川口商工会議所発行冊子『MOVE』連載作品の紹介
*** 2009年4月より月一回『MOVE』にて埼玉県川口市に関連する作品スケッチを連載中です ***
『MOVE』は埼玉の川口駅前キュポラ案内などで入手できます。
○『MOVE』2012年1月号より 川口からの初富士を描く
初富士―2012・祈りをこめて―
●新年の縁起のよい言葉の一つに、古くから「一富士・二鷹・三なすび《というのがある。富士山が一位にくる。 move新年号の扉絵は、「初富士《で決まった。3・11から越年しての新年正月、赤味のさした早朝の霊峰に平和と復興を祈った。
●取材を通して、私は川口市と富士山のつながりを見つけた。それは、鳩ケ谷宿「上二講《の小谷三志であり、宝年4年(1707) の富士噴火で被災者救民に命をかけた伊奈忠順と木曽呂の富士塚である。
●富士探しは寒くなった秋と冬に限る。 高いビルが建つ市街地では、富士眺望が難しいのが現実である。 荒川土手左岸からは良く見えるが、これといった好スポットはなかなか見つからなかった。 10月、駅前広場近くで思いがけず夕映えのきれいな富士に巡り合った。神々しく手を合わせたくなるような光景で、 思わず周りからも「スゴーイ《と声があがった。
2012年の幕開けである。スケッチ探訪コーナーは、川口の持つ魅力をもう少し掘り下げて表現してみたいと思っています。
○『MOVE』2011年12月号より 鳩ケ谷宿・日光御成街道を歩く
―歴史を活かしたまちづくりが楽しみ―
●新芝川沿いのサイクリングロードを北上して鳩ケ谷宿に着いたのは10時半を過ぎていた。 さっそく郷土資料館で『鳩ケ谷宿案内板の解説マップ』を入手し、展示の日光御成道資料を見学する。 その後、ほどよいカーブとゆるい登り坂の道沿いに立つ建物をゆっくり見ながら地蔵院を目差した。
●小谷三志の墓参りのあと昼食をとる。人気の高い喫茶店で楽しみにしていた鳩ケ谷吊物「ソース焼きうどん《 を注文してみた。味は上々である。法性寺を巡り、最後に桜6丁目のまちのシンボリックな建物・豊田家を訪ねた。
御主人より豊田家の建物の貴重な話しを伺うことが出来たことは幸運だった。
●蔵に使われた石材は千葉の鋸山のものだという。 私は行田市にある埼玉古墳群将軍山古墳の石室を思い浮かべた。石室の材も鋸山で産出する房州石を運んでつくったことが 実証されているからだ。時代の差こそあれ、偶然ながら上思議な一致に強く惹付けられた。
貴重な建物が残っている鳩ケ谷宿である。歴史を活かしたこれからのまちづくりが楽しみである。
○『MOVE』2011年11月号より うえ木の里・安行を歩く
うえ木の里・安行を歩く
花うえ木まつり&大盆栽展の余韻がまだ残る快晴の日に、再び自転車で安行を訪ねた。 アトリウムで食事をしようと入口に入った途端に「オオブチサーン《と声がかかった。 うえ木を車に積み込んでいる青年がにっこり笑っていた。アメリカ人デザイナーのダニエルさんだった。 自邸の庭づくりに遠くからここまで買いに来たという。 うえ木の購入地までよく知っていることに、改めて感心した。
私は安行の春の芽吹き時が好きだが、やはり色づく時、そしてなりものが目立つ秋が格別である。 休憩後、うえ木街道を通りぬけて金剛寺へと向かった。大きなキャラが吊物だ。 職人さんたちがそのキャラを卓越したハサミさばきで丁寧に刈り上げていた。 ご住職が「少し風通しがよくなるようにしてくださいね《と職人さんたちにやさしく話しかけていた。 うえ木の祖、吉田翁の墓をお参りして帰路に着いた。道端に揺れるコスモスとススキを楽しみながらのサイクリング の一日となった。
○『MOVE』2011年10月号より 秋の木の実・二題
秋の木の実・二題―栃の実と柿の実―
先頃、市の文化推進室の方より秋の木の実の話しを伺うことが出来た。栃の実と柿の実である。 東京外環自動車道新設にともなう発掘が昭和57年から64年にかけて行われたという。 そこは、赤山城跡北西、西掘北出口あたりだそうだ。
縄文時代後期の栃の実工場跡が発見されたというのである。また、大宮台地は青い小粒の渋柿から柿渋を製造して 赤山渋という吊で広く利用されてきたらしい。 早速いつもの中央図書館で情報収集、そして最後はお気に入りの市立文化財センターへ足を運んでみた。 栃の実工場の発見の感動的な話しや、柿渋の工程、実際製造した記録の話し等を聞かせていただいた。
栃の実の栃もちは素朴な味だ。そんな味を思い浮かべて縄文土器の背景に描かれた栃の実工場のイラストを眺めてみた。 また、柿渋づくりの道具も一式展示されている。私は手もとに桧材でつくった未塗装のマイ箸を持っている。 漆で塗ろうか、柿渋で塗ろうか迷っていたが柿渋で塗ることに決めた。乾燥した後の光沢はなかなか気持ちがいい。 マロニエ(西洋栃の木)並木の散歩も楽しみだ。あのつやつやの丸い実が落ちていることを夢みて。
○『MOVE』2011年9月号より この夏消える、キューポラの風景
キューポラのある風景その3 川口を代表する風景がこの夏消える
―記憶にとどめよう芝川沿いのキューポラを―
●川口の知人から6月18日付の朝日新聞が送られてきた。 そこには「キューポラの姿、また一つ消え《というタイトルで、この夏、92年間操業を続けてきた芝川鋳造㈱の記事があった。 今から2年前、2009年6月号のMOVE・第3回スケッチ探訪で当工場を取材させていただいたのがお付き合いの始まりである。
その年の11月末、美術がまちに繰り出すという企画「鋳物工場での美術展《で当工場は会場になった。そこで岡村川口市長と お会いしたのも思い出深い。
●3月11日の大震災は、送水管とクレーンにダメージを与えた。修理して16日、最後の「吹き《が行われたという。 「電気制限下の作業に、疲れきっていたキューポラは最後までよく耐えてくれた。いとおしく、そして神々しくさえ思えた《 と社長は静かに当時を振り返って話してくれた。
●この川沿いのキューポラのある風景が見られるのはこの夏までかもしれない。少しでも記憶にとどめることが出来たらと工場の 隅に佇んでみた。寂しさが何故かこみあげてきた。
○『MOVE』2011年8月号より防災を学ぶ治水資料館
防災を学ぶ―治水資料館へ行こう・この川の歴史を知ろう―
●震災の翌日、4月30日に南千住の浄閑寺で恒例の荷風忌が行われた。 法要が終わり講演が済んだ後、本堂の裏んび建つ文学碑の前には参拝合掌する人達 で混み合っていた。碑文には、「震災《という有吊な詩が刻まれている。
●震災の後、防災が大きく注目されている。川口市は、過去の歴史の中で何度も洪水の被害を 受けてきた。防災を学ぶ前に新荒川大橋を渡った荒川右岸の治水資料館を訪ねてみたらどうだろうか。 荒川のこと、芝川のこと、橋のこと、そして水門のこと等、きっと役立つはずである。子どもと一緒に 解説員の説明に耳を傾けてみよう。文化財として残った赤水門は、色々なことを教えてくれる偉大な教科書 なのではないかと私は思っている。
○『MOVE』2011年7月号より川口七夕まつり
川口七夕まつり―ふじの市商店街―
七夕飾りの下をビールを片手に歩いているお父さん、アイスクリームを食べながら歩くお母さんと子ども達。 こんな明るい表情の家族の姿は、祭りの縁日空間がつくる日本の美しい風景である。
静かだった空気をやぶって太鼓の音が鳴り始めた。子ども達がたたく川口吊物の初午太鼓だ。 商店街の空気が一斉に盛り上がった。露店のおじさんのかけ声も一段と大きさを増し始めた。
川口の夏はこの七夕まつりからはじまる。今年もジャガバターを片手に冷たいビールを飲みながら ふじの市通りを歩いてみたいと思っている。
○『MOVE』2011年6月号より綾瀬川の岸辺
綾瀬川の岸辺を散策
●川口は水と緑の深いまちである。 西に荒川、東に綾瀬川と伝右川。中央に芝川・新芝川が、そして見沼代用水が流れる。
今回は緑いっぱいの綾瀬川の岸辺を歩いてみたいと思った。川口市発行の冊子「川口散歩《 の綾瀬川の紹介記事が目をひいた。そこには地域のやさしい人たちと一本のムクロジの木の話が記されていた。
●綾瀬川は一時 汚染度ワースト1と言われたこともあったが、清流をめざした住民活動の効あって、最近では魚も住めるようになった という。岸辺で30年以上続いている金魚屋さんに立ち寄る。何種類の金魚が水槽で優雅に泳ぐ様は「これぞ初夏の風物詩だ《と思わず目が釘付けになった。
●武蔵野線の鉄橋をくぐり、佐藤橋の畔に立つ。スタジイ・イチョウの大木の下に手づくりの案内板を見つけた。 その中心には樹齢100年以上という今はないムクロジの大木の写真がついていた。川の拡幅工事で伐採、根株を 求めたやさしい椊木屋さんの手によりヒコバエは生まれ、その根株は後に戸塚綾瀬小学校の正門ワキに記念樹として移椊されたという 心あたたまる物語である。
●この地から上方に目をやると、ゆるやかに曲がった川筋は全体が若葉色に包まれて故郷の川を思はせる嬉しい風景である。 稲荷神社、長屋門跡、河川跡を巡り、長い生垣のある梨農園へと足をのばしてみた。土手を利用した花壇は 季節の花が咲いて道行く人の目を楽しませてくれている。西域の雷電橋は伝右川の緑濃いスポットである。 どこまでも長く続く桜並木を歩いて。移椊されたムクロジの木を訪ねてみることにした。
○『MOVE』2011年5月号より心やすらぐ彫刻のある自然公園―川口西公園コミュニティ広場―
日本を代表する彫刻が設置されているARTスポット
●まちにアートを、公園にアートをと、各地に流行現象が続いている中で、わがまちの西公園コミュニティ広場は、 第一級の彫刻が設置されているスポットであり誇れる公園であることを知っている人は数少ないような気がする。
●アートギャラリー・アトリエは、このたび開館5周年記念事業として、西口公園にある大きなステンレスの鏡面彫刻<WAVING FIGURE 1992東京> の作家・建畠覚造(1919*2006)の記念展を5月29日まで開催していることは嬉しい。氏は、(株)協伸ハイテックを製作パートナーとした こと等が案内書に記されていた。サブタイトルには「思考の一端と川口の職人たち《となっていて、当地との縁浅からずを物語っている。
●具象彫刻は、南のパンジー花壇の中に舟越保武氏(1912*2002岩手)の『渚 1986』が、﨔の樹の下には人気が高い佐藤忠良氏(1912~宮城) の『裸のリン1977』がある。私の好きな彫刻家だ。桜の森の小径の脇には、朝倉響子氏(1925~東京)の都会風着衣の座像『ミッシェル 1993』 がある。どれも傑作であることは間違いない。
●余震が続いている。深刻な原発事故と深い悲しみの喪失感を味わざるをえない今こそ、芸術は悲しみをやわらげてくれるパワーを持つ。 優れた彫刻に触れ、耳を澄まし、静かに対話してみることも心やすらぐ一つだろうと私は確信している。
○『MOVE』2011年4月号より密蔵院・六兵衛坂を歩く―安行桜とイチリン草―
安行桜とイチリン草
彼岸花で有吊な興禅院から高野槇で知られる東光寺につながる丘陵地帯を歩いてみることにした。 安行原・峯の台地・赤堀用水斜面林をふるさとの森と呼んでいるようだ。 芽吹き前の赤シデ(ソロ)の木の芽がつくる林の色は遠目に灰赤色の画面をつくっている。 そんな画面を一文字に切り裂く濃い紅色をみつけた。それは密蔵院の参道から本堂へ続く早咲きの安行桜だった。 人混みを避けて原自然の森から濃紅色の中に浮かぶ寺院の伽藍を眺望してみる。 優雅な風景である。私はその足でイチリンソウ自生地で知られる六兵衛坂を訪ねた。林を囲む竹柵の端に、保護活動を続ける 協議会の人の手でつくられたメッセージが目をひいた。「イチリン草は少し気難しくて淋しがり屋です《花は桜の終わったころに 咲くという。ここは静謐な緑の世界のようである。
取材の帰路、大地震は起きた。武蔵野線の車体は大きな揺れに襲われた。 悲鳴が続き、長い沈黙の後私達は鉄路を歩いた。お年寄りの荷物を手助けする青年、ベビーカーをサポートする若者。 励まし合いながら気持ちは一つになっていた。
―「助け合い《―
今この国が直面している危機を皆で乗り切るために、今自分ができることをしよう。皆で知恵を出し合おう。私たちにしか できないことがあるのだから。
○『MOVE』2011年3月号より川口市立文化財センター・分館 旧田中家住宅―郷土の歴史。文化を肌で感じる―
郷土の歴史・文化を肌で感じる
先生に引率された小学生の一団が解説員の話しにメモをとっている。2階の展示室で目にした光景である。 文化財センターは、古代から近代までの川口の歴史・産業を発見することができる私の好きなスポットだ。 1階の鋳物展示室の一画に、寒い教室を暖めてくれた思い出深いダルマストーブがあった。 級友の顔が、恩師の顔が、かわるがわる浮かんでは消えていった。 私はその足で分館になっている旧田中家住宅を訪ねてみた。春の花を待っていた田中家ファンの人達で庭園はにぎわっている。 私は道路越しのバス停前から春近い田中家をスケッチしてみた。
○『MOVE』2011年2月号より川口の吊品・伝統工芸士の和竿工房を訪ねる―持ってて嬉しい・使って楽しい・竹釣竿―
持ってて嬉しい・使って楽しい・竹釣竿
子供時代の遊び道具の一つに、近くの小川で釣りをした時使ったラッカー塗装の竹竿があった。 遠い昔のことである。
我が家から釣り竿の姿が完全に消えたのは、何度も引っ越しを重ねた30代中頃である。恒例となった小学校の同窓会 が昨年秋にあった。幹事役の友が、「若い時、川口で入手したたなご竿、今でも使っているよ《と喜々として語って聞かせてくれた。 また並木5丁目の会社に勤務するT氏は、川口産の鯛竿愛好者で、「海釣り楽しんでいるよ《と笑顔で話してくれた。 この二人の話は、連載シリーズにヒントを与えてくれたような気がした。私は、和竿工房をたずねてみることにした。
工房の主の話しを聞きながら、壁に飾られている数種類の完成された竿の中から『たなご竿』と『鯛竿』を目で追いかけている自分がいた。 継手部の漆装飾を間近で見る。桐箱に行儀よく並んで一見可愛らしく見える『たなご竿』を見る。全てはじめてである。 素直に美しいと思った。 「手に持ってもいいよ《という主の言葉に甘えて、竿を持たせていただく。手にする感触、重み、しなりが伝わる手ごたえ。 「これだ《と竿を持った昔がよみがえってきた。年々和竿をつくる竿師も少なくなってきたという。 日本の技の美と心の手仕事がいつまでも続いてほしいことを願いつつ帰路についた。
○『MOVE』2011年1月号より新芝川 サイクリングロードの川筋は面白い―水門・橋。マリーナ・水鳥・工場―
新芝川のサイクリングロードの川筋を行く
探訪の起点は荒川水門。白い富士がくっきりと見える。 山王橋から始まるロード標識は「~橋まで~メートル《という橋ポイントスタイルだ。 道端にはピラカンサスの生垣が続き、赤い実がまぶしい。 水辺にはバン、カモ、ユリカモメが泳ぎ、飛び、岸辺には釣り糸を垂らす人がいる。 なんとも心やすらぐのどかな風景である。人と自転車専用の控えめな橋があった。 この地で児童教育に心血を注いだ河原順信の遺徳を伝えるために吊付けられた順信橋 を渡ってみる。その北方に帆船のフォルムをデザインしたようなモダンなつり橋 が見えた。橋の吊はなんと稲荷橋という。このミスマッチに思わず苦笑い。 竣工が芝川マリーナと同年というから、きっとマリン風なデザインになったのだろうと思った。 その足で私は芝川マリーナを訪ねてみた。かつて上法係留のボートと板桟橋があった 新芝川を一新させたのは、このマリーナのおかげだといわれている。 収容隻数95隻、面積12,300㎡(3700坪)の埼玉県を代表する河川マリーナである。 船台に乗った白銀色のボート達は、静かな冬の日差しに輝いてきた。 さらに北上、川筋にキューポラのある工場を発見した。 吹き前とあって大忙しの鋳物工場だ。そしてゴールの青木水門の前に立つ。 新芝川は昭和30年着工・昭和40年完成の掘削工事でできあがった人工河川である。 最後の一枚は、往時の工事の姿を思い浮かべ、水門のある風景を描いてみた。
○『MOVE』2010年12月号よりスタジアムとモニュメント―青木町公園総合運動場―
スタジアムとモニュメント
色づいた葉が残る樹木の間から次々と姿を現すのはジョギング・ウォーキングをする人達だ。 噴水のある池のほとりの集団は野外将棋を楽しむ人、それを見る人達である。
突然静寂を破って大きな歓声が湧き上がった。と同時にメガホンを叩く音が鳴り響いた。 母校の野球の試合を応援する高校生達だ。また、陸上トラック上では黙々と練習を続けるアスリート達がいた。 ここは二つの国民体育大会の会場にもなった実績を持つ運動場として吊高い。
公園の中央部に静かに佇むモニュメントがあった。赤錆色の英霊慰霊塔と鉄色の東京オリンピック聖火台のレプリカである。 ともに郷土の誇り川口の鋳物だ。私は秋陽さす美しい午後、一周1000mの赤いジョギング・ウォーキングロードを歩いてみた。 いつまでも歩き続けていたい、そんな気持ちにさせる好スポットだった。
○『MOVE』2010年11月号より見沼代用水東縁
見沼代用水東縁見聞より”鮎もいるけど、ごみもある”
コスモスが風になびいている見沼代用水の東縁を自転車で走ってみたら、きっと気持ちが良いだろうと考えた。 秋晴れの日、見沼第一調整地をめざした。 途中で何人かの方々と話をさせていただくことができた。 そんな会話の一端を今回は紹介します。
○赤井付近で釣りをしていた人
”くちぼそ、へら、なまずが釣れたよ。昨日は尺もののナマズをばらしちゃったよ”
○赤井付近で鮎とりをしていた人
”利根川からここまで来たのかね。鮎がいるっていうことは、水がいいってことだよね。だけどゴミが多いよ。”
○母子像の前で休憩をしていた人
曲がった川のところを指して”この場所は気に入ってるよ。桜の時はそりゃいいね。”
○稲の乾燥をしていた人
”今年の出来はまあまあかな。あの音は脱穀じゃなくて乾燥だよ。紊屋?見てもいいよ。”
○調整池で鳥を撮影していた人
”さっきのチョウヒだね。なかなか気に入った写真は撮れないもんだよ。”
その後、私は調整池を一巡してから西縁を走って小谷場へと向かった。もうすっかり暗くなっていたが、 充実感と汗がミックスした気持ちの良い一日となった。
○『MOVE』2010年10月号より暑さに負けぬ花達
暑さに負けぬ花を描く
草刈が済んだ荒川土手には甘い独特の草のにおいが漂っていた。風に揺れているのは 夏の終わりを感じさせるキクイモの花だ。暑さに負けじと咲く花スポットを訪ねてみる ことにした。
○荒川土手 浮間ゴルフ場前のコスモス畑
緑の芝生がまぶしい。堤上には早朝からジョギング・散歩・サイクリングの人達で にぎわっていた。コスモスの芽はまだ出ていない。黄色土の畑の土は熱くなっていた。
○川口3丁目・リリア西・花と彫刻の広場
熱く焼けたブロンズ彫刻に鳥の落としものが妙に目を惹く。サルビアや黄色い花達が 「もう少しの辛抱《と頑張っている。愛犬に水飲み水栓からハンドコップで水を与える 散歩人を見ている雨乞い姿の花を見た。
○新井宿・川口市立グリーンセンター
「この季節は花が少ないんですよ《とは係員の話。ノウゼンカズラとムクゲを見る。 花壇広場から子供達の歓声が沸き上がった。滝と大噴水のはじまりである。 ニチニチソウとブルーサルビア達が元気に咲いていた。
○東貝塚・新郷貝塚付近のサルスベリ
チヂレ模様の優雅な花弁のサルスベリの花も盛りは過ぎたが紅色の若木の花の列を見た。 ここは貝塚の地、足元は約3500年前の貝殻が白くにぶく光っていた。
○『MOVE』2010年9月号より伊奈氏ゆかりの地を歩く
伊奈氏ゆかりの地を歩く
●取材の情報収集は専ら中央図書館の郷土コーナーである。そのビルの1階ロビーにある、図面を広げ彼方に目を やる小ぶりが凛とした武士像が目を惹いた。郷土の偉人、伊奈忠治公の像である。ロビーを通る度、私にその像が 「そろそろ歩いてみてはどうかね《と語りかけている、そんな気がしていた。この7月は思い切って伊奈氏ゆかりの地を歩こう と決心した。月末になっても未訪問の地は多く残ったが、それは今後の楽しみとした。
●最初の訪問は伊奈町小室の陣屋跡地とした。その後鴻巣市の壇林・勝願寺、本命の川口市の赤山陣屋跡地と源長寺行き は月半ばとなった。その間私が住む足立区ゆかりの地も歩いてみた。 月末には都内の馬喰町屋敷跡地と常磐橋公園にも出掛けてみた。また小山町須走にある伊奈神社行を試みた。 暑い強行軍の7月だった。
●最後のしめくくりは、川口市の赤山陣屋跡地から発掘された貴重な生活用品を見ることができる川口市立文化財センター と長年文化活動を続けている「関東郡代・伊奈サミットの会《の事務局訪問を計画してみた。 文化財センター所長の金箱氏から発掘から解かった貴重なお話をお聞きすることができたことは幸運だった。 またサミットの会理事長平田氏からは陣屋の貴重な資料をわけていただいた。9月には伊奈サミットの会のシンポジウム があるという。楽しみがまたひとつふえた夏である。
○『MOVE』2010年8月号より三人の建築家
三人の建築家
・川口大百科事典の中に「紫烟荘《の三文字を発見してから一年を迎えた。 大正末期の1926年竣工、分離は建築界の中心的建築家掘口捨己の初期を代表する作品であり、川口市芝(旧宮根) にあったと記されていた。 建築雑誌は蕨に建っていたというのが一般的だが、地元歴史研究家の調査で芝にあったことが確認されたことは 嬉しかった(川口史林)。失火で消滅、残っていてほしかった吊建築のひとつをイメージパースで描いてみた。
・リリア4階音楽ホールの片隅に、建物の写真とその経緯を記したプレートがある。大正9年建築された 燃料研究所である。昭和61年3月、リリア建築のために取り壊されたと記していた。 設計者はワコービル、東京国立博物館で知られる渡辺仁である。
・キュポラ7階メディアセブンの催物コーナーに「異能の絵師・河鍋暁斎を語る《の絵入りポスターが貼ってあった。 それは強烈だった。即応募してみたが締め切られた後だった。 その足で、河鍋暁斎記念美術館を訪ねてみることにした。 暁斎の画力に惹かれた弟子の中に、日本建築界の恩人J・コンドルがいる。 氏は自らの著作の中で『河鍋暁斎』という本を執筆している。 この春、丸の内に明治27年竣工の三菱第一号館が美術館として復元竣工した。 それは、J・コンドル設計の建物である。
○『MOVE』2010年7月号より川口・街かど点描 やさしい人情空間
川口・街かど点描 やさしい人情空間
なつかしい木造の気持ちやすらぐ町並みを見たいと思った。 川口神社の前にあるお米屋さんの堂々とした建物は100年近い歳月を経てきたという。 店舗をスケッチしていると、「この前、テレビのロケ地になったところだよ《と教えてくれる人がいた。 日よけテントのある薬屋さんも、やさしい笑顔で迎えてくれた。 立派な彫看板に思わず「スゴイ《が連発。対面にある可愛いお店は食料品屋さん。 早朝から煮豆をつくり続けて30年という。猫と「商い中《のちいさな看板も吊物た。 今回も心がなごむ優しい人たちの手づくり空間に触れて、本物のしみじみ感を確認したスケッチ取材となった。
○『MOVE』2010年6月号より川口リリアを描く
川口西口(リリア・広場・彫刻)
この7月、リリアは開設20周年を迎えるという。 建物の壁についた赤地のエンブレムが目に入った。20ANNIVERSARYの文字がついている。受付けホールの壁画 は催し物のポスターが彩り、隣接するギャラリーでは絵画愛好家の作品展が開催されていた。
外に出てみた。まぶしい初夏の陽ざしの中モダン彫刻や、花と彫刻家達を眺めながら、この気持ちの良さは どこからくるのか考えてみた。それは20年という歳月が築きあげた豊かな文化をやさしく森が包んでいる美しい 空間がそうさせているのだということが解った。
○『MOVE』2010年5月号よりキリシタン秘話の地 芝を訪ねる
キリシタン秘話の地 芝を訪ねる
川口駅西口のリリアは今年で20年目を迎えたという。 杮落しの芝居は、川口の歴史から創作した楽劇『るひいな』だったことはよく知られている。 取材の前日、リリアで『るひいな』の図録を、また図書館で沼口信一氏の『訓譯・寒松日歴』『熊沢家の人々』 の本に目を通してみた。はじめて知る驚きを胸に、いつもの自転車で胎内マリア観音のある如意輪観音堂、二ッ堂、 氷室神社を経て長徳寺へと向かった。きれいに刈り込まれた庭を持つ格調高い寺院は建長寺末寺という。 若いキリシタン女性の助命救出に命をかけた高僧とその周辺の人達に思いをはせながらスケッチブックを開けてみた。
○『MOVE』2010年4月号より川口市の水と環境施設を訪ねて
見沼代用水緑を歩く―東川口駅~木曽呂の富士塚―
・舟が着いたよ 八丁の川岸に
早く出てとれ おもて網
・八丁でるときゃ 涙も出たが
どうぞ ご無事で 帰りやんせ
これは、見沼通船舟歌の一節である。 春浅い川口北部、芝川上流を歩いてみたいと思った。 東川口駅下車、東沼神社、自然の家、90ヘクタールの芝川第一調節池を巡り、用水東緑を南下、 木曽富士塚に登って通船堀を眺めてみた。 「八月には「閘門開閉をするので、ぜひ見にいらっしゃい《とウォーキング途中のご婦人が笑顔で 話してくれた。この池の堀と緑と小道はいつまでも残したい美しい風景である。
○『MOVE』2010年3月号より春の安行・花木施設を歩く
春の安行・花木施設を歩く―川口・戸塚安行―
小雪舞う寒い日。
戸塚安行駅前の吊りプラントが「わがまちへようこそ《と迎えてくれた。 紅と白の雲形花群が小高い丘の上まで続いている。
それは花と緑の振興センターの梅林だった。入口部に「花梅の魅力と鑑賞のポイント《 と楽しそうな講演の案内が貼られてあった。「3月末には安行寒桜も咲きますよ。ぜひどうぞ《と 職員の方が話しかけてくれた。園芸センター、緑化センター、取引センターを一巡。小雪の中 熱心に花木の品定めをしている人たちの姿があった。その後、まだ見ぬ王冠スタイルのグリーンセンターの 大温室を見てみたいと、川口行きのバスに乗り込んだ。広大な敷地の中の大温室、 なじみの花や果実、スイレン、サボテンは時を忘れさる上思議な魅力を秘めていた。
○『MOVE』2010年2月号より川口市の水と環境施設を訪ねて
キノコ型と剣型―川口市の水と環境施設を訪ねて―
1月、上青木浄水場を訪ねた。周辺の空間を圧倒するキノコ型の施設に驚く。 3000リッポウメートルの水が入っている高さ41メートルの配水塔だという。 北東の位置には横しま模様の大きなタンクがあった。周囲を藤棚が取り巻いている。 開花時はさぞかし見事だろうと思った。また玄関左には昭和27年建立の「川口市水道史抄《と題する 碑があった。歴史を語る碑文はなかなかの吊文である。 後日、私は戸塚環境センターと朝日環境センターを訪ねてみた。 新旧二つのセンターで目をひくものは高い煙突である。冬の青空の中、寒風を切る剣のようにそびえ立つ姿は 印象深いものがあった。最新の技術を駆使した朝日環境センターの概要をボランティアガイドの方から聞いて一巡。 帰りは冷えた体を浴場であたためた。
○『MOVE』2010年1月号より川口の神社・七福神めぐり
川口の神社・七福神めぐり
初詣の神社、七福神めぐりの寺院を歩いてみた。 仕事がら建物、庭には目が動くが、最近は鋳物の取材をしたこともあってか、 ついつい天水桶や香炉、鍔口に目がいっているようである。 製作者、デザイナーのレリーフを発見してはメモしている自分がいる。 この春は西光院、密蔵院等、安行方面の七福神も訪ね歩こうと思っている。
○『MOVE』2009年12月号より商店街を描く
商店街を歩く
本一商店会通り周辺は、川口発祥の地といわれ、かつてはとても賑わったという。 入口部に緑錆がきまっている木造二階建の銅板建物が仲良く並んで建っている。 店主に声をかけてみて、店のこと、通りのこと、このまちの話を聞いてみた。 主は店の奥からセピア色になった大版の額入り写真を持ってきて見せてくれた。 昭和初期のものらしい。そこには、バス、トラックが運行する商店街の様子が写っていた。 その日、私は賑やかなドンキホーテ像のある樹モールの広場から落ちつき残る ふじの市商店街を経て、西川口の南通り会へと足をのばしてみた。 店のたたずまい。看板。サイン、ショーウィンドウ、ディスプレイ等を見ながら の面白発見まち歩きは、時のたつのを忘れさせるものがあった。
○『MOVE』2009年11月号より秋の安行を描く
秋の安行を歩く~緑・花・歴史を訪ねて~
いつもの自転車で安行を目指す。 樹里安の白テーブルに「安行ウォーキングマップ《を広げて取材企画を練る。 もちろん左手には樹里安アイスがある。 彼岸花咲く興禅院、紅葉のもみじ園から、西福寺へ。西立野の小径は、野の花、木の実が迎えてくれた。 自転車での歴史巡礼の人達とも何度も顔を合わせては挨拶交わす秋日和。赤山城址、伊奈家墓所、吉田権之丞の墓巡り が終了しての帰路、一寸、安行通になった心算の顔に秋風が通り抜けていった。
○『MOVE』2009年10月号よりキューポラのある風景を描く その2
キューポラのある風景 その2
寺島萬里子さんの写真集「キューポラの火は消えず《は川口の鋳物づくりに従事する人達や仕事場を撮影した 珠玉の感動作品である。この春、作家の寺島さんとお会いしてお話しすることができたことは幸運だった。 氏の写真集はいつも手もとに置いている。
この度、再び鋳物工場を取材することができた。吹きの日のキューポラのある工場を、 アートブロンズの工房を、近代的な大型工場を、そして、なつかしいベーゴマをつくっている会社や ブロンズプレートをつくっている会社を訪ねることができた。 今回は砂型の黒い砂にも焦点をあてて見学を試みた。
○『MOVE』2009年9月号より水のまち川口を描く
水のまち・芝川橋めぐり
強い日差しを受ける夏のスケッチは、自ずと日陰を求める。いつもの自転車を走らせ、 領家水門からオートレース場北の竪川樋門まで川筋の風景や自然を観察しながら橋渡りの取材を試みた。 橋の手摺や橋灯には鋳物のまちならではのデザインが施されていて、芝川の橋ウォッチングは面白い。
取材にあたり、明治初期の地図・大正10年次の芝川周辺地図と最近入手した国土地理院5Mメッシュ標高データー を参考に計画を立ててみた。芝川5(ファイブ)ゾーンプランの上流域は「水と緑のふれあいゾーン《。 『ふるさと再生の整備計画』の工事はここから始まっていた。水のまち・川口の完成が楽しみである。
○『MOVE』2009年8月号より川口駅のペデストリアンデッキを描く
ペデストリアンデッキのある都市景観
川口出身の作家、井上こみちさんの『風とキューポラの町から』は、私の好きな作品である。 そこには、二人の少年が、川口駅東口地下通路を走り抜けていく姿が生き生きと描かれていた。 甑(こしき)を彷彿させる給気塔が残る風景は今も変わらない。
その上に、平成3年、駅の東口と西口を結ぶペデストリアンデッキが完成して18年目を迎えた。私はこの春、 市が開催する川口駅東口都市景観シンポジウムに出席してみた。景観の中の広告がテーマにあった。 ビルガラス内部の広告設置、大型商業施設もその一つだという。これから駅前の景観がどう変化していくのか、 注目していきたいと思っている。
○『MOVE』2009年7月号より川口の文化を訪ねて
東領家小学校・旧田中家住宅
昭和11年4月、作家永井荷風は川口を訪れている。
「領家停車場を過ぎるバス車中で、息軒先生の『北潜日抄』を つくりしはいずこと窓あたりの風景を眺め、その夜『北潜日抄』二巻を読んで眠る。《と『断腸亭日乗』に記してある。 私は『北潜日抄』読後の5月末、東領家小学校の「ふるさと室《を訪問した。そこには郷土の偉人としての安井息軒・ 河原順信の貴重な資料が大切に保管されていて、領家地区の教育の姿勢が脈々と受け継がれている様を見ることができた。 その後近くにある息軒寓居跡「息焉舎《を見学。
その日は天気もよく、十二月田の旧田中家住宅に足をのばしてみた。旧田中家住宅は、平成19年4月にアトリア開設1周年 記念として「二人のクローデル展《の彫刻展会場として使われたことはよく知られていた。誰もいない建物に入って、 長い歴史を経てきた貴重な遺産建築の中に暫く身を置いてみる。家主と技術者の高度な精神の表現空間は、その場から 立ち去りがたい気持ちにさせる上思議な力に満ち溢れていた。
○『MOVE』2009年6月号より川口市・キューポラのある風景 その1
キューポラのある風景 その1
この春、金山町を歩いてみた。そして都内にある聖火台とG大学の校門にも足を のばしてみた。大きな鋳物の前に立ち静かに触れてみた。そして耳をすましてみる。 完成を祝う鋳物師たちの雄たけびが大地の府から聞こえてきそうな気がした。2年前、 私はある新築工事で鋳物を使った。温もり残る平板を鋳工場の片隅で磨いたのが川口鋳物との 出会いだった。その時まだ見ぬ燃えるキューポラと対面したいと思った。夢は4月末、元郷の鋳工場 で実現した。「4日後が吹きだから見に来たら《の言葉に甘えて再度訪ねた。そこには火が入ったキューポラと 働く男達の姿と男の仕事場があった。戦慄が背筋に走った。ふるえはいつまでも続いていた。 キューポラは数少なくなったと云う。私は頑張っているキューポラの風景をもう少し訪ねてみようと思った。
**************************************************************
―冊子『MOVE』の中で毎回、イラストをポストカードにして応募者さんにプレゼントさせて頂いてます。
その中から葉書に添えられた感想を少し紹介します―
○
やはり川口といえば、「キューポラのある街《を思い浮かべます。スケッチ探訪はまさに川口そのもの ですね。今後も楽しみにしています。
○
スケッチ探訪、ますますすばらしい筆使いでイキイキとしていました。長く続くことを祈っています。
○
スケッチ探訪に最近すごく感激しています。なんとなくじっくり見てます。上思議です。
○
スケッチ探訪の絵がすばらしいですね!
皆さんの温かいお言葉にアトリエOスタッフ一同感激でした!!
大きな励みになります^^
**************************************************************
○『MOVE』2009年5月号より川口市にあったサッポロビール工場関連を描いた一枚
川口市立アートギャラリー・アトリア
(リボンシティ)
ここはサッポロビール埼玉工場跡地。モニュメントの仕込み釜とマンホール 板を見つけた。白いBOX型のモダンなギャラリーの床は松の無垢板だ。 80年ぶりに地下から甦り、再生されて歴史を受け継いでいる。 一番のモニュメントはこの板だと確信して私は嬉しくなった。 『この地の地質は軟弱、建物基礎下には25cmの松杭を一尺五寸間隔に埋め込んだ』を 工場史は伝えている。関係者の優しい心根がつまったこの板はギャラリー空間を和ませていた。
○『MOVE』2009年4月号より川口スケッチを組み合わせて一枚の絵のようにレイアウトした作品です
荒川
川口のキーワードは「あ《「い《「う《「え《「お《だとmove新春号の座談会記事にあった。 「あ《は勿論川口の母なる川・荒川である。マンション郡が林立する景観と、歴史のある 水辺空間を訪ねてみた。荒川を書いた本に絹田幸恵氏の『荒川放水路物語』がある。 まえがきに詩が載っていた。最後の二行はこう結ばれている。「たずねてみませんか、 この川にどんな歴史があったかを《
TOPページへもどる