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名馬メモリアル(カ行)



ゴールドアリュール

クロフネの次のダート王者である。G1は中央、地方合わせて4勝。そのすべてがダート戦であるが、芝でもまったく走らないと言うわけではなかった。ダートでは先行して後続を突き放して勝つなど、勝ちっぷりも派手で、血統からもダート界の王者であった。その覇権の時期が短かったことと、海外遠征ができなかったことが惜しまれるが、近年の日本ダート界で間違いなく上位にランクされる名馬である。

デビュー当初はサンデーサイレンス産駒ということもあって芝のレースに使われていたが、いまひとつ切れ味に欠き、500万を勝ち切れないレースが続いた。しかし、ダートに変わった500万を逃げ切ると、続く端午Sも圧勝。ダート適正の高さを見せ付けた。

その次に使われたのがなんと日本ダービー。さすがにダートからの挑戦は不利と見られ、13番人気に甘んじたが、ここでも5着に頑張るなど、底力の片鱗を見せる。しかし、本当に強いのはやはりダートで、続くジャパンダートダービーは7馬身差、ダービーグランプリでは10馬身差と、交流G1では力が違った。

続くジャパンカップダートは、古馬との初対戦と言うこともあって、5着に沈むが、年末の東京大賞典では再び逃げて勝利し、古馬の壁を打ち破った。これによって、ダートの王者は約束された。大目標はドバイワールドカップに設定され、海外制圧に意気を上げた。

翌年は海外遠征を控え、フェブラリーSからの始動。海外に行く前に、ここでは負けられなかったが、昨年のジャパンカップダートで敗れた中山ダート1800mの舞台で巻き返し、クビ差ながら完勝を演じ、さあ海外へと誰もが疑わなかった。

ところが、不運に見舞われる。イラク戦争の勃発により、ドバイへの直行便が出ず、遠征を断念せざるを得なくなってしまった。
やむを得ず、国内のG3、アンタレスSに出走するが、もはやG3では力が違った。前年のジャパンカップダートを勝ったイーグルカフェを寄せ付けず、8馬身差圧勝。この勝ちっぷりには、さらなる成長を感じさせるものがあっただけに、ドバイに遠征できなかったことが悔やまれる。
さらに不運は続き、帝王賞では11着惨敗。なんと喉に疾患を発症してしまったのである。疾患は重度のもので、競走馬としては致命的な病であった。結局、このレースを最後に引退する。

通算16戦8勝。G14勝。
短期間でのG14勝は立派。病気が無ければ…と本当に惜しまれる逸材。ダートでは本当に強かった。


コスモサンビーム

2歳G1を勝った馬なのだが、それにとどまらない魅力的なレースを見せてくれた名馬。

朝日杯フューチュリティSを勝つまでのこの馬は、いかにも2歳戦で全能力を使い切るような使われかたをしていた馬だった。
初出走はまだ6月中の新馬戦。
初勝利は3戦目の未勝利戦であった。
その未勝利戦は2着をぶっちぎるもので、最初から仕上がっていた上に、
使われている強みもあり、次のG3、小倉2歳Sでもメイショウボーラーには5馬身も先着されたものの、2着には食い込んできた。

しかも、そこで終らなかったのがこの馬。成長力も秘めていたのだろう。
10月のききょうS、京王杯2歳Sと連勝してしまうのである。
普通ならばこれだけ使われてきた馬。それほど伸び白は無いものなのだが、
この馬は違った。使われるごとにレース振りがよくなっていったのである。
次走は朝日杯フューチュリティS。
小倉2歳Sで完封されていたメイショウボーラーが出走するレースである。

さすがにG1。メンバーもそろい、鞍上の武豊騎手をグレイトジャーニーに譲ったこともあり、
4番人気にとどまった。
しかし、この馬には大きな追い風が吹いていた。
中山の1600mのコースは、内枠が圧倒的に有利なコースであるのだが、
この馬が引いた枠順は実に1枠1番。最内である。
さらに、この馬自身、ここまですでに6戦を消化するローテーションで来ており、
完成度でも他馬の先を行っていたのである。
そのためコスモサンビームは器用な競馬に徹することができた。
レースがスタートすると、ひっかかる1番人気メイショウボーラーが逃げるのを尻目に、
好位のインでじっと我慢。ロスが最小限の競馬に徹すると、
最後はばてたメイショウボーラーをゴール前できっちり差しきり、G1馬となったのである。

ここまでならば、早熟のG1馬のいかにもなストーリーなのだ。
2歳G1を取って、それで終ってしまう馬のパターン。
しかし、この馬のクライマックスは、さらに先にあるのである。

3歳になったコスモサンビームは、クラシック路戦に駒を進める。
しかし結果が出ない。スプリングS、皐月賞はそれぞれ4、5着。
マイルを超える距離では、やや詰めの甘い部分を見せてしまうようであった。
しかし、マイルに変わったNHKマイルカップでは2着に食い込むあたり、
短距離での強さを証明するものであっただろう。

さらに日本ダービーに出馬するが、すでにここまでキャリア10戦はレースに使われすぎ、
さらに2004年に入ってから4戦、G1も3連戦目では上積み無く、12着に大敗した。

このレースでの不幸は大敗だけでは済まなかった。
レースに使い続けられたコスモサンビームの脚元が、ついに破裂する。
「左第一支節種子骨折」
競走馬にとっては致命的な部位の故障である。
現役に戻れる可能性は1割。そんな声すら上がる中、
コスモサンビームは現役続行のための治療に向かうのであった。

そして、1年後、復活不能とまで言われたコスモサンビームが競馬場に帰って来た。
夏の関屋記念で見事競走馬として復帰するのである。
これだけでも大変なことなのであるが、
この馬はこれ以上の感動を与えてくれた。
復帰3戦。まったくいいところがなく凡走を繰り返していたコスモサンビーム。
故障の痕を気にするようなそぶりがあることから、陣営はある賭けに出る。
「連闘」
脚元に爆弾を抱える馬にとって、非常に勇気のいる決断だったように思う。
しかしあえてそれを選択したことによって、
コスモサンビームはこれまでに無い輝きを見せることになるのである。

連闘で挑んだのはスワンS、G2である。
G3でも掲示板すら苦しい走りのコスモサンビームに、明らかに強すぎる相手。
そう思われても不思議なく、実際に人気も11番人気であった。
故障から能力の大半がそがれてしまった。
ファンはそう思っていたのである。
ところが、レースではあの2歳チャンプ、コスモサンビームが復活するのである。

道中は中団待機すると、直線はまさか伸びてこないはずの人気薄、
故障で終った馬であるはずのコスモサンビームが伸びてくる。
外からは1番人気サイドワインダーが強襲する。
差はじりじり妻詰まる。が、抜かせない。

復活のG2優勝であった。
いや、2歳G1は半分は完成度の違いと、枠順の有利から勝ったものであった。
そう考えていくと、コスモサンビームが自らの力のみで制した、はじめての重賞ではなかったか。
故障から能力を出し切れなかったこの馬の、その能力を十二分に使い果たし、
見事な復活の優勝を遂げたのである。
このレースこそが、コスモサンビームにとってのベストレースではないだろうか。

その後コスモサンビームは休養をはさみ、春の阪急杯で復帰。
そこで、とても悲しい結果が待っていた。
3コーナーからずるずると後退していくコスモサンビーム、
4角で競走を中止すると、その場にばったりと倒れはてる。
「急性心不全」
そして、もう立ち上がることは無かったのである。

16戦5勝、G1、1勝。
2歳にしてG1制覇を飾りながら、その後もハードに走り続けたコスモサンビーム。
二度の不幸があり、ついに斃れたが、
ハードなレースに耐え抜いたコスモサンビームは、
他の2歳チャンプにはない、感動を我々に与えてくれたのではなかっただろうか。
2歳戦の名馬ながら、古馬になってさらなる感動を与えた名馬、
コスモサンビームよ、安らかに眠れ。