世界の酒           ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第二十二回 酒の器

                                   2008.1.15

 

知り合いに京都の料理屋を紹介してもらい、一晩楽しんだ。菜の花の和え物、カラスミを大根で挟んだもの、河豚をくず粉で包んだものと、料理が、小さな器に乗せられて、手際よく出て来る。また筍は、正月の竹林で、間引きしたものを目の前の炭火で焼いてくれる。本当にその趣向に感心したけれども、何より良かったのは、酒をぬるめでと頼むと、さっと暖めて、徳利もまた保温のために温めて、タイミング良く出してくれる。温度は、ぬる燗か、人肌燗か、というところ。これが料理に合う。

本当はこんなことは当たり前のはずなのだが、しかし実際には、ぬる燗で、酒を出してくれる飲み屋は、近年珍しい。めったにないと言って良いくらいだ。燗と言えば、かなり熱くなる。一方で冷やといえば、本当は常温を意味するはずなのに、冷蔵庫で冷やしたものが出てくる。ぬる燗や常温と言えば、うちはそんなものは出せない、と言われる。

酒を飲むのに、ちょうど良い温度があることは、このエッセイでは度々書いている。何度でも書くけれども、純米酒は、ぬる燗がうまい。本醸造ならば、それより少し熱めで、しかし決して、50度を超えることはない。そのあたりで日本酒は飲む。しかしそういうことはなかなか理解されず、今では私はすっかりあきらめているのだけれども、最近では、赤ワインまでよく冷やして出て来る。これには驚いてしまう。これでは香りも味も台無しである。もちろん、先に書いたように、良い店を選んで行けば、単に料理がうまいだけでなく、酒もちゃんと温度や料理との相性も考えて出してくれる。しかし毎晩そんな店に出かけて行くだけの余裕はこちらにはない。それで、酒は家で飲むに限る、ということになる。

鍋にお湯を沸かして、徳利を温め、酒は金属製のコップに入れて暖めて、徳利に移す。この金属製のコップをちろりと言う。ちろりを手に入れるのも、近ごろでは大変だ。近くの金物屋で、ちろりと言っても通じないから、金属製で、酒を温めるやつ、というような説明をしていると、奥から大旦那が出てきて、もう二十年も前に、そんなものは置かなくなった、と言う。インターネットで手に入れると、想像したのとは異なったものが出て来る。いくつか、取り寄せたり、合羽橋を歩いたりして、ようやく気に入ったものを見つける。先に金属製、と書いたが、銅制と錫制とがあり、どちらが使いやすいか、自分で使ってみるしかない。そうやって道具をそろえて、ひとりで日本酒を飲む。ようやく至極のひと時が来る。

赤ワインは、温度調節は別段難しくなく、保存の方法だけが問題で、私は書斎の一角に、ワインネリーを設けている。夏は暑くならず、冬もそれほど寒さに晒されない場所である。そこで保存したものをそのまま飲む。白ワインとビールは、これは冷蔵庫に入れておく時間の問題である。冷たくなりすぎないように気を付ければ良い。難しい話ではない。こんな簡単なことなのに、なぜ、安い値段の飲み屋では気を付けてもらえないのか。まあこれも仕方ないと思って、ひとり、書斎で酒を楽しむことになる。

器もうまい酒を飲むにあたって、結構重要な要因で、私は最近では、ワインもビールも、湯呑茶碗で飲む。細長く、手に取りやすい形のもので、お気に入りのものがある。ギリシアではワインは、鉄製のコーヒーカップのような容器で飲む。ドイツでは、冬は赤ワインを温めて、これもコーヒーカップのような入れ物で飲む。ビールを飲む容器も、地方によって様々だ。瀬戸物あり、金属製あり、ボンのベンシュは、グラスがバナナ型に曲がっていて、どの地方でも、容器も含めて、地ビールの個性を誇っている。大きさも、ミュンヘンでは、1リットルサイズ、ケルンは200ccである。ワインも、南ドイツでは、360ccのグラスが多い。家で飲むなら、それはもう個人の趣味で、要するに、好きな大きさの、好きな入れ物で飲めば良い。そういうことも自宅では可能だ。

京都の飲み屋では、料理の器も、小さな、品の良いものが出されて、聞けば、五条のあたりで購入するという。翌日私は、祇園から、高台寺を過ぎて、三年坂辺りに、またさらにそこから五条に向かうと、ちゃわん坂という名の通りもあり、そこでたくさんの焼き物屋を覗いて歩いた。京都の焼き物について、特別の知識はないけれども、とにかくたくさん見て歩くと、何となく京焼の良さが分かってくる。お金に限りがあるから、買う訳にはいかない。しかし可能な限り、自分の足で歩いて、自分の目でみる。酒も可能な限り、良いものをたくさん飲む。よく歩き、よく見聞きし、よく飲み、よく食べる。大事なのはそれだけだ。


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