おっさん風味
「どうかしたの?」
「えっ?」
楽しいはずのデート中に栞は上の空だった。
注文していたバニラアイスも少し溶けつつあった。
当然、祐一としてはその理由が気になった。
「いや、さっきから上の空だったみたいだからさ」
「そ、そんなコト無いですよ」
そうは言ってはいても、反応は明らかにそんなコトあった。
「何か悩み事があるのなら相談に乗るよ」
「いえ、そんな相談するようなコトじゃないんですよ」
栞の言葉で悩みがあるコトが分かった。
「まぁ俺に相談しづらかったら香里に相談しろよ」
祐一としては何気なく言った言葉ではあったが、
その言葉に栞はビクッと驚いたように反応した。
「香里のコト?」
祐一の言葉に栞は無言で頷いた。
「……………」
祐一は栞の表情に少し険しい表情をした。
祐一としては今までの美坂姉妹のコトは知っていた。
ただ、あれ以上の酷な関係は無いと思っていた。
少なくとも二人の関係は修復していたと思っていた。
しかし、祐一の予測に反して栞は真剣に悩んでいた。
「俺に言いづらいのなら名雪にでも話してみるか?
確かに名雪は天然だけど、口も堅いし
真面目に話を聞いてくれるからさ」
言いづらそうにしていた栞に祐一は自分の不甲斐なさを感じたのか
美坂姉妹について知っている自分以外に名雪がいたことに気づき
栞にそのコトを話してみた。
しかし、栞は無言で首を横に振った。
(………ダメか)
打つ手を無くして諦めかけた祐一に栞は重たい口を開いた。
「あのですね、実はお姉ちゃんがオヤジ化してるんです」
「…………はぁ?」
栞は恥ずかしそうではあったが、目は真剣だった。
「オヤジ化って一体?」
目が点になっていた祐一はやっとの思いで言葉を発した。
「言動や行動がオヤジくさいんです」
「………何処ら辺が?」
栞の表情を見る限り嘘には思えなかった。
しかし、学校で見る限りでは祐一のイメージしている香里に
そういった素振りは全く見えなかった。
「例えば?」
「例えばですか?
そうですねぇ、よく胸を揉まれるんです
薄気味悪い笑いを浮かべながら
『栞ちゃ〜ん、胸は育ったかなぁ』とか言って」
「別に女子高とかではあり得そうだけど………」
「それだけなら私もこんなに真剣に悩んだりしません、
お姉ちゃんはオヤジギャグも言うんです。
しかも、オヤジギャグだけにつまらないんです!」
「……………」
「しかも、私が反応しないと反応するまで言い続けるんです!」
日頃、冷めた様な表情の香里からは想像しづらそうな話だった。
「それだけなら私も愛想笑いで済ませるんですけど、
『ねぇねぇ、今のどう?』ってオヤジギャグの内容にまで
意見を求めてくるんですよ!」
祐一は思わず、『ねぇねぇ、今のどう?』と言っている香里を想像してしまった。
かなり痛々しかったらしい。
「しかも、お姉ちゃんは学校ではクールを装っていますけど、
実は腹巻きもしているんです」
(Key1さんから挿絵を頂戴しました。ありがとうございます♪)
「は、腹巻きっ!?」
ある意味、栞の言葉は核弾頭に近かった。
実のところ、香里に思いを寄せている奴らは沢山いる。
しかし、今の言葉を聞いてそいつらはどう思うだろうか?
北川にそんな香里を受け入れる勇気はあるのだろうか?
祐一は自分のコトではないだけあって、思わず他人の心配をしてしまった。
「確かに凄いねそれは………」
「やっぱりそう思いますか?」
「ああ、もしかしてモモヒキは履いてないよね?」
祐一の言葉に栞は一瞬ビクッとした。
「もしかして………」
栞はそのまま首を縦に頷いた。
祐一は一瞬目の前が暗くなった。
祐一自身、香里に対してある程度の幻想は抱いていた。
栞に対する心の脆さとかもあるが、
それを貫き通そうとするだけのプライド。
それを他には全く感じさせないオーラ。
その他諸々………
ただ、その幻想は栞の言葉によって
いとも簡単に打ち砕かれてしまった。
ハッキリ言って痛々しかった。
ただ、祐一はふと思いついた。
思わず祐一はニヤリと口元がゆるんだ。
「どうしたんですか?」
「いや、何もないよ」
栞の心配をよそに祐一は心の中でガッツポーズをしていた。
「しかし、まぁ栞も大変だなぁ」
少しは同情はしたが、祐一の頭の中には完全の別のことがあった。
しかし、世の中そんなに甘くはなかった。
「おはよう」
「おはよう」
「いつも通り元気ね」
いつも通り息切れする程に走ってきた祐一と名雪に
香里はいつもの様に冷静に言った。
「毎朝凄いですね、私なら死んじゃうかもしれないです」
「…………」
「…………」
「…………」
栞の言葉に3人は絶句した。
あまりにも生々しかった。
いくら元気になったといっても、
さすがに栞の口から『死ぬ』って言葉を聞くと
栞のコトを知る人間は誰もが絶句するだろう。
「まぁ、死ぬかどうかは別として
俺としては毎朝こんなに走りたくないんだけどな」
「それって、私が悪いみたいな言い方だよ」
「ほほぅ、俺が悪いみたいな言い方じゃないか?」
「少なくとも相沢君は悪くないわね」
「それって、私が悪いってコト?」
名雪の言葉に3人は言葉に詰まった。
(もしかして、名雪にはその自覚が無いのかっ!?)
「気が付いて無いみたいね」
「そうですね」
「…………」
香里と栞は祐一の苦労を分かってくれているが、
当事者の名雪は一切そのコトは分かっていなかった。
「大変ですね、毎朝」
「まぁもう慣れたけどさ」
祐一としては栞に慰めて貰っただけで少しうれしかった。
「まぁおかげで中には着込まなくても良いけどな」
そう言った祐一はチラッと香里の方を見た。
当然、香里はその言葉の意味に全く気が付いていなかった。
「でも、今日は寒いなぁ」
「そう?今日は比較的暖かいよ」
「そうですね、今日はいつもよりは暖かいですよ」
「前々から思っていたけどお前ら体感温度おかしいぞ」
確かに寒かった。
しかし、名雪達からすれば当然の様に慣れていた。
祐一自身、子供の頃から何度か北海道に来ていたので
さほど驚くような気温ではなかった。
「さすがにこんなに寒いとモモヒキでも履きたくなるよなあ」
その言葉に香里は一瞬ビクッとした。
当然、祐一はその反応を待っていた。
思わず、その反応に心の中でニヤリとした。
「オヤジくさいよ」
「…………」
名雪は何も知らないので当然のように言ったが、
栞は名雪の知らない二人の心の中の戦いが垣間見えた。
「やっぱりオヤジくさいかな」
「そうだよ」
名雪の言葉に祐一はうんうんと頷いた。
香里は祐一に気づかれないように注意深く見ていた。
しかし、祐一としては当然のように気が付いていた。
祐一はとりあえず、この場は気づかれないように知らぬフリをしていた。
そして、その場は笑い話で終わった。
「今日もアイスか?」
「はい、美味しいですよ祐一さんもどうですか?」
昼休み、食堂に来ていた祐一達は
食べ終わり残りの時間を談話で潰していた。
そんな中、栞はいつも通りに様にアイスを食べていた。
ハッキリ言って寒そうだった。
ある意味、外に雪が残っている様な時期に
アイスを食べる栞も凄いが、
それを購買部に置いている購買部も強者である。
「見てる方が寒くなるぞ」
少なくとも、その光景は確かに異常なモノだったかもしれない。
しかし、祐一達からして見れば、至って日常の光景だった。
「そんなもの喰ったら腹を下すぞ」
「そうですか?私は普通の人よりも高いからですかねぇ」
「そうなのか?」
「ええ、私の平熱は37.5℃ですから」
「…………」
「…………」
「…………」
栞の言葉に祐一達は凍り付いた。
(それって、高いって言うよりは熱っぽいって言わないか?)
などと、3人は似たようなコトを考えていたが、
あまりな内容であるために口に出せず、
各々が脂汗がダラダラと流れていた。
「まぁ栞ちゃんがアイスで喜んでくれるなら良いんじゃないかな」
「そ、そうだな」
絶句していた祐一に名雪の言葉で少しだけ空気が軽くなった。
「でも、俺ならそんなモノ喰ったら間違いなく腹を下すぞ」
「そうですか?」
「そうかなぁ?」
「私も大丈夫よ」
名雪はよくイチゴサンデーを食べに行きので
その辺りのモノでは別に問題は無さそうだった。
「俺ならそんなモノ喰ったら腹巻きでもしなきゃ腹を下すわい」
「腹巻きなんてオヤジくさいよ」
「そうだよなぁ」
そう言って祐一はハハハと笑った。
しかし、笑っている祐一をよそに美坂姉妹はかなりドキッとしていた。
栞は栞で、朝の一件でのコトもあり、
余計な火種を蒔いたことを後悔していた。
香里は香里で、邪推をしていた。
祐一は何処まで知っているのだろうか?
何故知っているのだろうか?
栞がバラしたのだろうか?
色々なコトを邪推していた。
当然、祐一としては今朝と同じようにチラッと香里の表情を見ていた。
「好きに喰ってくれ、俺は喰わないから」
「祐一も食べようよ」
「そうですよ、祐一さんも一緒にいかがですか?」
「やかましい!」
とりあえず、その場も和やかに終わった。
授業の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
「名雪、起きろ!」
普通ならうつぶせになり顔を隠して寝る人が多いが、
名雪は座ったまま姿勢の良い状態で寝ていた。
ある意味、ここまで寝ていることがバレていると
教師も注意できないのだろう。
更に、名雪は予習復習を怠らずにやっている。
おかげで成績は決して悪くなく、
どちらかと言えば優秀な方に属している。
おかげで、教師としてはやりづらいことこの上ない。
「うにゅ、おはよう」
「ったく、お前だけは」
毎度のコトで慣れているが、
ある意味、ここまでマイペースだと祐一として諦めるしかなかった。
おそらく、このマイペースな性格は水瀬家の血筋だろう。
祐一は目の前の名雪と秋子さんとを想像していた。
「今日は部活か?」
「うん」
「そうか、じゃあ俺は先に帰ってるから」
「うん、気を付けてね」
この会話だけ聞くと祐一と名雪は夫婦のようだった。
だが、転校初日にして同居を知ったクラスメイトは
至って当然のように聞き流していた。
帰路に向かう祐一に香里が声をかけた。
「今日は一人で帰るの?」
「ああ、名雪が部活だからな」
「そう、なら少し私につき合ってくれない?」
「そりゃ別に構わないけど、何かあるのか?」
「栞のことで色々とね」
栞の名前を出されて祐一は行くしかなかった。
「あのさぁ、寒いんだけど………」
日が沈みつつある校舎の屋上では
障害物がないために当然のように風は吹いてくる。
そんなトコに祐一は香里に呼び出されていた。
「寒いんだったらモモヒキでも履けば?」
「えっ!?」
香里の言葉に祐一はあまりにコア過ぎて驚いた。
確かに、朝からそれらしき言葉で香里を動揺させていたが、
さすがにいきなり直球で話を切り出されるとは思っていなかった。
それだけに、祐一も驚きを隠せずにいた。
「それとも、腹巻きが良いかしら?」
香里の言葉に祐一は固唾を飲んだ。
そう、香里はいつもと変わらぬ表情で言ったのだ。
予測としては取り乱した香里を想像していたが、
どちらかというと微笑を浮かべていた。
逆に、祐一にはその微笑が怖かった。
「いや、俺まだ若いからモモヒキも腹巻きも遠慮しておくわ」
「遠慮なんかしなくても良いのよ、栞に聞いたんでしょ?」
(ドキッ!)
香里の言葉に祐一は心臓をえぐられた気がした。
「な、何を?」
「モモヒキと腹巻きのコトよ」
「さ、さぁ何のコトか俺には分からないんだけど………」
そうは言っても祐一の全身から汗が噴き出していた。
更に、言葉もどもっていた。
どう見てもオーラレベルでは祐一が気圧されていた。
俗に、マングースににらまれたハブと言うのだろうか?
ガマガエルはヘビを前にするとダラダラとガマ油を流すらしい。
祐一はそのガマガエルの気持ちを全身を以て経験していた。
「まぁ良いわ、何かをもし知っていたとして
それが明るみに出た時には"消す"わよ」
「は、はいっ!」
祐一は香里の"消す"の言葉で瞬時に判断した。
おそらく、その時には祐一の存在そのモノが消されるだろう。
過去に妹を消そうとしたコトのある香里である。
肉親でもなく、香里にとって仇なす存在になるかもしれない存在になるのだ。
当然、その"消す"の意味は半端では無いだろう。
祐一はその瞬間、背に死を感じた。
祐一自身、北海道に来るまでに普通に生活していたが、
北海道に来てから、畏怖する回数は極端に増えた。
そう、敵に回してはいけない人間が現れたのだ。
しかも、多数も。
目の前の香里は然り、
居候先の叔母の秋子に
更に、先輩の倉田佐祐理。
ただ、その中で秋子と佐祐理は
『おそらく敵に回してはいけない』の人間に属するが、
香里は先程の言葉で『絶対に敵に回してはいけない』人間になってしまった。
「あっ、それから栞を悲しませたらその時も"消す"わよ」
「はっ、はいっ!」
香里はそのまま背を向け手を振りバイバイと校舎の中に戻っていった。
祐一は一瞬『香里自身が栞を消そうとしていたくせに』と思ったが、
そんな言葉は間違っても発することは出来なかった。
祐一は自分の人生を考えてみた。
これから先、栞と結ばれるとして
香里が義姉となるわけである。
それを想像した瞬間、再び背に死を感じた。
「俺に奇跡が起こらないかなぁ………」
沈む直前の太陽に向かって祐一は黄昏れていた。
教訓:さわらぬ神に祟り無し
(終)
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