「Model 432001」制作にあたって
佐藤好彦
僕は生かされている。食欲、睡眠欲、などの生命維持のプログラムを見れば、自我があるとはいえ既に「生きろ」と指令されているように思う。(個人的な実感としては、両親からの愛情や、偶然遭遇した危険から回避できた瞬間、などからの方が強い。) 先人たちはそのプログラムの基に自ら物を創り、テクノロジーを発達させてきた。僕は今、そのテクノロジーに支えられ生かされている。勿論、その向こうには自然という源があるのだが、僕のいる所からはそれに遮られてよく見えない。 テクノロジーは、製品(もしくは商品)というかたちで僕の目の前にはびこっている。それらは日常では何の変哲もないものだが、人類の歴史とともに育まれた無数の技術の集合体なのだ。歴史には人々の笑顔とともに、血にまみれた争いがあり、僕は、いや僕たちは毎日多くの魂に囲まれて生活をしているのだ。
僕をこういった想いに浸らせる映画がある。スタンリー・キューブリックの傑作『2001年宇宙の旅』。 「映画を素材として取り入れた作品展開が可能ではないだろうかノ。」この発想は以前からあり、実際に手で触れる事は出来ない製品(映画を製品というのには些か問題があるとは思うが)を扱うことで、テクノロジーに対するアプローチを日常的価値観から歴史もしくは哲学的価値観に引き伸ばすことができるのではと思っていた。映画そのものは一般 に共通した概念があるので、一つの方程式が取り入れられると考えられる。また、僕は特定の人にしか理解されない価値を作品に導入する事が多く、いたってそれは多数派のものであってポップだと思っているのだが、今回もそれに漏れず『2001年宇宙の旅』は超メジャーであるが若い世代では知らない者も多いだろう。
しかし、何故ここに来て映画という素材を取り入れるのかというと当初、スピーカーという工業製品の内面 的な特性に着目していたのだが、なかなかそのエネルギーを引き出す良い考えが浮かばずにいた。背景としてはオーディオのスピーカーしかり、テレビのスピーカーしかり、直接人と話しをする以外はこのスピーカーという機材は僕があらゆる情報を受け取るうえで、必ずといっていいほど関わっている。そのような僕の持つスピーカーのイメージを分析していると『2001年宇宙の旅』に登場するモノリスに限りなく近いのだ。どちらも黒い直方体(小説では透明のものもある)であり、強い磁性を持っており、何よりメッセージを伝えるための道具である事(映画の設定では様々な用途のモノリスが存在する)。この共通 点から僕は『2001年宇宙の旅』とスピーカーの両者のエネルギーを相互作用で抽出することで新たな未来へのエネルギーを導けると予見した。
この映画と僕は同じ歳で1968年生まれ。2001年はもう5年も前になるノこの時間のベクトルを未来に持っていくことはできないものだろうかと考えている。
I have been lived. For instance, it can be said that the appetite and the sleep desire, etc. are programs for the life maintenance.
We evolve with the program, and the technology has been developed.
And, the technology supports our life.
Of course, I cannot disregard the power of the natural world, bud it is interrupted by the technology from the place where I am.
The technology exists in shape of product at the present age. It is very common usually. It is a set of many technologies that brought up with the human history. That is to say, there is not only the smile but also a lot of bloody fight, we are enclosed by a lot of the souls every day. There is a movie that soaks me in such a mind. Stanley Kubrick's masterpiece '2001:A Space Odyssey'
I thought whether it was possible to made from the movie at once. Because the movie was not able to actually touch by the hand, I thought that it was able to do a philosophical expression. It was thought that one equation is approved because there is a common concept in the movie.
At first, I paid attention to the charm of the industrial commodity of speaker, but I have not found good idea how to express the energy of speaker.
For example, speaker of audio and speaker of television, I realized this machine parts of speaker has relations of getting information except speaking with person directly.
At that time, I felt the image of my speaker unlimited in the monolith that appeared in '2001:A Space Odyssey'.
Both are black a rectangular parallelepiped, having strong magnetism, and tools to convey messages in above all. I decided the movie '2001:A Space Odyssey' to be taken to the work from this common feature.
We are same age, this movie was bone 1968. 2001 year has already six years ago… This work will lead the direction of the time distorted like this to the future.
Yoshihiko Satoh