世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第二十四回 親子三代の酒
2008.5.31
立石「うちだ」に、どうしても行きたい、と思うときがたまにあり、しかし昼の2時開店の店で、3時、4時から焼酎を飲んだのでは、その日は仕事ができず、その前後に、相当に詰めて仕事をしないとならず、なかなか行かれない。それでいらいらして、しかし、いらいらしたのではかえって仕事ができないと、覚悟を決めて出かけて行く。そういうことを、ここのところ繰り返している。この店には、若いころに、二度か三度は来たことがあり、一体最初に来たのはいつだったか、思い出せず、この数年は、半年に一度くらい来たものが、いつの間にか、三カ月間隔になり、ついには、月に一度は来たいと思うようになって、こうなるともう中毒である。いったいなぜ、そこまで惹かれるのか。
先だって、母親が我が家に来て、一緒にビールを飲んでいた。母は、私の住む、この葛飾で生まれ、結婚後あちらこちら引っ越しをした後に、今また葛飾に戻って、一人で住んでいる。時々我が家に、安売りの牛肉の塊や、お中元にもらったビール券などを持って、やって来る。それで私は、早めの夕食を、母と、妻と、子どもたちと取ることになる。その晩は上の二人の娘は出かけていて、一番下の息子が、二十歳の誕生日を迎えたばかりで、私は息子にもビールを注ぎ、しかし息子は付き合いで仕方ないという風に、ちょっとだけ口を付けて、あとは、牛乳などを飲んでいる。親子三代そんな風に酒を飲むことが、たまにある。
そのときに、ふと、「うちだ」の話をすると、あそこのおかみさんは、母と幼馴染で、私は赤ん坊の時に、母に連れられて、そこに行ったことがあるという、驚くべき、しかし言われてみると何だか至極当然のように思える事実を告げられた。私は確か千住の生まれだと聞いていたが、母は、おそらく子どもができたのに相変わらず飲み歩いて、一向に家に帰らない親父に嫌気がさして、葛飾の実家にしばしば帰っていたのだろう。そして実家でも居場所がなくて、友だちの家に出かけて行く。しかしそこは、昼間から地元の肉体労働者が焼酎を呷る店で、赤ん坊を連れた若い女のいるところではない。その後、親父が借金から逃げるために、引っ越しを繰り返し、段々と葛飾から遠ざかって行ったから、母もほとんど立石に行くことはなくなったし、子どもたちが独立して、葛飾に一人戻った後も、「うちだ」は老女の出かける店ではない。ただ今でも何かの折に、他の同級生たちから、おかみさんの噂は聞くことがある、というのである。
母は、10代の終りに不良少年の親父につかまって、20歳で私を孕んで、その後もさらに二人の弟を生んで、ずっと苦労してきた。小学生の私は、明日の、学校に持って行く給食費がないというのに、それでも飲みに出かける親父が嫌いだった。本気で取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。私が中学生の時に、結局父母は離婚して、しばらくは親父と会わない時期があり、その後、私は、先だって書いたように、永井荷風を暗記するほど読み、太宰治をひたすら書き写し、若山牧水を暗誦し、葛西善蔵という、多分若い人には馴染みのない私小説作家にはまって、観念的には、どんなにお金がなくても酒だけは飲む、女は、むしろ貧乏なほど向こうから寄って来るという、実践したことのない原理を奉じて、ほんの一時期だけれども、別居している父親と仲良くなった。高校生のころは何度か飲みに連れて行ってもらった。
親父の同僚が昼間からたむろしている店で、私もビールを少し飲んで、おなかがすいたので、ご飯を注文したら、「おまえは白いまんまを食うのか」と、親父の同僚に説教をされた。酒が残っている内に、まんまを食ってはいけない。私が父親から教わったのは、もしかしたらそれだけかもしれない。
その後私は大学に入り、すぐに中退し、結婚して子どもができ、その前後には、親父と付き合いがあったが、しかしその後は現在まで、20年以上会っていない。利害関係がなければ、飲み仲間としては、親父は付き合うのに悪くはない。その日に稼いだ金はすべて飲む。明日のことは考えない。女房子どもはどうでも良い。借金をすることに何ら罪悪感を持たない。基本的に、あなたはお父さんそっくりではないかと妻は言う。私もそう思う。
しかし親子で利害関係はある。私は高校生活を、奨学金をもらって、さらにアルバイトを掛け持ちして過ごさねばならなかったし、最初に入った大学は、学費がなく、すぐに中退しなければならなかった。長女が生まれて、25歳になって、それから入り直した大学での生活は、二つの奨学金をもらって、学習塾を経営しながらのものだった。親父がまともならば、そこまで苦労しなくても良かったのに、という思いは親父に対する、根本的なものだ。さらに、経営する学習塾が、儲かって来ると、親父は、私の名前で借金をするようになった。もうそれは私の我慢の限度を超える。向こうも私の怒っていることは察知して、その後に親父と付き合いはない。
祖母と二人暮らしで、祖母の亡くなった後は一人暮らしの母親とは、ふた月に一度くらいは会う。時には一緒にビールを飲む。まだ生きているだろう、親父の想い出話もする。酒に飲まれ、貯金のできないお前が、一番親父に似ていると、これは妻だけではなく、母親からも言われる。
成人したばかりの長男は、子どもの時から、私の酒の上での醜態を見ていて、「僕は大人になっても、酒は飲まない」と早くから父親の私に宣言していた。酒を飲むときだけ、親父が好きで、しかしその他の面ではずっと苦労をさせられた私の場合とは対照的に、理論物理学者志望の息子は、一応は学者としてやっていて、息子の学費や本代は惜しみなく与える私に敬意を示しつつ、しかし酒好きだけは似たくないと拒否をしている。親子三代、酒を巡って、思いは様々である。
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