世界の酒       ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第十六回  僧坊酒

                              2007.7.31

 

僧坊酒の天野を飲む。際立って、濃厚。美味である。秀吉が愛飲したという、この酒は近年、復古酒が作られ、売り出されている。しかし生産量が少ないのか、手間が掛かるのか、小さな器に入れられて、ずいぶんと高価なので、少ししか飲めない。それは大きな欠点である。酒はやはり、ある程度の量を飲むことを前提に作らないとならない。私が吟醸酒をあまり評価しないのは、一口だけ飲めば、確かにそれはおいしいが、たくさん飲むと、妙な後味の悪さが残る。その点、くせのない純米酒ならば、一晩に、四合くらいを飲み干して、ほろ酔いし、眠りに就くことができる。そのくらい飲んで、なおおいしい、というものが良い。

僧坊酒では、この天野酒(天野山金剛寺)を今回飲み、以前、奈良酒(菩提山正暦寺)を飲んで、これも良かったので、さらに他にどんなものがあるか調べてみた。奈良酒は他に興福寺の南都諸白があり、また、多武峰山酒(多武峰談山妙楽寺)もある。その他の地域では、百済寺酒(釈迦山百済寺)、豊原酒(白山豊原寺)などが歴史的には有名である。しかし私の知る限りでは、それらの復古酒は作られておらず、資料を読んで、その味や香を推測するのみである。

奈良市内、中心部にある興福寺の南都諸白は、家康が誉めたことで有名である。すでに奈良時代の資料に見られる酒である。また菩提酒と並んで、多武峰山酒の記録も残っている。多武峰山は、奈良から山之辺の道を通って、桜井市に入ったところにある。

百済寺は、滋賀県東近江市にある。百済寺酒は室町幕府に珍重されたとあり、さらに足利義尚のお気に入りだという話もある。

豊原寺については、福井県に白山があり、そこにある寺で、歴史は古い。元々、越前の僧が、この地に白山神社豊原寺を創り、中世には「豊原三千坊」と呼ばれて、白山信仰を基盤とした神仏習合の寺として有名である。のちに一向宗(浄土真宗)の一揆が広がると、その拠点になる。信長は、ここを焼き払い、北陸の一向一揆を鎮圧している。以上は、寺の歴史だが、酒がどんなものだったかは、よく分からない。

 以上、ちょっとばかり歴史を調べたのは、以下のような考えがあってのことである。マックス・ウェーバーが言うように、修道院で培われた禁欲的態度が世俗化して、資本主義のエートスとなる。そして実際に、修道院で農業生産力が高まり、資本主義を生むための、基盤ができる。小麦が取れ、酒を作るための高い技術が蓄積される。それらがあって、酒つくりが可能になる。

 イギリスで宗教改革が行われたのは、ヘンリー8世の離婚問題だとされるが、しかし何よりも、修道院の持つ莫大な財産を没収するためである。つまり修道院には、酒作りができるほどの基盤があり、それが資本主義の発達が密接に関わり、かつ、国王や、ドイツならば、諸侯にとって、十分魅力であり、それが近代諸国家の発達を促している。

それは多分日本においてもそうだろう。あるいは、日本において、どのように資本主義のエートスが涵養されたのか、私は考察したかった。ただ、それは私の力量を超えている。仕方なく、私は資料の収集を断念し、また天野酒はすぐに飲み干してしまったので、あとは、中世の酒がどんなものだったかと、想像するしかない。それは多分私の作る、どぶろくに似ているに違いない。ただ、そのどぶろくも、私の技術では、極寒の、ほんの短い時期にしか作ることができないし、そうして作ったものも、夏を越えることはできない。真夏の夜は、中世の酒を求めて、ひたすら想像の羽を伸ばすしかない。

さて、私は8月末にはアメリカに、9月にはフランスに出かける。各地で酒を飲んで来たいと思う。その報告は次回以降にしたい。

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