世界の酒       ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第十五回  ロマネスク建築とワイン

                              2007.6.1

 

 パノフスキーの『ゴシック建築とスコラ学』には、13世紀に確立したゴシック建築、例えば、パリのノートルダム大聖堂が、当時の哲学であるスコラ学と顕著な類似性を持っていること、あるいは後者の精神習慣が前者に大きな影響を及ぼした、ということが書かれている。それは、ヨーロッパに出かけるたびに、大聖堂を眺めるのを楽しみのひとつにしている私には、直観的には良く分るような気がする。信仰を明らかにする、明瞭にするという心性が当時の人々の精神習慣を形成するに至り、それがゴシック建物に共通する、あの秩序だった様式を創っている。またその哲学の全体性、包括性があの壮大な建物の構築に結び付く。パノフスキーはそれを実に豊富な実例とともに、説明して行く。

この精神習慣という概念から、後にブルデューがハビトゥスの着想を得たことは、ブルデュー自身が明らかにしている。しかし私はむしろ、これはウェーバーの言う、エートスに近い概念だと思う。ハビトゥスは一階層内での精神習慣であり、ここでは、中世という、時間的にも空間的にも大きな単位の中で培われた精神的態度を考えるべきである。

さてここで、私はかねてから、ロマネスク建築の、あの閉鎖的な構造は、まさに中世修道院の精神習慣から来ているのではないかと漠然と感じていた。パノフスキーの言う「ゴシック建築とスコラ学」よりも少し前、時代で言えば、11世紀頃、典型的な建物を挙げれば、これも私がしばしば訪れたマインツの大聖堂がそうである。私はかつてボンに滞在し、ライン川に沿って、北に行けばケルン、南にマインツがあり、その間をローカル線で移動すると、車窓にライン川と傾斜地の段々畑に植えられた、一面の葡萄と点在する教会や城を楽しむことができる。13世紀に建てられた、ゴシック建築の典型である、空高くそびえ、黒ずんだ建物の、ケルンの大聖堂と比べて、このマインツ大聖堂は、尖塔を備えているが、全体的に丸みがあり、色彩も穏やかである。内陣は複雑で、中に入れば、思いのほか広く、回廊は歩きながら思索するのにお誂えである。

このロマネスク建築に対応する精神習慣のキーワードは、禁欲である。そしてその禁欲概念が、のちに、ルターによって世俗化され、カルヴァンによって極度に推し進められた。それこそがまさに、ウェーバーがプロテスタンティズムの倫理と呼んだものに他ならない。

そもそも修道院は、古代にあって、キリスト教徒の理想とされていた殉教が、中世においては、もはやキリスト教徒であるということで迫害を受けることがなくなったから、当然それは不可能になり、しかしその精神を示すために、現世の欲望を絶って、いわば擬似殉教をする場として生まれた。そこで美徳とされた禁欲が、最初は生きながらにして、すべての欲望を否定し、つまり事実上死んでいるということを示すための態度であったのだが、やがて勤勉へと、つまりすべての無駄、浪費を省いて、ひたすら神に仕える、という態度に変わり、前回も引き合いに出した、ベネディクトの『戒律』が示したような、集団生活の中での消費を抑えて、生産性の向上、高い技術と結び付いた。それがロマネスク建築の、外部と遮断されて、しかし内部では充実した生活を保障する、建築様式に良く現われていると思う。

ベネディクトは、6世紀の人物だが、彼は修道院の規律を整理し、それが長く中世の精神習慣の基礎となった。酒を厳しく禁止する流派に対して、彼は、「飲み過ぎなければ良い」とし、それが修道院の考え方の主流になったということは前回のこのコーナーで書いた通りである。彼の育てた修道士たちが、まさしく禁欲精神をもって、葡萄畑を管理し、酒造技術を伝え、ワインの生産量を高めることに貢献した。そしてその彼らの住居がロマネスク様式の修道院なのである。

私には、だからワインや、その後にはビールを育てたのはロマネスク建築に現われている、中世の精神習慣に他ならないと思えるのである。その酒造技術と、広大な葡萄畑、麦畑は今日においても、一部修道院が所有し、大部分は世俗化して、しかしその趣を残している。

私は、じっこんにしている酒屋から、最近しばしばブルゴーニュのワインを勧められる。ワインには、生産地と生産者の名前が明記され、その由来が書かれた簡素なパンフレットが付いている。それを読むと、葡萄畑はしばしば、修道院に発っしている。ブルゴーニュ地方にとりわけ修道院が多かったことを考え合わせれば、それは首肯できる。

今、私が考えているのは、9月に休みを取って、いや、仕事を名目に、フランスの修道院探索、いや、これも正直に書けば、ワイン巡りをしてきたいと思っている。今期は殊に職場の仕事は忙しく、今はそれだけを楽しみに、日々膨大な雑用に追われている。大学教員をここまで忙しくさせては、日本の研究水準は落ちるばかりだとぼやきつつ、しかし仕事はしなければならない。歴史の中で物事を考え、今の時代の精神習慣を形成するには、本当は、朝早く起きて、午前中は本を読み、午後は散歩をして思索をし、ワインかビールを飲んで、早々と寝る、という生活が理想かつ必須であると思うが、そういうことが私に許されているのは、年に数日に過ぎない。

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