世界の酒       ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第十八回  ジャズを聴く前に酒を飲む

                              2007.8.31

 

 アメリカのどこに行っても、breweryはある。シカゴは、Grand Ave.の、地下鉄Red LineGrand駅を降りた、直ぐまん前に、Rock Bottom Breweryがある。大きな店で、私が訪れたのが金曜の夕方だったからか、まだ6時前だというのに、すでに店は満員で、話し声でホールが充満し、唸るほどである。私はこの種の騒音は嫌いではない。うるさいのが嫌ならば、静かな店は探せばあるし、一人静かにホテルの部屋でワインを飲む、という選択肢もある。日本では、しかし安い店は、とにかく若い人の声でうるさく、私は学生と一緒に飲むとき以外は、そういう店には行かない。狭い店で、特定の集団、つまりたいていは隣の集団の声が、こちらを苛立たせる。もう少しお金を払っても良いから、静かに飲みたいと思うことが多い。しかし、このbreweryは決して安い訳ではなく、客も若い人ばかりではなく、様々な階層の人が来ている。アメリカ人はそもそも声が大きいし、しかも広い店で、特定の集団の声が大きいのではなく、全体として騒がしく、それがbreweryの雰囲気を作っている。

 さて、この店には、まずHefeweizenがあり、Pale AleRed AleBrown Aleとそろっている。Stoutもある。私はStoutを除いて、4種を飲む。Hefeweizenはドイツ語で、「酵母の入った小麦ビール」という意味である。私はドイツでこのタイプのビールが好きで、良く飲む。BonnBönschもこのタイプである。しかし、この店のドイツビールを、さすがに本場と比べては可哀想で、確かに、酵母の香りも、小麦の甘さも、今ひとつであると思う。しかしそれは仕方ないことだ。それに対してAle3種は、これは本当においしい。アメリカはやはり、Aleの国だと思う。ドイツの伝統はうまく引き継げなかったが、イギリスの伝統は、よく伝わり、アメリカの風土に合った。

 店員は、愛想の良いお兄さんで、私が、ビールを左端から順番に注文していることに、笑いながら付き合ってくれて、最後に、Stoutに行くか、というところで、私はもうgive up,というより、首を切るまねをして、英語で、fullと言うのだが、 豚肉と鶏肉の組み合わせという名の料理で、おなかが一杯になっていた。もっと軽い料理にすべきであった。連日、シカゴ名物リブ・ステーキで、胃が重たくなっていたので、軽いものをと思い、牛肉は避けたのだが、アメリカでは何でも量が多いという、基本的なことを忘れていた。しかし3杯のAleには満足し、再び、ミシガン湖畔に向かった。

そう、8月末、シカゴでは、恒例の野外ジャズ・フェスティヴァルが始まっていた。昼間は、ミシガン湖を背景にした小さなステージで、夜は、大きな方に移って、様々な演奏家が集まっていた。夕方には、多くの客で、あたりは一杯だった。その日、私は、少しひやかしてから、つまり本腰は入れず、軽く23曲聴いてから、breweryに出かけたのだった。そして、ほどほどに酔ったところで、このあと、お気に入りの演奏家が来るので、湖畔に戻ったのである。

ジャズについて、中途半端な知識をひけらかすつもりはない。また、それだけの素養もない。ただ、思うのは、高温多湿の日本と違って、戸外の風が涼しく、木陰で食事をするのが、殊のほか楽しい、この国で、何故戸外で、ジャズを聴きながら、酒が飲まれないのかということだ。この国では、ついに戸外で酒を飲む文化を作らなかった。いや、今でも、戸外で酒を飲んではいけないという法律を定めている州は多い。ここでは、わずかに、ワインとテキーラを売っている屋台があったが、まず、一人2杯までと書かれているし、結構値段が高いし、それを買って行く客はそれほど多くはない。

私は程よく酔っていたが、しかしもう少し飲みたいという気持ちがあった。ヨーロッパならば、必ずや、安いビールやワインが出回っているはずである。これだけ湖畔の涼しい風を浴びながら、酒がないのは寂しい。しかし、観客は、ベンチにびっしりと隙間なく座り、その後ろの芝生にも、恐らくは数千人の規模で人が座っていたが、皆、コーラやコーヒーや水を手に持ち、そして、すっかりジャズに酔い痴れていた。それはやがて私にも伝わって来た。その演奏家の最後の曲では、人は総立ちになり、スィングしていた。私もひとりでに体が動くのを感じていた。

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