個人様向け記録の紹介



思い出も記録とともに消滅していく。語り継がれる話しも大分わかりにくくなってきている。 デジカメ・ディスク記録が一般的な情報保管であるが、思い出や感謝の気持ちがいつまでも色あせる ことなく、子に孫に継がれていくには、人間味のる手描きの記録で、身の回りのそばに目の見えるところに あってこそと思っている。25年で600棟近いご依頼をいただいたのも皆様のやさしい心と生活のバックボーン である住まい・建物を大切にしていることから生まれたものと信じています。 建物はその人その人の人生をよく表現している。とくに生まれ育ったふるさとの家、子供の時に通った学校 、利用した駅舎、勤務した会社、そしてふるさとの街並み。記録、思い出の絵は保存されるのではなく 感謝をこめて身近に見ることのできる場所へさりげなく飾ってみる。そんな優しい心が今求められてきた ことは嬉しいことです。

アトリエOでは思い出の我が家や建物を心をこめて描かせていただいでおります。お問合せ・ご注文お待ちしております。
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失われつつあるものの記録
思い出の記録
保存建物の記録
文化財の記録







<失われつつあるものの記録>
●書斎のある木造二階建て住宅(水彩画2003.7.12)




親子二代、村山市で学校の先生をされた水野さんは、「チルチンびと」にある私の記事を見つけて下さいました。 村山市へ伺い、何時間も打合せをして、描き始めたのは午後3時を回っていました。描く位置を決めて、2人でのびた夏草を刈ったり と、忘れることの出来ない作品です。2004年新築となった木の住まいも描かせて頂きました。



山形県村山市/木造二階建(昭和26年竣工)
依頼者:水野清平様
-ご依頼者・水野様より-
2003年10月1日、ゴジラの形をした重機が突進しました。ガッとくわえたかと思うとギュッと 引っ張ります。屋根はなすすべもなく崩れていきます。木のこすれ合う音のみが最後の抵抗を感じさせるだけです。 試合前から結果のわかるK-1を見ているようです。でも、もう見たくても見られないのだと思い、がまんして見ていました。 解体後、絵を開けて見ています。解体前とは見る目が違ってきたように私自身思います。本当にいいものを描いて下さり、ありがとう ございました。


●五葉松のある家(水彩画1998.7.30)




取材の日の大阪は暑い暑い夏で、熊蝉の鳴声と夾竹桃と百日紅が印象的でした。1年後、田中様からお手紙を頂き、新築された住まい の写真が何枚も同封されておりました。青々と葉を茂らせた五葉松を見て思わず嬉しさが込み上げてきました。



大阪府摂津市正雀/木造茅葺
依頼者:田中義治様
-ご依頼者・田中様より-
新聞記事にて大渕氏の事を知り、我が家のスケッチをお願いしました。先代から受け継ぎ、補修を重ねて大切に 住んだ我が家ですが、道路整備の為、解体することが決まっていたのです。遠方から突然の以来を快諾して下さり、 真夏の炎天下、数日に渡って入念にスケッチされ仕上がった絵は、これが我が家かと見間違うほど美しいものでした。 今となっては、庭の五葉松だけが当時の面影を語るのみとなりましたが、氏の残して下さった絵のおかげで家族の記憶が 薄れることなく暮らしていた当時を思い起こすことができ、幸せと思っております。 有り難うございました。


<思い出の記録>
●木造の小学校校舎 栃木県茂木町川俣小学校(鉛筆画..)




今は廃校となって、陶芸家の人達がアトリエ兼住宅として使ってた。 オカリナの奏者「宗次郎」がこの校舎跡建物でオカリナ製作をしたという。どこか そんな音色が聴こえてきそうな森につつまれた小学校校舎である。 昔々ここの生徒だった卒業生からの所望で二枚仕上げることになった、思い出のスケッチ。 また、依頼を受けるはるか昔、茂木の友人に依頼してたオカリナが後に宗次郎作とわかり びっくりした思い出がある。



栃木県茂木町/木造二階建(昭和 年竣工)
依頼者:茂木川俣小学校の卒業生より
●木造の小学校校舎(水彩画1997.3.15)




二宮金次郎の石像がある板壁のなつかしい木造校舎を取材した事がありました。足尾方面、渡良瀬周辺と、何度か 足を運びました。コンクリートの建物に生まれ変わっていくのが一般的ですが、統合などにより廃校になって 姿を消してゆく運命のものも多いのです。村杜を同敷地に持つ、茂木町の飯野小学校もその一つでした。 窓奥から子供達の明るい声が聞こえてきそうな気がいたしました。



栃木県茂木町/木造2階建校舎
依頼者:稲田様
-ご依頼者・稲田様より-
町の高台にある私が通った小学校は、統合により廃校が決まりました。父も通った想い出深い校舎の スケッチをお願いしたところ、温かみのあるタッチの懐かしい校舎の絵が出来上がってきました。 それは我が家の宝になりました。同窓会に持参して思い出話に花を咲かせたいと思っています。


●東京駅(水彩画2000.5.23)




東京駅は昭和20年5月の空襲で延焼し、修復された姿が定着していますが、本来の旧駅舎は3階建の重厚な 造りでした。現在、その復元化運動もおきている様です。東京の代表的な赤煉瓦建築を、建築に携わった 先人達の苦労を偲びながら描いてみました。



東京都/東京駅舎
依頼者:青柳様
-ご依頼者・青柳様より-
東京駅は日本の顔、変化する時代と機能に一貫した個性の美を映す。日本の伝統と文化の象徴のように 思える建物の内部からは、人間を形作る模型のようであり、外観は山高帽子、編み笠、浮世絵、富士山を 連想させる。出発点の、道なら日本橋、鉄道なら東京駅。私の人間を考える思索の旅を始めた。 時代を考証する旅は各駅に途中下車するかのようである。いま一度私の人生は「東京駅」の姿を原点にしている。


●銀座ワコービル(水彩画2001.3.26)




昭和の激動の歴史を時を刻みながら見続けてきた銀座を代表する建築。 同じ時代の交詢社ビルが先頃姿を消して、少し寂しくなりましたが、いつまでも 残っていてほしい昭和初期の建物です。



東京都中央区銀座/銀座服部時計店(昭和7年竣工)
設計:渡辺仁
依頼者:谷擴子様
-ご依頼者・谷擴子様より-
「銀座は私の青春、そしてふるさと、銀座の絵を一枚」というご依頼で、ワコーを描き、ホスピスにお送りしました。 着後の電話が最後となりました。「ベッドから見える壁に飾りました。素晴らしい思い出をありがとう」


●村上市・川上本家(水彩画2004.8.29)




NHKテレビ番組「おはよう日本」で紹介されたのをご覧になった川上様より丁寧なお手紙を頂いたのが始まりでした。 「私が育った故郷の住まいを当時の姿で再現したい」との依頼で、氏の所有する大切な写真と郷土資料、何年も掛けて描いてこられた 平面図をもとに私は立面図、透視図を何枚も描いて資料とし、打合せを重ねました。 完成後、この思い出の記録を本家に持参されたとご報告頂きました。



新潟県村上市/川上本家 木造2階建て住宅
依頼者:川上様
-ご依頼者・川上様より-
私が分家するまで16年間過ごした生家、その前部分を解体したのが40年前です。20年ほど前から 建物をスケッチで再現して残したいと考えていました。そんな時NHKテレビで大渕さんを知りました。 私の想いを伝え、現地にも案内せずに記憶で書き留めた平面図と、古い写真を元に打合せを重ねました。 構造的にしっくりしない所も、43年前の写真の畳の敷き方から解決しました。それは感動でした。 私の願いが叶ったのです。


●「写真から描いてほしい」下野新聞社旧社屋(ボールペン画)




大正末期の建築という栃木県宇都宮市内にある下野新聞社旧社屋。 老朽化と新規事業の為、移転の新築が決定し昭和53年5月に解体され、今はない。 30年あまり勤めた母親の思い出と、幼い頃母に連れられ何度か訪れた旧社屋の思い出を一枚の絵に描いてみました。



栃木県宇都宮市池上町/



<保存建物の記録>
●酒蔵風景(鉛筆画1998.8.7)




創業が文政4年(1821年)と歴史も深く、品質にこだわって170年余りも続く老舗酒造会社です。本社社屋のオフィスも昔ながらの店蔵です。 この時は酒蔵の瓦屋根が全て見える屋上に登り、全景の描写として、長い歴史の重みを表現してみました。右端部の煙突は街のランドマーク になっています。



埼玉県久喜市中央/木造瓦葺
依頼者:鈴木様 寒梅酒造株式会社取締役社長
-ご依頼者・鈴木様より-
地元在住(当時)というご縁があって、大淵様の古き良き建造物をスケッチにして、大切にその存在を残すという お話しを伺い、当社の酒蔵を描いて頂きました。ここに描かれてるのは、当社の仕込み工場の屋上よりの酒蔵全景です。 力強さとキメの細かなタッチで、写真以上にその存在感をきっちりと伝えていると思います。 この絵は、今でも当社のパンフレット等にも活かされており、当社の酒造りの老舗としてのイメージづくりに役立っています。


●田余尋常高等小学校校門(水彩画2001.12.16)




役場の北側にあったレンガ門、県道拡幅にともない解体が決定しましたが、熱意ある人たちのボランティア活動で 保存されることになりました。総合文化センター公園に移築復元され、村の卒業生の心のモニュメントとなっています。 現在、校門の脇には桜が植えられています。



茨城県旧玉里村/総合文化センター公園内レンガ造校門
依頼者:池上様
-ご依頼者・稲田様より-
明治5年の「学制」発布以来、村は乏しい財政規模のなかで学校施設づくりに努めてきました。初期にはお寺や既存の建物の 間借り学校がほとんど。明治の中頃になってようやく自前の校舎が困難な財政の中、住民の血のにじむような負担や労力奉仕 を得て造られてきましたが、現代の校舎からみるとまことに粗末な建物でした。そんな中でも、この校門は田余村小学校に 高等科ができた明治の末から大正期にかけて、当時流行の赤レンガで造られ、村人の教育の期待や情熱を伝えています。 昭和37年の本校舎移転までの約50年間、3000人に近い卒業生がこの門から巣立っていきました。


<文化財の記録>
●長屋門のある住まい(水彩画1998.7.30)




真壁町は有形登録文化財が47件と関東では川越に次ぐ多さです。歴史が手付かずで残っている所も多く、町で開催するフォーラムやシンポジウムには、 私も出席させて頂いております。私の好きな魅力ある町の一つです。建築史家の河東義之教授(千葉工業大学)が真壁町を守る、 文化面の支援者となっており、その活動に少しでもお役に立てれば嬉しいと思っています。



茨城県真壁町古城/有形登録文化財指定(2003)木造瓦葺(1854年竣工)
依頼者:鈴木様 鈴木酒造株式会社 代表取締役社長/真壁を代表する建築の記録「真壁を描く」プロデュース/街並み保存活動「ディスカバー真壁」会員
-ご依頼者・鈴木様の手紙より-
本日、街並みの絵を一式頂きました。すばらしい街並みの絵が揃い、早速父の霊前に飾りました。手術する前に一時帰宅して、 店に飾った長屋門の絵に驚き、じいっと見ており満足している様子でした。絵葉書は、病院に持っていきました。 またお棺の中にも入れました。大淵さんは弔電を頂きまして有難うございました。




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