最期の霧笛


 遠くから見ると、緑の点にしか見えないような、小さなそれは小さな島がありました。その島の岬には、白い灯台が二つ並んで建っていました。一つはついこの間できたばかりの新しい灯台で、もう一つはこの島に住む一番年を取ったおじいさんも、その灯台が何時できたのか知らないほど古い灯台でした。
 とても、穏やかな日です。島の子ども達は、新しい灯台の傍で楽しそうに遊んでいます。その様子を見ながら、この島の生活も長くなった灯台守のおじさんが古い灯台に向かって歩いています。灯台のらせん階段を、ゆっくりと上っていきました。
「子ども達は、新しい灯台がお気に入りのようだな。みんな、向こうで遊んでいるよ。お前さんとも、長  い事一緒に仕事をしてきたが、それも今日が最後だ。本当に長い事ご苦労様。明日は、笑顔でお前 を壊そう。」
 灯台守のおじさんは、そう言うともう使うはずもないレンズを磨き始めました。
「灯台守さん、あなたこそ長い事、本当にご苦労さまでした。」
古い灯台は、灯台守のおじさんに静かにそう言いました。その声は、灯台守のおじさんの耳にも届きました。
「おや、灯台の事ばかり考えていたからかな。お前さんの声が聞こえたような気がしたよ。」
灯台守のおじさんは、そう言っておかしそうに笑いました。しばらくレンズを磨いた後、また静かに階段を下りていきました。
 本当に穏やかな日です。遠くまで見渡せる海は、まるで鏡のように光っています。そんな海を見ながら、古い灯台は昔の事を思い出していました。長い間の事です。いろいろな事がありました。灯台のすぐ下の海には、まだ沈んだままの船があります。霧の深い日に、岩にぶつかり沈んでしまったのです。あの日もこんな天気の良い日でした。それが、急に霧が立ちこめ辺りを真っ白にしてしまったのです。灯台は、一生懸命叫びました。
「危ないですよ、危ないですよ!!」
でも、灯台の霧笛もむなしく、船は沈んでしまいました。そして、その船はどうしても引き上げる事ができず、そのままそこに沈んでいるのです。灯台は、その日の事を思い出すたび、とても悲しくなるのです。
「霧笛を鳴らさにゃいかん!」
灯台守のおじさんが、そう言いながららせん階段を上ってきました。古い灯台は、はっとして海に目をやりました。どうしたことでしょう。さっきまで、あんなにきらきら光っていた海に、真っ白な霧が立ちこめています。まるで、あの日のようです。
「ボォーッ!ボォーッ!!危ないですよ!危ないですよ!!」
灯台は、夢中で叫びました。また、いつかのように船が岩にぶつからないように、船が安全に通っていけるようにと。
「危ないですよ!危ないですよ!!」
灯台は、叫び続けました。
 もうすぐ夕暮れが訪れようかという頃、ようやく霧が晴れてきました。海は何事もなかったように穏やかになりました。灯台はほっとしました。すると、灯台のすぐ脇を一筋の光が通り過ぎました。灯台がはっとして振り返ると、それは新しい灯台の光でした。
「おじいさん、ご苦労様でした。今夜からこの海は私が守ります。」
新しい灯台は、若々しい声で言いました。その声を聞くと古い灯台は、力が抜けていくのを感じました。そして、もう二度と見ることのない海を、じっと眺めているのでした。 

平成15年7月30日改作