世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第十七回 モルモン教徒は何故、酒を飲まないか
2007.8.26
共和党の大統領候補に、ロムニーというモルモン教徒がいる。ダークホース的な存在だったが、急速に支持を広げている。2007年8月下旬、私はモルモン教徒の拠点、ソルトレイクシティー(SLC)にいた。ここは砂漠の中に作られた巨大な町である。日中は暑く、肌を刺すような日差しに苦しむが、しかしその一週間前に、東京では38度を記録していて、そのときの重苦しい暑さではなく、ここでは良く空気は乾いて、むしろ過ごしやすい。
モルモン教総本山の寺院で、聖歌隊のコンサートは毎週、日曜の朝に行われる。正味30分。その一時間前から、数千人の人々が静かに会場に入場する。すでに、聖歌隊は、ざっと数えて、300人ほどの男女が、男は黒の背広を着て、赤い地に水玉模様のネクタイをし、女は水色のドレスに白いネックレスといういでたちで、勢ぞろいして、リハーサルをしている。その前には、数十人からなるオーケストラがあり、その後ろには、巨大なパイプオルガンがあり、背景は、宇宙を思わせる青い光を放つ壁になっている。厳かで盛大。まもなくコンサートが始まり、それはテレビで全米に放映される。後半、背景の壁は、今度は天国を思わせる、薄い赤に変わり、会場は静かな熱気に包まれる。ヨーロッパの教会が、その伝統の重みで人に迫るのに対し、アメリカの教会は、その壮大さで人を圧倒する。異教徒の、いや唯物論者の私も、この一瞬は神を信じている。
アメリカには、実はいくつかこのようなメガ教会がある。大きな建物を作って、派手な宣伝で人を動員する。近年、正確には、冷戦後と言うべきだが、私はアメリカの、異常なくらいの宗教熱の高まりを感じていた。クリントンは、日本ではあまり知られていないが、宗教熱心なことでアメリカ国民から支持されていた。彼は教会で、涙を流しながら賛美歌を歌い、その姿は全米に放映される。それが彼の誠実さの証だった。民主党大統領でさえ、そうなのだ。ましてブッシュ共和党大統領は、その無能ぶりは夙に知られており、ただその宗教的な姿勢が、保守票をまとめられるという理由だけで、大統領になったのである。
さて、2008年の大統領選挙をまもなく迎える。共和党候補の筆頭、ジュリアーニは、評判が今ひとつ芳しくなく、急遽浮上したのが、このモルモン教徒なのである。アメリカ大統領に、宗教的熱気は不可欠である。日本では、政教分離という概念が間違って伝わっているが、そもそもファンダメンタリストというのは、宗教的な理念を政治に反映させようという人たちのことを指すのだから、宗教的な支持をまとめられる人物が絶対に必要なのである。
ではモルモン教徒が果たしてアメリカ宗教のまとめ役になれるのか。これが問題である。
モルモン教は、19世紀初頭、アメリカで始まった。創始者は、ニューヨーク郊外の森の中で、アメリカにキリストが再臨するという教えの書いた金板を見つけたことに始まる。その教えは、まさしくピューリタンが持っていた千年王国論に他ならず、ただその場所がアメリカローカルであるに過ぎない。初代は、やがてイリノイ州で殺されるが、二代目が、1万5千人の信徒を引き連れて、一年を掛けて、川を横切り、山を越え、このユタの砂漠に到着し、ここを開拓してきた。それは、17世紀に宗教的迫害を受けて、狭いヨーロッパから、広大な土地にその新境地を求めて人々が海を亘ったのと完全に重なる。モルモン教の歴史は、アメリカの歴史を繰り返している。
SLCに来て思うのは、ここが如何にもアメリカ的だ、ということである。砂漠の中の人工的な町。巨大な建物。そしてメガ教会の聖歌隊。モルモン教徒は、うまくアメリカ宗教保守をまとめられるのではないかと私は思う。ロムニーは善戦するだろう。
さてここから本題である。モルモン教徒は、酒、タバコ、コーヒーを飲まない。私のように、朝は数杯のコーヒーが、そして夜は酒が欠かせない人間が、果たしてユタ州で過ごせるのかと、最初は思ったのだが、実際には、ホテルのレストランは、観光客にコーヒーも酒も出すから、問題は何もない。ここで問題にしたいのは、何故、モルモン教徒はそれらを避けるのかということだ。それはモルモン教が典型的なアメリカの宗教だということと関係する。19世紀初頭、アメリカに禁酒運動が高まったときに、この宗教は生まれた。ピューリタンの潔癖さは、酒を許さない。今日、宗教的な理由で酒を飲まないアメリカ人はたくさんいるし、酒の売買が認められていない地域はたくさんある。何も、ここだけの話ではない。
興味深いのは、調べた限りでは、モルモン教の初代創始者も二代目も、本人は酒を飲んだらしいということである。つまり、この宗教は、もともと禁酒を趣旨に結成された団体ではなかった。しかし運動の中で、以前禁酒法について書いたときと同じく、禁酒派と酒の容認派とふたつの振り子があり、恐らくは、それが揺れ動きつつ、しかし経済的な要因もあり、つまり相当に厳しい生活を信者たちは余儀なくされたはずであり、閉鎖的な空間では、次第に禁酒に向かったであろうことは容易に想像できる。ここでもモルモン教の歴史は、アメリカの歴史である。
私の結論は、そういうことも含めて、ここは如何にもアメリカ的だということである。ここに来る前に立ち寄った、サンフランシスコもアメリカのひとつの姿である。そこで私は馴染みのbreweryでビールを飲み、Napaのwineryを訪れて、今年のぶどうの生育振りを見て回った。それもまたアメリカである。しかし常に振幅があり、それが、どうも禁酒時代と同じ、ひとつの方向に次第に偏り始めているのを、そしてアメリカ全体が閉鎖的になって来ているのを、私はメガ教会の盛況振りと重ねてしまう。実は半日つぶして、SLC郊外も歩き回った印象では、コーヒーはどうやら飲まれているようである。ただし、酒とタバコは避けられている。そして実は、アメリカでは一般に、日本ほど酒は飲まれていないし、タバコに至っては、どこでも嫌われている。つまり、SLCを歩き回った印象では、この町は決して特殊ではなく、アメリカの平均的な町に過ぎない、ということなのである。
ロムニーについては、連日新聞を賑わわせている。モルモン教は表面的には、カルトだと多くの人が思っていて、嫌われている。ロムニー自身も、モルモン教が正当なキリスト教なのかどうかということには言及せず、SLCとマサチューセッツでの、実業家、政治家としての実績を強調する。ケネディが、カトリックであるにもかかわらず、大統領になれたことに彼を重ね合わせる人もいる。しかし私は本音の部分では、本命のジュリアーニに宗教的カリスマがないのだから、モルモン教徒でも仕方ないか、というところで、彼が支持されているように思われる。2007年の初めの頃は、ファンダメンタリストはモルモン教徒を嫌うだろうと言われていた。しかし今やそうではない。むしろ彼は宗教的な熱心さで支持を集めている。こういうこともアメリカに来ないと分からない。
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