世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第三回 ボストンでエールビールを飲む
2006.6.29
学会があって、2年ぶりにボストンを訪れた。学会は、朝9時から夜10時まで、それが6日も続くハードなものである。3日目の夜に、自分の発表を終えると、もう義務を果たしたとばかり、私は夜の街に繰り出す。目指すは、mini breweryと呼ばれる、自家製のビールを飲ませる飲み屋である。ボストン市内にいくつか知っていて、その内のひとつを私は訪れようとしたのだが、しかし店の周囲の様子が変わってしまって、おかしい、確かこのあたりにあったはずなのだが、と探しても見つからず、ホテルに戻って、インターネットで検索すると、もう疾うにそんな店はなくなっている。ボストンは、J.F.ケネディが入り浸っていた店だとか、1827年から続く店などが残っていて、私はそれらを訪れるのをボストン滞在の楽しみにしているのだが、その半面、ビール醸造のような新しい試みの店は、まさしくビール泡のごとく、浮き沈みが激しい。
そんな中で変わらずあるのは、ハーバード大学の近く、John Harvard’s である。ここは5種類のエールビールを飲ませる。最初の店に振られた後、私は地下鉄を乗り継いで、ここを訪れ、早速まずは、Pale Aleを頼む。続いて私のお気に入りの I.P.A.(Indian Pale Ale)と一気にグラスが進む。Pale Aleは香り豊かな、イギリスから伝わる淡色のエールビールである。I.P.A.は、そのPale Aleにさらにホップを加え、アルコール濃度を高めたものである。このふたつを飲むと、アメリカに来た、としみじみ思う。恐らく、アメリカに伝えられた最初のビールは、イギリスで作られて、アメリカに持ち込まれた、この保存の利くI.P.A.であった筈で、その後、アメリカ内でPale Aleが作られるようになったと思う。アメリカのビールはここから始まっている。
さらにここでは、Shakespeare Plonk というイギリスのエール、Colonial Goldという名のドイツ風エールも飲ませる。それらも注文してみる。すると、しかしここでちょっとがっかりしてしまう。というのも、イギリス式エールは、味のすっきりとした、アルコール濃度も低いビターで、イギリスでは、こういったビールはぬるめに出して、ビールの旨さを味わわせるのだが、この店では、まるでラガーのように冷たくして出している。これではイギリスビターの良さは出ない。ドイツ式エールも、明るい色で、ケルシュに似ているが、ケルシュの味わいはなく、かと言って、ヴァイツェンの旨みも、アルトの爽やかさもない。しかもこれも冷たすぎる。
しかしアメリカで、ここまでまとまって、エールの飲める店は少ないので、ともかくも私はビールを飲み続けた。さて私が熱心にメモを取りながら、ひたすらビールを飲んでいると、隣に、もうすっかり出来上がっている女性が声を掛けてきた。若くはなさそうだが、一応、お姉さんと呼んでおく。お姉さんも私と同じく、旅行者で、わざわざエールを飲みにこの店を訪れたのだそうで、まもなく、このアメリカ中西部の女性と日本人男性との間で、アメリカの、あの店がうまい、この店がどうの、とビール談義が始まった。そしてこれもまもなく、複雑系研究で有名なサンタフェ研究所の近くにはこんな店があるだの、あの大学の近くにはこんな店があるという話をしている内に、どうも私たちは、ふたりとも、同じ学会に参加するためにボストンに来ていることが判明したのだった。ハーバード大学は、ボストン市内、北西に位置し、私たちの学会会場は、ボストン南東の、やや遠く離れた郊外にあって、ずいぶんと距離がある。これは幕張メッセで同じ催し物に呼ばれた者同士が、都心を通って、例えば、都の西北早稲田大学近くの飲み屋で偶然出くわしたのに等しい。まあ、ビール好きはビール好きを呼び寄せるのである。
私たちはすっかり意気投合し、しばし自慢話に花を咲かせ、どの大学町にも必ずビール醸造所があることを確認し合って、しかし白人女性は、アジア人男性にそれ以上の好奇心は抱かないから、まもなく彼女はふらふらとおぼつかない足取りで、先に店を出て、私はそののちにひとりになって、さらにアイルランド由来のBlack Watch Stout Aleを飲んだ。これも実はポーターの持つ芳醇さに欠け、物足りなかったのだが、しかしともかく日本ではなかなか味わえないエールを堪能することができ、やがて私も帰路についたのだった。
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