世界の酒       ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第十三回  美しい日本の酒

                              2007.4.7

 

谷中で花見をした。ビール会社に勤める若い友人が、発売されたばかりの緑の「えびすビール」を持って来てくれ、また近くの、私が二十年来通っている酒屋には、「緑川」が置いてあり、うまいビールにうまい日本酒、かつて幸田露伴が描いた五重塔が、その垣根だけを残す墓場の真ん中で、夜桜が殊に美しい。その桜はしかし、すでに満開を過ぎて、風が吹くと花吹雪となり、私は春を満喫した。そしてあらためてこの日本の麗しき風習をありがたいと思う。

 かつてアメリカに滞在していたとき、そこでは公園などパブリックなところで酒を飲んではいけないとされているので、私は家族で車を飛ばして、海辺のキャンプ場に行き、西海岸の、没していく夕日を見ながらどうしても酒が飲みたくなって、やむなくコーヒーカップにビールやワインを移し替えて、隠しながら飲んだ記憶がある。美しい自然を見て酒が飲みたくなる心性は理解してもらえない。

三月末に奈良で酒を飲んだことは前回書いた。二月には、九州大宰府に梅を愛で、近くの二日市温泉で酒を飲んだ。昼間の梅を思い、大伴旅人の酒を誉むる歌を口ずさんだ。旅人は、大宰府で酒の歌を作ったのではないが、しかし旅人と言えば、この万葉集の酒の歌13首か、あるいは筑紫大宰府に赴任して、奈良を偲んだり、亡くした妻を思ったりという歌で知られており、私の頭の中では両者は密接に結び付いている。いつか大宰府で酒を飲みたいと思っていて、ようやくその願いがかなった。

 一月は京都に出かけた。私は学会があるので、必ず夏と冬と京都に出かける。京都には馴染みの店がある。そこではわがままがきき、地元の純米酒をぬる燗にして飲ませてくれる。ぬる燗にして、飲む頃には人肌燗になる。それがちょうど良い。

肴も器も店の雰囲気も、訪れるたびに趣向を凝らし、季節の推移を感じさせてくれる。とりわけ東京生まれの私には、京都の正月は興味深いものである。

東京にいるときは、職場近くの、二千円くらいで飲める居酒屋に学生と出かけ、たいていはビールを飲む。安い居酒屋でビールが一番まともだからだ。地元では、もっと安いもつ焼きやで、ハイボールかホッピーを飲む。それらについてはすでに書いた通りである。それが地方に行くと、もう二ランクくらいは上の店で、酒を飲む。自宅で飲むように、ぬる燗にしてもらうか、それが出来なければ常温で、その地方の、純米酒を飲む。しかし残念なことに、たいていの店では、そういうわがままはきかず、酒が熱すぎたり、冷たすぎたりする。そういう時は、ビールでも飲んで、すぐにホテルに戻り、酒屋で買っておいた酒を飲む。夏ならば、酒は常温でも日向燗くらいにはなる。

酒は、常温、日向燗、人肌燗、ぬる燗と来て、旨いのはそのあたりである。料理を引き立たせるだけではない。酒の旨みがゆっくりと味わえる。雰囲気を味わうのが主たる目的ならば、酒はゆっくりと味わえる温度でないとならない。

先夏は、都合二週間、京都に滞在し、馴染みの店があると言っても、毎晩金の掛かる店に出かける余裕はないから、概ねホテルでひとりで飲むことになる。夕方、まだ蝉の鳴き声が残っている時分から飲み始め、少しほろ酔いになって、散歩をする。

 8月中旬、京都でしきりに鳴いていたのは、くま蝉である。一体いつから京都でくま蝉が鳴くようになったのか。恐らく九州から苗木を運んできた際に、持ち込んだものだと思う。古典文学の中で鳴く蝉に、この種類はいないはずだ。夏の初めを告げるにいにい蝉、山のふもとのひぐらしか、日中暑苦しくなくあぶら蝉、夏の終わりに鳴くつくつく法師といったところが、定番だ。

どんな花が咲き、どんな蝉が鳴き、どんな鳥がいたのか。そしてどんな酒を飲んだのか。一人酒を飲み、考えることはいつも決まっている。欧米のワインやビールは、私は会話を楽しむためのものだと思うのだが、日本では、酒は雰囲気を楽しむためのものである。下町の雑多の賑わいの中で、モツを食らう。花見を楽しむ。多くの場合、食事が主で、酒は従になるが、それもとりわけ季節の食べ物が肴に合う。春は、ふきのとう、こごみに始まり、菜の花、筍と来て、タラの目のてんぷらに行き、まもなく、夏野菜が始まる。私は、多少の畑を作っているから、そこで、採れたしし唐やインゲンを楽しむ。紫蘇の葉の素揚げもうまい。トマトを油で焼いても良い。秋の茸に続いて、冬野菜はとりわけ大根を煮て、葱の歯ざわりを楽しむ。そういった、季節の野菜とともに、酒を飲む。

あるいは旅先のホテルでは、カマンベールチーズしかなくても、窓の向こうに花が咲き、蝉が鳴き、虫の音が聞こえ、月が見えればそれで良い。季節の推移が感じられればそれで良い。

料理を楽しみ、季節を楽しみ、雰囲気を楽しむ。そのための酒である。少し大げさに言えば、日本では、神は自然である。自然の中で自然を感じつつ、人は酒を飲む。西欧では、神は言葉である。人は人と話し、神と対話する。酒の役割はずいぶんと異なる。

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