世界の酒      ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第二十九回   100本のワイン

                                  2009.1.24

 

 近くの酒屋の企画で、月に一回、客が10人集まって、その酒屋の店先にテーブルを出して、ワインを10本ずつ飲み、10か月で、100本飲もうという催し物があり、それに参加している。実際に集まった客は、8人で、それに酒屋の主人が加わり、ゲストがいたり、酒屋の奥さんが入ったりして、毎回10人で、もう3回ほど会を開いた。8人は全員、地元の酒好きで、男は、私を含めて3人とも、年齢も体型も似ている。一方女性は、30代から、私よりもかなり年配の方まで、こちらは多様で、しかも皆、元気だ。

肴はそれぞれ持ち寄る。私は職場の帰り道にあるデパートで、生ハムを買う。肉を煮込んで持って来る人もいるし、チーズや、干した果物や、その他様々な珍味が集まる。ワインは、分量で言えば、一人当たり、ちょうど1本分を飲み干して、3時間ほどの会が終わった後に、しかし飲み足りず、近くの飲み屋に二次会に出たこともある。

利害関係のない、しかも職種も趣味も異なる、ただ単に酒好きであるということだけで集まって来た人たちと飲むのは快適で、会話も新鮮、私は結構楽しんでいる。酒屋の主人も良く勉強して、知識を披歴してくれる。しかし何よりも、私にとってうれしいのは、まとまって、一回に10本ずつ、合計100本のワインが飲めることである。

私は、2001年に、カリフォルニアに一年数カ月滞在して、その間に飲んだカリフォルニアワインのボトルは、100本を超えている。週に平均2本ずつ、これはひとりで飲み、その他に、自宅でパーティーでも開くならば、例えば客がふたりで、妻と併せて大人が4人で、6本のワインを飲むということもある。その時に、おおよそ、カリフォルニアワインについては、私は分かる、という自信を持つことができた。その翌年には、これは一年足らずだが、ドイツに滞在して、その時にはイタリアを中心に、スペイン、フランス、それに地元ドイツのワインを、これもまた100本以上飲んだ。ここでも、週に2晩、一回1本くらいのペースで単身、アパートで本を読みながら飲み、人恋しくなると、同じくワインの好きな台湾人の友人のところに押しかけて、このときはふたりで3本くらい飲む。ドイツのワインは種類が少ないから、これは大体全部分かっていると思う。イタリアは、トスカーナ地方を中心に、結構の数のボトルを飲んだ。だから、ヨーロッパの一部の地域のワインについては、大体分かるという自信がある。

さて、この酒屋では、主人が、自らフランスに出かけてワインを仕入れて来る。これが100本のワインの中心となる。もちろん私は、フランスにはたびたび出かけ、それなりにワインを飲んでいるけれども、しかしどうもあの恐ろしいまでに多様で、それぞれが伝統を持つフランスワインについては、苦手意識があったので、それを克服するには、今回の企画は最適である。すでに30本のワインを私の舌は記憶している。気に入ったものは、銘柄を覚えて、注文することもできる。

ドイツから帰国して、もちろんこの数年の間、100本どころか、その何倍ものワインを飲んではいる。しかしそれらは系統的に飲んでいる訳でもないし、何より、日本にいると、一番飲む機会があるのは、ビールであり、次いで日本酒が来て、ワインを飲む機会はそれほど多くはない。一体、レストランでワインを飲めば、べらぼうな値が請求される。うまいワインは、自分で外国に出たときに買い込むか、知人がお土産に持って来てくれるか、あるいは、この酒屋で、勧められたものを買うか、そのどれかしかなく、そうまとまって飲む機会はない。フランスのワインを100本飲む機会が与えられたのは、幸運である。

酒の味が分かるには、たくさん飲むしかないと私は思う。数をこなすしかない。ただそれだけのことだ。学生から、何か面白い小説はあるかと聞かれることはあり、また私は政治経済学部というところに奉職しているので、学生から、どうしたら政治や経済が分かるのか、と聞かれることも多いのだが、とにかく100冊の本を読めと、これが一番良い解決方法だと思う。あるいは美術の良さが分かるにはどうしたら良いかという場合でも、とにかくたくさん触れるしかない。数多く触れる機会を自ら作ることができるかどうかが勝負だと思う。

論文を書く際にも、新しい分野に分け入る時は、まずは100本くらいの論文を集めてみる。そうすると、少し分かったような気になる。そうやって、私は、自分の専門分野を広げてきた。おおむね独学だが、もし先達や仲間がいれば、上達は早い。そんなところだ。

100本のワインを飲むのは、しかし修行ではなく、楽しみである。そうして、ここでも先達や仲間がいると一層楽しくなる。幸福だと思える瞬間が時々あると、人生は楽しい。

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