ソクラテス(Sokrates)  470〜399B.C


 ギリシャの哲学者であり、観念論哲学の祖である。商業国アテナイの中流以上の家庭の出と言われる。
 当時のアテナイ政界の混乱と市民の自己喪失を懸念する憂国者として、青年市民と徳についての問答をした。
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     〈霊魂の気づかい〉 道徳的意識の吟味・改造 
○問答法(ディアレクティア)は、皮肉で厳しい。
  民主派、貴族派、両派をも鋭く批判した。
  多数の市民から、ソフィスト(本来は知恵ある者の意だがこ  こでは詭弁家の意)達と同様に嫌われた。
 貴族派を倒した再建民主派政権のもと、70歳を過ぎていたソクラテスは捕らえられた。
     罪名:国家公認の神々に不敬な者
        :青年を毒する者
     死刑判決 → 毒杯をあおって死んだ。
○各自を自己にとらわれない自由の人たらしめることを、神から授かった使命と感じていた。
 自己のもの…財産、名声、物欲など
 自己→霊魂
 ソクラテスは自らを、フィロソフォスと称した。
これは、プロタゴラス達が自ら知恵ある者(ソフィスト)と称したことに対する呼び方である。
・フィロソフィア(愛知活動=哲学)ソクラテスの活動
・フィロソフォス(愛知者=哲学者)ソクラテスが自ら称した
 ソクラテスは、自分は徳について無知である、知恵を愛求する者という意味で使った。
霊魂をよくあるようにと気づかう。→意識改造の実践の形で開始
理論的体系をなさず、破邪的・否定的な実践
真の〈自己〉や〈霊魂〉の〈良さ〉(徳)は、いまだ知られていない各人がその気づかいの哲学によって、各自の内に発見し自覚するもの。あるいは、各自の陣痛によって生み出されるもの。
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  このことから、ソクラテスの哲学は助産術とも言われる。
○問答法   霊魂の良さ(徳)についての各自の意識を吟味         尋問することによって、各人を徳の自覚に生け          る自由の人格たらしめる破邪的手段

 後にプラトンによって発展させられた弁証法の源になる。

 問答が、ここの具体的事例から普遍的概念規定への原理を追求した。
 プラトンのイデア(普遍概念の哲学) 
 アリストテレスの実体(本質)論
これらの先駆けをなしたのは、ソクラテスの問答と言われる。

※菖蒲の私見   後ほど書くかもしれません。        H.16.5.5