世界の酒       ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第十九回  ブルゴーニュ修道院探訪

                              2007.9.23

 

ブルゴーニュ地方に、修道院とワインを尋ねた。歴史的には、10世紀初頭、この地方の小さな町クリュニーに始まった修道院が、やがてクリュニー派として、ヨーロッパ全土に、1000とも、1500とも言われる、下部組織を展開させる。その派手な、王侯貴族から金を集め、建築に金をかけるやり方に対して、その200年後の11世紀末、同じく、この地方にシトー派が生まれ、前者の中央集権的な組織に対抗して、質素な、個々に独立した修道院を、山の中に建てて行く。このブルゴーニュは、ヨーロッパを二分したふたつのタイプの修道院の発祥の地であり、しかもそのどちらもが、ロマネスク様式の建物を多く、このあたりに残している。

私が訪れたひとつの修道院は、小さな、田舎の駅から、6kmの距離にあった。私は、徒歩でそこに出かけた。フランスに馴染んでいなかった私には興味深い、くすんだ赤の屋根に、ベージュの壁の建物が並ぶ村落を経て、やがて、なだらかな丘陵が牧場となって、展開される。そして最後は、森に入って行き、その修道院の発行する解説書の表現を借りれば、「この世の果て」と思われるところに、その修道院の遺跡があった。日本の山のように、険しいものを想像してはいけない。このあたり、どこまでもなだらかで、そしてここかしこに、泉が湧いている。夏は暑く、冬は寒く、しかし私のそこを訪れた9月の中旬、空気はよく乾燥していて、日本よりははるかにすごしやすい。そして何よりも、この気候は、実は葡萄の収穫に向く。この駅に向かう列車の車窓には、葡萄畑が一面に広がっていた。

もうひとつは、これまた小さな町まで列車で行き、そのあとでバスに乗り換える、とガイドブックにある。それで実際にその町まで列車で行ってみると、しかしその修道院に向かうバスの停留所は、どこにも見当たらない。折り良く居合わせたバスの運転手に、聞いてみても、そんなバスは知らないと言う。それで一旦はあきらめて、宿を取っている町まで戻ろうと考えるが、しかし列車の便は、まだあと2時間待たねばならない。仕方なく、時間をつぶそうと、町まで出る。ヨーロッパでは、町外れに駅があることが多く、というのも、日本のように、電車が走ってから、その駅を中心に町ができるのではなく、最初から町ができているところに、電車を走らせるから、駅はしばしば町の外れにある。私はその町の中心まで、歩いて出かける。すると、そこは典型的な中世都市で、町の中心に教会があり、その前は広場になっている。その一角に観光案内所があって、そこで、再び、修道院のことを尋ねると、やはりバスの便はあるらしい。一日に数本。次のバスが来るまで、さらに2時間待たねばならず、私は、その町を一周して、ふたつみっつとある教会を覗く。そうしてやっとバスに乗り、修道院に辿り着く。

修道院見学は、一日かがりの仕事だ。車を持たず、フランス語の得意でない私にとって、それはまさに苦行である。マックス・ウェーバーの言葉で言えば、活動的な禁欲、つまり何かの目的のために他を犠牲にして、積極的に身体を動かすことに他ならない。実際私は、朝は宿で、大陸式の、パンとコーヒーだけの朝食を取り、昼は何も食べず、一日歩き回るのである。修道院に行き、その前後に、ふもとの町を歩き回る。そうして夜になって、やっと、レストランで、ワインとディナーにありつける。ワインの銘柄は、さっきまで歩き回っていた、具体的な地名を挙げれば、コート・ド・ニュイ、ボーヌ、マコンといったところだ。フランスワインの多くは、地名が名前になっていて、ブルゴーニュワインに詳しい人ならば、先の地名で、おおよそのところが分ると思う。要するに、私が昼間歩き回ったところが、まさにワインの産地なのである。

私のひとつの疑問は、クリュニー派がワインを盛んに作っていたのは頷けるが、徹底的に質素を推し進めたシトー派がまた、ワイン作りに励み、そのワインは、今日のブルゴーニュワインの基礎を作っているということだった。しかしそれを疑問に思ったのは、私が歴史に疎かったからであり、修道院では、ミサに使い、また修道院内で飲むためだけでなく、財政的な基盤としてワイン作りをしていたのである。修道院は、また泉の湧く、農作物に適したところに建てられることが多く、また、修行僧たちは、当時のインテリで、高い生産技術を持っていたから、そこに良質のワインができるのは当然である。華麗を極めたクリュニー派も、質素を旨としたシトー派も、ともに、財政的な基盤は、王侯貴族からの寄付と、あとは、ワインの収益であった。

とすれば、クリュニー派、シトー派共通の、ロマネスク様式の修道院とワイン作りとが実にしっくりと私の頭の中で結び付く。ロマネスク建築様式とは、その名の通り、ローマの伝統に由来する。ワインもまた、ギリシアから受け継いで、ローマ時代に広く飲まれるようになり、中世は修道院を通じてその作り方、飲まれ方が確立されたのだが、両者は同時にそのスタイルを洗練されたものにしていくのである。その建物は、閉鎖的で、静謐な空間を作るために良く考えられて建てられており、とりわけ、その中に設けられた、中庭を取り巻く回廊は、祈りと思索の場にふさわしい。

私はその回廊を歩くのが、殊の外好きで、観光客もまばらなその空間で、必ず、一定の時間を過ごす。修道院の多くは、今や文化財として保護されていたり、中には博物館になっていたりするのだが、その原形は留めていて、回廊を歩けば、当時の雰囲気は伝わって来ると私は確信している。わざわざ出かける価値はある。

また一方で葡萄畑の方も、今は大分、修道院自体が持っている畑は減り、民間のものになっているが、しかしそのワイン作りの伝統は生きていて、そうして作られたワインはまさに、地酒であり、輸送を制限しているものもあり、本来はその地方に出かけてこそ、味わうことができる。

このあたりは、ワインカーブ、つまりワインを貯蔵する洞穴で、ワインの試飲もさせてくれる。しかし私はどうもこの試飲というやつが苦手である。少しずつ酒を口に含ませたところで、酒の真価が分るのか。前にも書いたが、酒はやはりある程度、量を飲んで、その酔い心地や、また料理との相性も考慮して、その価値を決めないとならないと思う。

一日修道院を、また中世の町を歩き回ったあとに、宿の近くで飲むワインはうまい。飲み方は、日本酒と同じく、まず、空っ腹に、ぐいっと一杯、五臓六腑に酒を染み渡らせ、それからゆっくりと、前菜をつまみながら、酒を口に運ぶ。それから、牛肉の赤ワイン煮だとか、牛の背肉のステーキといったメインディッシュとなるが、この国の料理はちょっとばかり量が多いのが欠点である。その料理に負けず、良く酒を飲み、そして最後の仕上げは、この国では、チーズと決まっている。それを食べ切るまで、酒もまた絶やさず、体に入れないとならない。そうして程好く酔って、宿に帰る。

昼間歩き回った、修道院や、町の教会が思い出される。そして広大な葡萄畑の風景も、それは、バスの車窓に、また歩きながら、そのすぐ横の道の向こうに広がっているのだが、それらも思い出されて、禁欲の中にある、また禁欲のあとの、快楽を感じるのである。さらには、数年前に滞在したボンの中心部にある教会には、部分的にロマネスク建築様式が残っていて、それは多くの教会がそうであるように、のちの様々な様式が混在しているのだけれども、しかし主として、まだゴシックの入って来る前の時代の様式が支配していて、回廊もあり、私はしばしばその回廊をひとり歩いて時間を過ごしたことを思い出した。思いは、数時間前から、数年前へ、そして一気に千年前へと飛翔し、それこそがまさしく酒の力にほかならない。

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