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- 序論(Introduction)
スペイン本国では当時、個人の権利や言論、集会、出版、宗教の自由が広く認められていました。しかし、スペインの一部であるはずのフィリピンにだけは、それが全く認められず、民族主義者や自由主義者の取り締まりはひどくなる一方で、そういった活動家はスペイン本国や欧州に脱出していきました。彼らは、フィリピン人を啓蒙すると同時に、スペイン本国と全世界へ向けて「スペイン統治の差別性とフィリピンの現状」を新聞や小説などの形で精力的に訴えていきました。
- プロパガンダ運動
- プロパガンダ運動の中心となったのがホセ・リサール(jose rizal)や マルセロ・デル・ピラール(marcelo H. del pilar)でした。
ホセ・リサールは1887年、「ノリ・メ・タンヘレ(Noli Me Tangere)」、我に触れるなをベルリンで公刊し、後に、アメリカを経由してイギリス・パリと移動し、1891年ベルギーのヘント(Ghent)で彼の第2の小説「エル・フィリブステリスモ(El Filibusterismo)」反逆を出版します。両方ともスペイン語で書かれていますが、スペイン圧政下に苦しむ植民地フィリピンの現状が克明に描き出されていた、フィリピン人の独立への機運を高めたと言われています。ホセ・リサールは『ここに書かれていることはすべて事実である。証拠もある』」と訴えました。
マルセロ・デル・ピラールは1882年、ホセ・リサールがスペイン語で呼びかけたのに対し、タカログ語の新聞「ディアリオン・タガログ」を発行し、愛国主義者や革新主義者の記事を掲載しました。1888年、当時スペインの支配下にあったフィリピン国民の意識改革、地位向上、人間の尊厳への目覚め、自由の確立などの活動がスペイン人修道士や官憲の怒りを買い、スペインのバルセロナに向け逃亡します。
ホセ・リサールは政治的独立を目指す革命志向家では無く、フィリピン人たちの生活改善を願う改革者でした。 バルセロナで、スペイン在住のフィリピン人留学生たちを組織して、マルセロ・デル・ピラールと共にプロパガンダ運動を始め、1888年に、雑誌「ラ・ソリダリダード」(La
Solidaridad)連帯を創刊します。そこで彼の打ち出した運動の方向性は下記のようなものでした。
- フィリピンはスペインの一地域であること。
- スペイン政府議会へのフィリピン代表派遣の権利が認められるべきこと。
- スペイン人の聖アウグスチノ修道会員、ドミニコ会員、フランシスコ会員でなくフィリピン人聖職者の養成を行うこと。
- 言論の自由が認められるべきこと。
- フィリピン人に法律的平等が与えられること。