世界の酒       ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第十回  ビアホールのヒットラー  ---続・トーマス・マンのミュンヘン---

                              2007.1.1

 

 芸術に挫折したヒットラーは、政治家として目覚め、ミュンヘンのビアホールを活動拠点に、その勢力を固めていく。いや、その前の、1918年の、いわゆるバイエルン・レーテ、私はそれをミュンヘン・ソビエトと呼んでいるのだが、その革命もまた、各ビアホールで繰り広げられ、最終的には、ミュンヘンのビール祭り、オクトーバーフェステが行われるミュンヘン中央からすぐ近くの広場で、共和国宣言がなされている。しかしそれはたちまちの内に崩壊する。ヒットラーはそのどたばたを良くみていて、その上で、5年後には、自ら、またもビアホールを拠点に、いわゆるミュンヘン一揆を起こす。ナチス突撃隊員を率いて、軍部の指導者を幽閉したのである。しかしこれもたちまちの内につぶされ、ヒットラーは禁固刑に会う。ヒットラーが実力発揮するのは、その出獄後である。一揆の失敗の反省もあり、その後は着実に勢力を固めていく。ミュンヘンにたくさんある、数百人規模の、中には数千人規模のビアホールが、そこでの舞台となっている。

 マンはそれらを革命とは呼ばない。『ドイツとドイツ人』の中で、結局、ドイツ人が革命を知らなかったことが、つまり、政治的自由を知らず、ドイツ人特有のロマンチズム、内面性、中世から残存する神秘主義的傾向、死への憧憬といったものが、ヒットラーによるヒステリックな蛮行に結び付いた、と論じている。そこでは常に、生と死の対立が、両者の動的均衡に向かわず、後者の前者への優位が、様々な複合性を増幅させて、悲劇に至るのである。

ミュンヘン・レーテの失敗にヒットラーが見たのは、民衆の情念が、政治的自由を求めての共和国化への運動にならず、いつまでも北ドイツに対する南ドイツの劣等感が残り、さらには、その運動を主導したユダヤ系インテリたちへの、保守的バイエルン民衆の反発となって残ったことであった。そして対立が容易に増幅されて破壊的になる、そのメカニズムを彼は見ていた。

 確かにミュンヘンに、このような雰囲気は今でも残っていると思う。ヒットラーがやってくる前、この街には、レーニン、トロツキー、パブルスが滞在していた。私は彼らが潜んでいたとされる家々を訪ねてみた。この街には何か、「革命」、マンならば、ヒステリックな悲劇と呼ぶだろう事件を起こすものが、まるでビールを醗酵させる酵母のように、漂っているのではないか。酵母に媒介されてビールは発酵し、ビアホールに媒介されて、事件は起きる。私はいくつもの、大きなビアホールを尋ねた。Paulaner Bräuhausは半円アーチの窓と同じくアーチ型の天井を持つバイエルン式の建物である。Löwenbräu-Kellerはライオンの石造が載った門を持ち、緑色の尖塔が目印の建物だ。私は、昼食にビールを飲みながら、骨付き豚腿の焼いたものを食べ、おやつにはビールだけを飲み、そして夕食には、モツ煮なぞを突付きながら、またビールを飲んだ。街並みは戦災の後、中世を再現していた。酒場の多くは、ウェイトレスの中年女性が、中世風の衣装をまとっていた。色っぽいとは思わないが、しかしそれは十分ドイツ的である。

さらにミュンヘンの中心地から、電車で20分ほどのところにある、ダッハウ収容所、これこそまさしくヒットラーの蛮行の終着点で、そこでは、ユダヤ人のみならず、ドイツ人の政治犯も含めて3万人以上の人が殺されたと言われているのだが、そこも訪ねてみた。収容所を、私は、ドイツまたはポーランドにいくつも訪ねたことがあり、そのどれも、いたずらにだだっ広く、荒涼としているのに、やるせなさを感じる。このときも、私はひたすら敷地を歩き、寒さに震えていた。そしてそのときの感覚が、先の、ミュンヘン市街を歩いているときの感覚、または酒場でビールを飲むときの感覚と、連続性を持っていることに気付くのである。

 マンの小説もまた、強く、死への憧憬に彩られている。『ヴェニスに死す』はまさにその上に成り立つ短編である。主人公は、ミュンヘンを出て、ヴェニスに赴き、そこで急死する。さらには長編『魔の山』にも私はそれを感じる。これは、若い主人公が、山の中のサナトリウムで、死とすぐ隣り合わせのところで日々を過ごし、周囲の人々と思弁的な議論を展開する小説である。

 しかし『魔の山』では、常に死の予感とともに、生の充実が、しかもそれが酒を媒介にして、謳われている。主人公は、サナトリウムに到着した翌朝、朝食でクルムバッハという銘柄の黒ビールを頼む。それがこのサナトリウムの生活の開始を意味する。彼は夕食にも、そのビールを飲み、それが日課になる。あるとき、彼は熱が出て、ビールを頼まなかったので、そのために周りがひどく心配するほどである。

 物語のひとつの山場は、ちょうど中盤を過ぎた頃、彼は、ワインを持って、スキーを履いて雪山に入って行く。途中、彼はワインを飲んで、酔ったところでふぶきに会い、危うく凍死しそうになる。そのときに彼は、このサナトリウムでの生活が、黒ビールとともに始まったことを思い出す。ここで酒は死への誘い(いざない)である。

 物語の終盤では、酒飲みのオランダ人が登場する。彼は毎食ワインを一本か二本空ける。ときには、続けてシャンパンや、彼が「醸造したパン」、「透明な液体のパン」と呼ぶ、普通これはビールのことであるが、しかしこのオランダ人の場合、それはジンなのであるが、それらも次々と空けていく。ここでこのオランダ人は生の象徴である。物語は、精神性を象徴し、死を暗示する、幾人かの議論好きな登場人物と、このオランダ人や、主人公の憧れる夫人とが代表する、生の感覚との、対立によって進展する。精神と生、または死と生。マンの好きな対立項が、時に止揚され、時に対立したまま、そしてときにどちらかが優位になって、物語は進展する。そしてその媒介に酒が登場する。

 ミュンヘンのビアホールで、私はマンを読みつつ、不思議な感覚にあった。この空間は確かにヒットラーを生んだのだが、しかし同時に人々の生活、生命のエネルギーに溢れている。死と生の対立は、確かにときに、前者の圧倒的勝利となるのだが、しかし多くの場合、両者は静かに共存する。『魔の山』の終盤で、酒好きのオランダ人は急死し、夫人は主人公の前から静かに姿を消す。ここでも死が勝利したかのように見える。しかし小説を読み終えて感じるのは、平穏であり、静かな生の予感である。

 この街は大晦日までにぎやかであった。私がかつて滞在したボンは、田舎の小町であり、1224日の正午になると、それまで町中を彩っていた華やかな飾りや、熱い赤ワインとソーセージを供する屋台や、即席のスケートリングが消え、町はひっそりとなった。ここミュンヘンは観光客が多く、大晦日深夜まで、街中から(ちょうど『魔の山』のサナトリウムの食堂のように)、イタリア語やロシア語が聞こえていた。それが11日の朝には、街はすっかり解体され、観光客は行き場を失った。辛うじて開いていた酒場に、午前中から、街の独り者の老人や、孤独な旅行者が集まっていた。ひっそりと私たちはビールを飲み、しかしその日は紛れもなく、新年の晴れの日であり、再生のときであった。

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