世界の酒       ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第十一回  移民の国のワイン

                              2007.2.1

 

コッポラという名前のワインを、赤はカベルネ・ソヴニョンをベースにしたものと、白はシャルドネと、それぞれ手に入れて、久しぶりに飲んだ。そしてアメリカでの生活を思い出した。

私は、大学の客員研究員として、一年と数ヶ月、カリフォルニアに滞在したが、アパートを大学から遠く離れたところに求めていた。ひとつには三人の子供たちの通う地元の公立学校の評判を考えたためであり、もうひとつは、普通の人の生活ぶりを知りたいということも、その理由としてあった。そして選んだ街は、シリコンヴァレーに通うアジア系移民の住む町であった。

私たちは移民に囲まれて、もちろん私たち自身は移民ではないし、また一年数ヵ月後には日本に帰る、と宣言していたにもかかわらず,しかし私たち自身も周りから移民だと思われて、その町で暮らしていた。街には中華料理店とインド人用の雑貨店がたくさんあった。三人の子どもの通う中学校と高校は移民でごった返していた。妻は毎日、英語の出来ない移民のために市が用意した無料の英語教室に通い、中国系、台湾系、韓国系アメリカ人に混じって勉強していた。私たちは、彼らを通じて移民の生活を知った。

娘の友人はインドから来たシーク教徒だった。その子の母親は英語がまったく出来なかった。娘を私は車で、その友人宅まで送り迎えをするのだが、いつも家の前で,母親が迎えてくれた。母親は黙って、私の娘を抱き、自宅に迎え入れた。また私が迎えに行くときも、娘を同じように抱きしめ、別れの挨拶をしてくれた。時に私を家の中に身振り手振りで招いてくれるときもあった。

家の中に入ると、その日は特別なお祭りかと思うくらい、親族が十数人は集まって、一緒に食事をしているのだった。実際それは彼らにとって日常である。シリコンヴァレーでは、ひとりのITの天才が出て、職に就くと、次々と故郷から親族を、一体どこまでが親族なのか分らないが、呼び出すのである。そうして狭い部屋に、何人もが住んでいる。

あるいは、息子の友人は、その中学生本人はアメリカで生まれたので、アメリカ人なのだが、正式なビザを持って外国人労働者として滞在している父親と、ビザがなく、不法滞在をしている母親や兄たちと一緒に住んでいた。

もちろん差別はすさまじいものがある。息子の中学校の近くには、全米最大のアフガニスタン村があり、とりわけ9.11の後、そこでは毎日のように発砲があったし、パトカーのサイレンもしきりであった。イスラム人は、一人で出歩くことはなかった。また私はバスの中で、黒人にいびられた。お前たちアジア人が来たために、アメリカ人の俺たちの仕事がなくなってしまったと言うのである。これは辛いものではあったが、しかし大学のキャンパス内では決して得られない貴重な体験であった。

そういうときに見たのが、「ゴッドファーザー」である。はじめ私はそれをビデオ屋で借りて見、ついで、三巻、それぞれ上下、計六本のビデオを纏め買いして、自宅で繰り返し見たのである。それは移民の悲劇の物語であった。故郷を追われて、やむなくアメリカに来た人々の、アメリカでの苦渋の歴史である。それはまた百年の時を隔てて、私たちアジア人が経験しているものと変わりがない。

私は休日に、ひとりで肉を焼き、イタリア風パンをオリーブオイルに浸して食べ、カベルネ・ソヴニョンを飲んだ。またチーズの塊を崩して、シャルドネをあおり、そうして、ほとんど涙しながら、この映画を見たのである。

移民の子どもたちは、学校で英語を覚えていくが、その母親は英語が出来ず、段々と親子の会話がなくなっていく。あるいは不法移民の親は、一時帰国もできず、いつの日か、晴れてアメリカ市民権を取って、故郷に帰るのを夢見ている。それは昔も今も、ヨーロッパ系移民もアジア系移民も変わらない。私の町では、インド人のための祭りが開かれると、割れんばかりのインド音楽が辺りに響き渡り、普段ひっそりと暮らしている彼らが、その日だけは、激しく踊り狂って、エネルギーを発散させていた。それは映画の中の、イタリア系移民の祭りと重なる。そういう移民の悲しみが、この映画の背景にはある。

移民はしかし、アメリカに様々な貢献をしている。カリフォルニアワインの質を高めたのは、まさにヨーロッパからの移民たちである。ヨーロッパの技術と最新科学の組み合わせが、さらにはまたカリフォルニアの豊かな自然が、カリフォルニアワインの名を高めたのである。ロバート・モンダヴィがその筆頭であろうと思う。そしてコッポラは、そのモンダヴィからのアドバイスもあって、また、『ゴッドファーザー』part2をきっかけに知り合ったロバート・デニーロにも声をかけて、広大な葡萄畑を買い取り、中世風の城のような建物を作ってワイン醸造所を始めたのである。おかげで、私はアメリカに来る前は、カリフォルニアワインを馬鹿にしていたのだが、実際にこの地に来て、様々なワインを飲み漁ると、それらの中には、案外おいしいものが多いことに気付かされたのである。カベルネ・ソヴニョンはたいてい何を買っても間違いがない。ジンファンデルは私の好みではなかったが、メルローも20ドル以上出せば、悪くはない。ピノノワールはときに素晴らしくおいしい。また白も、乾燥したカリフォルニアの気候に、良く冷えたシャルドネはうまい。かくして私の頭の中では、カリフォルニアワインと移民の悲劇が結び付いてしまった。

また、カリフォルニアで一番おいしいのは、中華料理とインド料理であることに私たちは気付いていた。私は今でも、年に一二度は必ずアメリカに出かけるが、何を食べたいかといえば、これは中華、タイ、インド料理の順になる。さらに、持ち帰り(to goと言う)の焼きそばやナンと、これらカリフォルニアワインが良く合うことも知っている。移民の集まって作られた国で、それぞれの出身地の特色を良く残したものが実はうまい。移民の技術に自然の豊かさがそれを保障している。米も、日本人用に売られているカリフォルニア米は、結構うまいし、しかも日本で買うよりも安い。だから日本人の私たちが、日本で身に付けた技術でご飯を炊けば、うまい日本食ができる。それがアメリカである。

一年と二ヶ月の滞在を終え、いよいよ日本に帰ろうというとき、いつも大学に通うバスの中で一緒に並んで座っていたヴェトナム人の女の子は、本当に驚いていた。彼女は私が大学生だと思っていたのだ。妻の友だちには、中国で医者を務めていたのに、アメリカに来て、短大から入り直している夫婦や、エンジニアの職を棄てて運転手をしているアフガニスタン人などがいたから、私が、40代で大学に入り直しても、彼女にとっては不思議でなかったのである。彼女自身、シリコンヴァレーで成功した叔父を頼って、アメリカに来て、これから大学に入るために、大学のすぐ裏側にあったヴェトナム人街でアルバイトをしていた。また妻の友だちは私たちに対して、口を揃えて、もったいない、せっかく英語が出来るようになって、これからアメリカ市民になれるチャンスもあるのに、なぜ帰国するのか、と言うのだった。

私たちは結局移民ではなかった。しかし一年二ヶ月を、移民として生活した。カリフォルニアワインを飲むと、移民の悲しみや、その喜びの中で生活していた日々を思い出す。そしてあと数十年もすれば、中国系マフィアやインドの闇商人がカリフォルニアで暗躍するのではないかと感じている。うまい紹興酒が作られているかもしれない。

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