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序論(Introduction)
領土の拡大は、1803年、ナポレオン・ボナパルトからミシシッピー川以西のフランス領ルイジアナを買収することから始まります。これにより、広大な西部の土地を得るだけでなく、西部に住む農民たちが国境ではなくなったミシシッピ川を物流路として自由に使えるようになります。
領土の拡大(Expansion of territory)
  • 米英戦争
    • 1812年6月18日、アメリカ第4代大統領ジェームズ・マディソン政権のときに米国議会はイギリスに宣戦布告します。 ヨーロッパでのナポレオン戦争中、アメリカは中立を宣言をしますが、イギリスによる海上封鎖によって、アメリカは経済的打撃を受けていました。またイギリスの米船に対する臨検活動も反英感情を強めていました。
      1814年12月26日、ベルギーにてガン条約が結ばれて米英は講和、米英戦争は終結します。ガン条約の取り決めにより、両国が占領した地域は全て元に戻されることになり、アメリカ合衆国はセントローレンス湾での漁業権を獲得し、未払いの負債や略取されていた財産は返還されました。
  • インディアン戦争
    • イギリスからアメリカに渡った移住者や、ヨーロッパ諸国からやって来た移民にとって、最大の関心事は土地の獲得でした。移民は、アメリカ先住民族から土地を奪い、西へと開拓を進めます。
      • 1818年に第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローの時代、イギリスと旧仏領ルイジアナの一部と英領カナダの一部を交換します。
      • 1819年にスペインから南部のフロリダを購入し、これによって1マイル四方に白人人口が2人以下という開拓前線、いわゆるフロンティアが誕生します。
      • 1830年、アメリカ合衆国第7代大統領アンドリュー・ジャクソンはアメリカ先住民族を東部諸州から一掃すると称して強制移住法を作り、全アメリカ先住民族を、ミシシッピー川より西側に立ち退かせることにより、 彼等の全ての土地を手に入れます。その後、ミシシッピー川の西側に石油資源があることを知ると、
      • 1834年にさらに西に移動させ、1858年にはミネソタが州に昇格するのに伴い更に100マイル西方に境界が移動されました。そこはインディアン居留地と呼ばれ、居留地に住むことを条件に食糧を支給し、生活保護を与えて現在に至っています。
      • 1840年ごろから太平洋沿岸の新天地オレゴンを目指すようになります。このオレゴンを目指す道はやがてオレゴン街道と呼ばれ、西部開拓が盛んになった。移民たちはインディアンなどに襲われないよう、幌馬車で隊列を組んで移動しました。
      • 1844年に領土膨張主義を主張する、アメリカ合衆国代11代大統領 ジェームズ・ポークは、翌1845年には、メキシコから独立していたテキサスを併合します。
      • 1846年にオレゴンを併合して領土は太平洋に到達します。
      • 1848年にアメリカ合衆国代12代大統領ザカリー・テイラーは、メキシコ領内に侵攻し、メキシコ大統領のサンタ・アナ将軍を捕虜にしてテキサスの独立を承認させ、1848年の講和条約により、ニューメキシコとカリフルニアを買収することに同意させます。メキシコとの間で米墨戦争を行って勝利し、メキシコ北部ニューメキシコとカリフォルニアを獲得、1858年にさらにメキシコ北部を買収します。
      • 1848年に旧メキシコ領カリフォルニアで金鉱脈が発見されると、一攫千金を狙った多くのアメリカ人が移住し、ゴールド・ラッシュとなります。
      • インディアンや流れ者と戦いながら開拓し、生活用品は豊富な森林から自分で生み出すと言う移住者には、共通する開拓者精神(frontier spirit)が生まれます。
      • 1853年に第13代アメリカ合衆国大統領ミラード・フィルモアの時代、日本に上陸し、翌年にこれを開国させることに成功します。その後発生した南北戦争によって東アジア外交は停滞します。
  • 南北戦争
    • 19世紀初頭、産業革命を迎え工業化の進んだ北部では労働者が不足し黒人奴隷を解放して、労働者として使用しました。一方、南部では、英国からの綿花需要が拡大し、黒人奴隷に頼る産業構造でした。 領土が西部に広がり、植民地の人口が増加したことにより新しい州ができます、これらの新州に奴隷制を認めるかで南北の対立となります。
      • 1854年、北部を中心に奴隷制反対を訴える共和党が結党されます。
      • 1860年、共和党のエイブラハム・リンカーンが、農民の支持が多かった民主党を押さえ、アメリカ合衆国第16代大統領となります。彼は黒人奴隷解放を政策とし、北部の資本家から喜ばれました。
      • 1861年、南部の奴隷州は「黒人奴隷解放」に反発しアメリカ南部連合を結成して離反し、南北戦争となります。南軍有利で戦争は進んだが、北軍は海上封鎖などで対抗、
      • 1863年、エイブラハム・リンカーンは奴隷解放宣言を発表し、支持が拡大します。ゲディスバーグの戦いで北軍が勝利を収めると南軍の勢力が弱まります。
        1863年11月19日、ペンシルバニア州ゲティスバーグの国立墓地の開所式で行われた、エイブラハム・リンカーンの「ゲティスバーグ演説」は、民主主義の本質を語ったものとして世界的に知られています。
      • 1865年、南部連合は降伏してアメリカは統一します。エイブラハム・リンカーンは憲法を改正して奴隷制廃止を明文化し、黒人に市民権が与えられます。
      • 1865年4月14日フォード劇場で現代劇を観劇中、メリーランド州出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブースに至近距離からデリンジャー拳銃で後頭部を撃たれ、致命傷を負った大統領は1865年4月15日午前7時21分に死亡が宣告されます。
  • 米西戦争
    • キューバ共和国(Republica de Cuba)は、東にはイスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、南にはケイマン諸島とジャマイカ、北145km先にはアメリカ合衆国のフロリダ州があります。
      • キューバは、1492年10月27日にクリストファー・コロンブスの第一次航海で発見され、スペイン人による征服が始まります。
      • 先住民はスペイン人への抵抗を続けますが、1511年クリストファー・コロンブスの船団の一員スペインのディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルが率いる遠征隊によって征服されます。
      • 1868年に独立闘争が始まり、スペインは、反逆者と疑わしい人々の多くを処刑しました。
      • 1895年にはホセ・マルティなどの指導により独立闘争が再発し、キューバでのこれらの出来事は、アメリカの新聞各紙が、「スペインのキューバ人に対する残虐行為」と誇大に報道し、アメリカ国民の人道的感情を刺激しました。
      • 1898年2月15日にキューバ、ハバナ湾で米海軍の戦艦メイン(USS Maine)が爆発、沈没し260名の乗員を失う事故が発生、当時の米国のメディアは、この事件を「スペイン側の陰謀」「リメンバー・メーン」などの好戦的で感情的な報道をしました。これは、一層米国民を刺激することとなりました。
      • 1898年4月11日、第25代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリー(William McKinley)は内戦の終了を目的としてキューバへ米軍を派遣する権限を求める議案を議会に提出し、1898年4月19日に議会にて承認されます。(1969年米政府は「戦艦メインの爆発はエンジン故障による事故」という調査結果を公表)
      • 1898年4月25日に連邦議会はアメリカとスペインの間の戦争状態が4月20日以来存在することを宣言します。戦争開始と同時に、前年の1897年より香港に停泊して出撃準備を整えていた米国アジア艦隊は、1898年5月1日フィリピンへと向かい、マニラのスペイン艦隊を全滅させます。
      • その結果1902年5月20日、キューバはスペイン支配から独立します。
  • 米比戦争
    • 米国は、米西戦争で「フィリピン独立に協力する」を大義として介入します、しかし後のパリ条約においてスペインから2,000万ドルでフィリピンを購入し、自国の植民地にしようとします。フィリピンのエミリオ・アギナルド政権を承認しない米国はエミリオ・アギナルドの占領に対する抗議を相手にせず、軍政長官はエミリオ・アギナルドの抗議を「米国に対する戦争準備に等しい」として、米軍を次々と増員させ、戦争に備えたのでした。
      • 1899年2月4日、アメリカ支配側に立ち入ったとされるフィリピン兵が射殺されます。第25代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリー(William McKinley)は、この事件はフィリピン側によるマニラ市内への攻撃であったと新聞に語り、責任をフィリピン側に求め、米比戦争へと発展します。
      • 8月14日には、11,000人の地上部隊がフィリピンを占領するために送られてきました。戦争はフィリピンの独立に対する望みを絶つために行われ、反抗するフィリピン人60万人が虐殺されます。 フィリピン共和国を認めていない米国にとって、この戦争は反乱鎮圧でした。フィリピン共和国からの度重なる休戦の申し出に対し、「無条件降伏しか認めない」と申し出に応じませんでした。米軍は大虐殺を行いましたが、これらの事実は報道により外部に伝わることはありませんでした。米国民は、「フィリピンに平和と民主主義を拡大させるために米軍が戦っている」と信じていました。
      • 1899年11月にはエミリオ・アギナルドは家族とわずかな兵だけで各地を逃亡するようになり、米軍に協力するフィリピン人も有産階級を中心として多くなり、そんな彼らの「裏切り」により、1901年3月、エミリオ・アギナルドは米軍に逮捕されます。これにより、アメリカはスペイン植民地のフィリピン、グアム、ウエーク、サモア、プエルトリコをアメリカ領土とすることに成功します。
  • 1898年にハワイ王朝を武力で併合します。ハワイ王朝最後の女王リリウオカラニ(Liluokalani)は、イオラニ宮殿に近いワシントン・プレイスに幽閉された後、退位させられハワイ王朝は消滅します。

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