する。
- 8月22日、小笠原丸撃沈。
- 8月25日、ソ連軍、千島列島の松輪島を占領。
- 8月26日、満州での戦闘が終わる。
- 8月28日、ソ連軍、千島列島の択捉島を占領。
- 8月29日、ソ連軍、千島列島のウルップ島を占領。
- 8月29日、米軍第1陣150名が横浜に上陸。
- 8月30日、連合軍最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着。
- 9月1日、ソ連軍、千島列島の国後島・歯舞群島を占領。
- 9月2日、降伏文書調印、太平洋戦争終結。
- 9月3日、ソ連・中国にとっての対日勝利の日。ルソン島の日本軍降伏。
- 9月5日、ソ連軍、千島列島の色丹島を占領。ソ連軍が北方四島の占領を完了。関東軍首脳部がハバロフスクへ移動、後に57万人がシベリア抑留となります。
- 9月中旬、中国大陸の中国派遣軍降伏。
- 10月15日、本土の日本軍、武装解除完了。
(Wikipediaを参考)
- 1941年