- 序論(Introduction)
- 1479年、カスティーリャ女王イサベル1世(Isabel I)とアラゴン王フェルナンド2世(Fernando II)が結婚し、スペイン王国が成立します。1492年にはスペイン王国がグラナダを陥落させてナスル朝が滅びスペインが統一します。
1489年、スペインとイングランドとの間でメジナデルカンポ条約(Treaty of Medina del Campo)が結ばれます。しかし、条約の大部分は実行されず、1492年の再交渉の後に、エクセレント(EXCELLENTE)が確立します。1エクセレント(EXCELLENTE)は金3.40gに相当し、375マラベーディ(MARAVEDI)に相当しました。 最初のリアル(REAL)は3マラベーディ(MARAVEDI)の価値でカスティリア王ペドロ1世(Pedro I)により導入され、1497年の再交渉では為替相場が増大し、1レアル(REAL)は銀3.24gに相当し、34マラベーディ(MARAVEDI)となります。 同年、スペイン・ドルと呼ばれた、オチョ・デ・ペソ(ocho de peso)の8レアル(REAL)銀貨が発行され、後にアメリカとアジアで広範囲にわたるようになります。
1516年、エスクード(ESCUDO)が確立されます。スペインやポルトガル及びその植民地などで使用された通貨単位で、現在では、大西洋の北、アフリカの西沖合いに位置する旧ポルトガル植民地のカーボベルデ共和国の通貨単位です。
1エスクード(ESCUDO)は87.5%の金3.38gに相当し、16レアル(REAL)に換算され、1レアル(REAL)は91.7%の銀3.38gに相当し、34マラベーディ(MARAVEDI)に換算されました。
1オンス銀貨のオチョ・デ・ペソ(ocho de peso)と混同を防ぐため、4レアル(REAL)、2レアル(REAL)、1レアル(REAL)そして、0.5レアル(REAL)が発行されます。 スペインでは1865年までレアルが続きます。 この期間に、スペインの貨幣鋳造は国際的な通商貿易で普及するようになり、何世紀にもわたって残るようになります。 - 内容(Contents)
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- 歴史
- 1516年、ESCUDO(エスクード)が確立されます。スペインやポルトガル及びその植民地などで使用された通貨単位で、現在では、大西洋の北、アフリカの西沖合いに位置する旧ポルトガル植民地のカーボベルデ共和国の通貨単位です。
1 ESCUDO(エスクード)は87.5%の金3.38gに相当し、16 REAL(レアル)に換算され、1 REAL(レアル)は91.7%の銀3.38gに相当し、34 MARAVEDI(マラベーディ)に換算されました。 - 1864年には、PESETA(ペセタ)が確立されます。1PESETA(ペセタ)は4.5gの銀または0.29gの金に相当し、100CENTIMO(センチモ) に換算されました。
- 1869年、スペインはラテン通貨同盟(LMU)に加入し、ペセタを導入します。
- 1927年、通貨統合は20世紀前半の政治的混乱で破壊され、通貨同盟は解体します。
- 1959年、スペインはブレトン・ウッズ体制(Bretton Woods system)(note1,)の一部となり、60ペセタ=1米ドルの値で固定されます。
- 1967年、ペセタは、英国ポンドの平価切り下げに続き、168ペセタ=1ポンド、70ペセタ=1米ドルと等しくなります。
- 1999年、ユーロが設立され、ペセタは2002年にユーロに切り替わります。為替レートは166.386ペセタ=1ユーロでした。
- 1516年、ESCUDO(エスクード)が確立されます。スペインやポルトガル及びその植民地などで使用された通貨単位で、現在では、大西洋の北、アフリカの西沖合いに位置する旧ポルトガル植民地のカーボベルデ共和国の通貨単位です。
- 硬貨の重量
- 16世紀〜17世紀頃の金銀の交換レートは、ほぼ1:16 なので、同じ大きさの金貨1枚に対して銀貨16枚となります。
- 法律銀1ポンドは12ディネロス(Dineros Ds.) = 288グラノス(Granos Gs.)になります。1ディネロ(Dinero Ds.)は24グラノ(Grano
Gs)になります。 8 REALES 銀貨の「10 Ds. 20 Gs.」は「10Ds.=10X24Gs.=240Gs.」→「240Gs.+20Gs.=260Gs.」→「260Gs.÷288Gs.=0.903」90.3%の銀貨となります。
8 Reales銀貨の「LEI OCHO DINEROS」は、OCHOは8ですから「8Ds.÷12=0.6667」66.67%の銀貨となります。
- 16世紀〜17世紀頃の金銀の交換レートは、ほぼ1:16 なので、同じ大きさの金貨1枚に対して銀貨16枚となります。
- スペイン植民地時代の造幣
- 最初のスペイン植民地時代の造幣は、1536年にメキシコの首都メキシコシティー(Mexico City)で始まりました。次は1568年に設立されたペルー共和国の首都リマ(Lima)で、最終的に、1574年にボリビアの都市ポトシ(Potosi)が設立されます。ポトシ(Potosi)は、4,090mの高地にある世界で最も高い都市です。高海抜で有名な造幣所で、高品質な銀が出土しました。鉱山都市として1546年に設立され、1556年から1783年で45,000トンの純銀が採掘されたそうです。このうち7,000トンがスペインに送られたそうです。(造幣=ミント)
- メキシコシティー(Mexico City) 1536年〜1821年 ミントマーク-M
- サント・ドミンゴ(Santo Domingo) 1542年〜1564年、1573年〜1578年 ミントマーク-SP
- リマ(Lima) 1568年〜1572年、1577年〜1588年、1659年〜1660年、1684年〜1824年 ミントマーク-P
- ラプラタ(La Plata) 1573年〜1574年 ミントマーク-P
- ポトシ(Potosi) 1574年〜1825年 ミントマーク-P
- パナマ(Panama) 1580年〜1582年 ミントマーク-AP
- カルタヘナ(Cartagena) 1622年〜1655年 ミントマーク-S
- ボゴタ(Bogota) 1622年〜1820年 ミントマーク-S
- クスコ(Cuzco) 1698年〜1824年 ミントマーク-C または CUZ
- グアテマラ(Guatemala) 1733年〜1821年 ミントマーク-G または NG
- サンチャゴ(Santiago) 1749年〜1817年 ミントマーク-S
- ポパヤン(Popayan) 1758年〜1822年 ミントマーク-P
- 最初のスペイン植民地時代の造幣は、1536年にメキシコの首都メキシコシティー(Mexico City)で始まりました。次は1568年に設立されたペルー共和国の首都リマ(Lima)で、最終的に、1574年にボリビアの都市ポトシ(Potosi)が設立されます。ポトシ(Potosi)は、4,090mの高地にある世界で最も高い都市です。高海抜で有名な造幣所で、高品質な銀が出土しました。鉱山都市として1546年に設立され、1556年から1783年で45,000トンの純銀が採掘されたそうです。このうち7,000トンがスペインに送られたそうです。(造幣=ミント)
- 歴史
- スペイン王室コイン(Spain Royal Family Coins)
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- ハプスブルク朝 1516年〜1700年
- 1516年に、ハプスブルク家のカール大公がスペイン王カルロス1世として即位し、スペイン・ハプスブルク朝が始まります。
カルロス1世 1516年〜1556年
フェリペ2世 1556年〜1598年
フェリペ3世 1598年〜1621年
フェリペ3世 1598年〜1621年
フェリペ4世 1621年〜1665年
カルロス2世 1665年〜1700年
- 1516年に、ハプスブルク家のカール大公がスペイン王カルロス1世として即位し、スペイン・ハプスブルク朝が始まります。
- ブルボン朝 1700年〜1808年
- カルロス2世の死去に伴い断絶したハプスブルク家に代わってブルボン家のアンジュー公フィリップが祖父のルイ14世の後押しによって国王として即位し、フェリペ5世と名乗ります。これはスペイン継承戦争を引き起こしましたが、王位が承認されてからは幾度もの中断期を挟みながらも現在に至ります。
- ボナパルト朝 1808年〜1813年
- 1803年に、ナポレオン戦争が勃発し、スペインは1808年ナポレオンの侵攻を許します。カルロス4世が退位しフェルナンド7世が一時王位を継承しますが、ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世となり、カタルーニャはフランス帝国の直轄地になります。
- ブルボン朝(第1次復古) 1813年〜1868年
- 1808年、イベリア半島でスペイン、ポルトガル、イギリスがフランス帝国と半島戦争(日本ではスペイン独立戦争)と呼ばれる内戦が1814年まで続き、1814年にホセ1世は退位し、ブルボン家のフェルナンド7世が国王に再び即位します。
- 革命政府 1869年〜1870年
- 1868年9月17日にフアン・プリム(Juan Prim)将軍の下に集結したセビーリャ、マラガ、アルメリアの守備隊によるクーデターが起き、市民も加わり革命評議会が結成されます。28日にはセラノ将軍率いる反乱軍が政府軍に勝利しブルボン朝の打倒が宣言され、イサベル2世はフランスに亡命します。
- サボイア朝 1871年〜1873年
- 革命評議会はフランシスコ・セラノ(Francisco serrano)将軍を首班とする内閣を結成し、翌年の1869年に憲法が公布されます。新政府は立憲君主制をとるため、サヴォイア家出身で、ナポリとパルマのブルボン家を滅ぼした統一イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次男アオスタ公アマデオが選ばれ、アマデオ1世として1871年に王位を継承します。
- 第1共和国(大統領) 1873年〜1874年
- アマデオ1世は、立憲体制に努めましたが、1871年にはフアン・プリムが暗殺され、政治的混乱に絶えず悩まされ続けたそうです。堪え切れなくなったアマデオ1世は1873年に退位し、エスタニスラオ・フィゲラスを大統領とする第1共和政が成立します。
エスタニスラオ・フィゲラス 1873年
ピ・イ・マルガル 1873年
ニコラース・サルメローン 1873年
エミリオ・カステラル 1873年〜1874年
- アマデオ1世は、立憲体制に努めましたが、1871年にはフアン・プリムが暗殺され、政治的混乱に絶えず悩まされ続けたそうです。堪え切れなくなったアマデオ1世は1873年に退位し、エスタニスラオ・フィゲラスを大統領とする第1共和政が成立します。
- ブルボン朝(第2次復古) 1874年〜1931年
- 1874年のマルティネス・カンポス(Martinez Campos)将軍のクーデターにより、イサベル2世から王位を譲られていたアルフォンソがアルフォンソ12世として正式に即位することになります。
- 1874年のマルティネス・カンポス(Martinez Campos)将軍のクーデターにより、イサベル2世から王位を譲られていたアルフォンソがアルフォンソ12世として正式に即位することになります。
- 第2共和国 1931年〜1939年
- 1929年の世界大恐慌の影響でスペインでは共和政を望む声が多くなります。1931年の総選挙で左派が勝利し、アルフォンソ13世は退位し王制から共和制へと移行しスペイン第2共和政が成立します。
アルカラ・サモーラ大統領(1931年〜1936年)
マヌエル・アサーニャ大統領(1936年〜1939年)
- 1929年の世界大恐慌の影響でスペインでは共和政を望む声が多くなります。1931年の総選挙で左派が勝利し、アルフォンソ13世は退位し王制から共和制へと移行しスペイン第2共和政が成立します。
- 共和国の崩壊 1939年〜1975年
- 左派政権樹立に対し、フランシス・フランコはモロッコで反乱を起こしスペイン内戦が勃発します。右派が勝利しフランシスコ・フランコの独裁政治が続きます。
- 左派政権樹立に対し、フランシス・フランコはモロッコで反乱を起こしスペイン内戦が勃発します。右派が勝利しフランシスコ・フランコの独裁政治が続きます。
- ブルボン朝(第3次復古) 1975年〜
- 1941年にアルフォンソ13世が死去し、名目上の王位を継承したアルフォンソ13世の4男バルセロナ伯フアンはフランシスコ・フランコと王位奪還に向けて交渉を行い、長男のフアン・カルロスを後継者とすることで合意します。1975年のフランコの死去とともにフアン・カルロス1世として即位し、現在に至っています。
- ハプスブルク朝 1516年〜1700年