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名馬メモリアル(マ行)


マチカネフクキタル
97年クラシックは、ブライアンズタイム旋風が巻き起こるなど、異質の環境の元、レースが行われていた。その中で、春こそ結果が出なかったものの、秋に、菊の大輪を咲かせた馬がいる。マチカネフクキタルだ。

マチカネフクキタルの初戦は、ダート1200m。結果こそ3着だったが、1着馬からは10馬身離される完敗だった。
初勝利をあげたのは一旦休養をはさんでの3戦目、3月15日の未勝利戦である。5馬身差。ダートの1800mのレースと言うこともあって、それほど将来を見据えたレースではなかっただろう。実際、次の芝1600mの君子蘭賞は2着までであった。しかし、このあと距離が長くなったのが良かったのだろうか、ムーニーバレーレーシングクラブ賞を完勝すると、ダービートライアルのプリンシパルSに東上。ここでも2着に頑張り、ダービーの出走権を得ることに成功した。

春の大一番、日本ダービーに出走したマチカネフクキタルだったが、比較的メンバーが手薄なトライアルを2着しただけのマチカネフクキタルは、人気になることもなく、見せ場も無く、サニーブライアンの11着に大敗した。
春に実績をあげた馬なら、ここで休養に入るのが普通であるが、マチカネフクキタルは、夏の福島開催に乗り込むのである。福島の900万、さくらんぼS。ここは、相手が同世代のみで、なおかつダービートライアルで2着に来ている、マチカネフクキタルにとっては楽な相手であった。ここを3馬身差で快勝したが、それが飛躍のきっかけになるとは思いづらかった。しかし、ここからマチカネフクキタルの能力は開花して行くのであった。

さくらんぼSの勝ち方が良かったこともあって、秋初戦の神戸新聞杯でも、2番人気に押されたマチカネフクキタルは、ここで、目の覚めるような豪脚を見せ付けるのである。直線一気の戦法だ。春の実績馬、シルクジャスティスやサイレンススズカを撫でぎった。このレースから、手綱は南井克己が取っていた。名コンビの誕生と共に、マチカネフクキタル一世一代の秋が始まった。
今と異なり、菊花賞のトライアルは神戸新聞杯、京都新聞杯の両方を使って、本番へ挑む馬が主流の当時である。この馬も、京都新聞杯に向かう。ここでも、中段やや後方から前走と同じ鋭い脚を使い、今度はメジロブライトらを完封する。

この2戦で、すっかり目覚めたマチカネフクキタルは、本番に挑むのである。当然、トライアルでライバルを完封した同馬が、人気になっておかしくないところだが、血統が嫌われて、3番人気に甘んじた。それは騎手にも伝わっていたが、もう、作戦は定まっている。直線までためにためて、末の爆発力に生かす。それだけだった。つまり、秋2戦と同じレースをするだけだった。レースはかなりのスローペースになる。瞬発力はともかく、スタミナ面には不安の残るこの馬にとっては願ったりのペースだ。その中、中段につけると、4角ではやや後方に置かれる。ここで仕掛けを遅らせると、最後の直線は、瞬発力勝負に持ち込んだ。直線、豪腕南井克己のムチに答え、3000mのレースでも、2000mの時と、それ以上の脚を使った。豪脚一閃。ゴール前は1馬身突き抜けた。春は実績の無かった馬が、900万から4連勝で、ついにG1のタイトルを手にしたのであった。一瞬の切れ味に富んだレース振りのように、春は届かなかったG1タイトルを手にするまでに、一気に燃えあがったのだろう。その時、マチカネフクキタルは距離の壁も燃やし尽くし、栄冠を手にしたのであった。

マチカネフクキタルはこれで燃え尽きた。6歳まで走り続けたが、結局勝ち星をあげることはなかったのである。トライアルと菊の1時期に南井騎手と共に燃えた名馬、マチカネフクキタルであった。父はスピード型のクリスタルグリッターズ、母方もスピード系統のトウショウボーイである。まさか、この血統から、長距離馬は出ないと思われただけに、唯一のタイトルが菊になるというのは、また不思議なものであった。血統的にも、輝いた時期が1時期しかなかったことからも、異端児と呼べる名馬だったのかもしれない。

通算成績22戦6勝、G1、1勝。