たぬきの駅

  駅のまわりには、新しいお店や家が立ち並んでいます。その駅に今日も、会社に通う大人や学校に通うお兄さんやお姉さんがたくさん歩いてきます。駅にはちゃんとした名前がありますが、近頃は誰からともなく、『たぬきの駅』と呼ばれています。

 今から10年ぐらい前は、この辺りは野原の真ん中でした。少し離れたところには町がありましたが、駅を使う人はあまりいないそんなさびしい駅でした。その頃は、人間よりカラスやたぬきの方が駅に来ていたかも知れません。
 そんなある日のことです。少し腰の曲がったお婆さんがやってきました。入場券を買ってホームに入ると、ベンチに腰をかけました。その様子を、ずっと見ているものがありました。駅員さんでしょうか。いえいえ、そうではありません。もちろん駅員さんも、おばあさんのことは知っていて、
「こんにちは。今日もお孫さんのお迎えですか。」
と声をかけましたが、その後は駅の掃除をしています。では、だれが見ているのでしょう。あ、おばあさんの近くにやってきました。どこからきたのか、子だぬきです。
「おばあさん。町から来たの?」
「おや誰かと思ったら、たぬきかい。そうだよ、町から来たんだよ。そういうお前はどこから来たの?」
おばあさんは、ちょっとびっくりしましたが、やさしい笑顔で子だぬきにそう聞きました。
「おいらは、そこの『たぬき山』だよ。この駅って、変だよね。」
子だぬきは、おばあさんの顔を真正面から見ながらそう言いました。
「おや、何がだい?何が変だと思うんだい?」
「だって、この駅人間の町から遠いところにあるんだもん。なんで、こんな所に駅なんか作ったのかな。」
子だぬきがそう言うと、おばあさんはおかしそうに笑いました。おばあさんが笑うと、子だぬきは口をとがらせました。
「何だよ。笑うんだったら、わけ知っているんだろう。教えてよ。」
「ごめんよ。ばかにしたんじゃないんだよ。はんたいだよ、お利口さんだなと思ったんだよ。」
おばあさんにそう言われると、子だぬきはうれしそうにしっぽを振りました。
 おばあさんは、そんな子だぬきの様子に目を細めながら話を始めました。
「この駅はね、ずうっとずうっと前からあるんだよ。」
「おばあさんの子どもの頃から?」
「いいや、私の生まれるずうっと前だよ。」
「へえ、そんな前からあるんだ。」
子だぬきは、びっくりして目がまん丸になりました。
「昔はね、電車じゃなくてね。汽車が走っていたんだよ。」
「『きしゃ』ってなあに?」
「うん、電気じゃなくて、石炭で動くんだよ。かまに石炭をくべて燃やすんだよ。その力で走るの。屋根には煙突がついていて、煙を吐きながら走るんだよ。それに、電車とちがって、シュッシュッシュッて音もしたね。今では、『SL』って呼ばれてるねえ。」
「ふうん。煙突がついていて、煙を吐きながら走るなんておかしいなあ。火事みたい。」
「そうだね。おかしいよね。だからね、町の人達はそんなのが走ったら、洗濯物が汚れるとか、うるさくて嫌だとか言って、町から離れたたぬき山の近くに駅を作ることにしたんだって。」
「へえ、そうなんだ。だから、こんなところに駅があるんだ。昔の人はバカだなあ。」
「しょうがないよ。こんなに便利なものとは知らなかったんだからねえ。」
「でもさあ、駅が町の近くにあれば、おばあさん、家からすぐ駅に来られたのにさあ。」
「そうだねえ、近くに駅があると良かったねえ。」
「あ、電車が来た。おいら、家に帰る。おばあさん、またね。」
子だぬきはそう言うと、改札を抜けてたぬき山の方へ走っていきました。
 時々、おばあさんは駅にやってきました。町からバスに乗って、お孫さんの迎えに来るのですが、電車が来るまでいつも少し時間がありました。ベンチに座って待っていると、必ず子だぬきがやってきました。
「おや、今日も来たのかい?」
「うん、おばあさんが来るのが見えたからさ。」
「お前さんは、人間が好きなのかい?」
「うん、好きだよ。みんなやさしいもん。おばあさんと話すのも好きだよ。」
「そうかい。私もお前さんと話すの好きだよ。」
そうやって、電車が来るまでの間、一人と一匹は楽しく話をするのでした。
 その年の秋の終わり頃のことです。おばあさんは、バスから降りてくると、何かを探すように辺りを見回していました。
「どうしたの、おばあさん?落とし物でもしたの。一緒に探してあげようか。」
おばあさんの後ろから声をかけたのは、あの子だぬきです。だいぶ大きくなってきたので、子だぬきと呼んではいけないかも知れませんが。
「おや、びっくりした。ぽん太のことを探していたんだよ。」
「もう、おばあさんたら、おいらのこと勝手に『ぽん太』なんて、名前つけてさ。なんだよ。」
「いいじゃないか。たぬきだから、ぽんぽこぽんのぽん太だよ。」
「あのね、おばあさん。たぬきのおなかは、たいこじゃないんだからね。」
「そうだね。」
おばあさんはそう言って、楽しそうに笑いました。その顔を見ていると『ぽん太』も、笑い出しました。
「でも、いいよ。ぽん太でもさ。ところで、おばあさん、今日はどうしたの?」
ぽん太がそう言うと、おばあさんはちょっとさびしそうに話し始めました。
「もう、この駅に孫のお迎えに来られないかも知れないんだよ。」
「え?どうして?」
「前から痛かった腰やひざが、寒くなってきてから、もっと痛くなってきてね。バスに乗ってここまで来るの、時間もかかるから大変になってきちゃったんだよ。」
おばあさんはそう言って、自分のひざをなでました。
「町の近くに、この駅があれば良かったね。本当に昔の人間はバカだなあ。」
ぽん太は、本当にそう思いました。町の近くに駅があれば、おばあさんはこれからも駅に来ることができたのに、こんな遠くに駅があるからいけないんだと思ったのです。
「そうだねえ。駅が近くにあれば良かったよねえ。駅の近くはこんな野原や林で、ぽん太の仲間がいっぱいいるんだものねえ。でも、そのうち、この辺りにも家が建つんじゃないかねえ。」
おばあさんは、駅の近くを見渡しながらそう言いました。
「そうなったら、おばあさん引っ越してお出でよ。おいら、おばあさんの家に毎日遊びに行くよ。」
「そうだね。近くに越してきたら毎日ぽん太と会えるねえ。」
おばあさんとぽん太は、次のバスが来るまで話を続けました。
「バスが来ちゃったよ。じゃあ、ぽん太、暖かくなったらまた会おうね。」
「うん、きっとだよ。おばあさん、ま・た・ね!」
「うん、ぽん太、またね。」
ぽん太は、おばあさんを乗せたバスが町の方へ走っていくのをずっと見送っていました。
 寒い冬が終わって、春が来ました。おばあさんは、まだやってきません。ぽん太は、もっと暖かくなってから来るのかなと思いながら、駅に毎日やってきました。でも、駅にはいつもの駅員さんがいて、いつものように駅の掃除をしたりしているだけでした。おばあさんが来ないまま、季節は夏になりました。その頃から、駅の近くには大きな車が通るようになりました。そして、野原は草がきれいになくなって地面が平らになりました。あれよあれよと思う間に、駅のまわりは家が建ち始めました。ぽん太は、おばあさんが引っ越してくるかなと思いながら、その様子を見ていました。でも、いくら待っても、おばあさんはやって来ませんでした。そして、夏が終わる頃には、駅のまわりは、すっかり町のようになっていました。
 ぽん太は、おばあさんを待ちました。毎日毎日、待ちました。駅に来る人達は、ぽん太を見ると、手を振りました。おいしいおやつを置いていく人もいました。ぽん太に会いに駅にやってくる人もいるようになりました。
 そして、子だぬきぽん太は、今ではすっかり大人のたぬきになりました。ぽん太は、これ以上待っても、もうおばあさんに会えないことはわかっていました。でも、ぽん太は待っていたいのです。あの楽しかった子どもの頃の日を忘れたくないのです。そして、やさしかったおばあさんと過ごしたあの日のことを。

平成18年9月3日