世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第三十一回 スロヴェニアという国 ―
ハプスブルク物語(2) ―
2009.3.23
スロヴェニアは四国と同じ面積の小国である。北はオーストリーと接し、南はアドリア海に面し、その自然は起伏に富んでいる。
ウィーンを出た列車は、三月でもなお雪が降りしきるアルプスを越え、その麓をしばらく走り、やがてスロヴェニアに入って行く。山の斜面に沿って、車窓には、ブドウ畑が展開される。このあたりは白ワインの産地である。
まもなく列車は、マリボルに着く。この町には、世界最古のブドウの木があり、同じく世界最古のワインセラーがある。町は、中世の面影を残し、一周しても二時間はかからない、小さなものである。売られているワインに、高い値段のものはなく、多くの種類の、手ごろの値段のものを産する。saughvinion, chardone, pinot, rieslingなど、それであり、これらは町中の店では、小さなグラスで、一杯1ユーロで飲ませてくれる。のどが渇いた時や、おやつと一緒に、ちょっと白ワインをたしなむのは、ヨーロッパにいる者の愉しみである。
その後列車は平野を走り、ぶどう畑は消えて、牧草地が広がり、ところどころ多分小麦だと思われる畑や、それに何を植えるのか、よく耕された黒土の畑とが見えて来る。そして再び、山がちになった後、大きな盆地の中にある首都リュビリャーナに着く。
この町には、Unionという大きなラガービールの工場がある。おそらく早いうちに、ラガービールの技術がこのあたりに伝えられて、伝統的なエールビールは一掃され、人々はこのラガーの味に長く親しんできた。
スロヴェニアについて、興味深いのは、国民一人当たりのワイン消費量が世界でトップクラスであると同時に、ビール消費量もまた多いことである。ヨーロッパは、ドイツ、イギリス、アイルランド、オランダ、チェコとビール消費量の多い国と、フランス、イタリアのようなワイン国とに分かれる。しかしこのスロヴェニアは例外的に、両者への強い嗜好を国民が持っている。
さらにリュブリャーナから南に行くと、アドリア海に出る。亜熱帯の植物が生い茂るところである。再びぶどう畑が展開され、これは良質の赤ワインを生む。すぐ隣はイタリアであり、あたりは私の馴染んでいるイタリアの風景そのものと言って良い。地中海式の気候に、オリーブの畑もあちらこちらにあり、人々の暮らしもまた、イタリアの陽気さを持っているように思われる。
スロヴェニア人は、南スラブ民族からなり、話す言葉を聞く限り、ロシア語によく似た言語を使い、街中で見かける単語は、ドイツ語とイタリア語で推測が可能である。町の雰囲気は、ここはドイツだと言っても、多分区別は付かない。ハプスブルクの街並みである。しかし、人々の顔立ちは、これは明らかにスラブ人であると思わざるを得ない。
長くハプスブルクの支配下にあり、第一次大戦後は、セルビア、クロアチアと組んで独立したが、事実上はセルビアの支配にあった。第二次大戦中はナチスに占領され、その後は、ユーゴスラヴィアに編入された。
しかし1989年の東欧改革の波の中で、この国は、他のユーゴスラヴィアの地域に先駆けて、うまく独立した。紛争は、奇跡的に短かったと言って良いだろう。その後、順調に経済発展をし、EUに入り、現在ではユーロも使われている。
虐げられた歴史が長くとも、独立心は旺盛で、周辺の文化を良く取り入れて、自国のものとし、それを生かしている。私はこの小さくて、柔軟で、たくましい国のその特徴が、国民一人当たりのワイン消費量とビール消費量の両方が多いことに現れているような気がしてならない。国を三分して、北から、白ワイン、ビール、赤ワインと産出して、そのどれもがうまいのだが、とりわけ赤ワインは、優れていると思う。
リュブリャーナに滞在して、特に印象深く味わうことができたのは、Teranという赤ワインである。これは馴染みのある、トスカーナのワインに似て、コクがあり、深みがあって、少し渋みもあって、しかもそこにさらに強い酸味が加わったワインである。これは乳酸菌の味である。日本酒を造るときに、意識的に乳酸菌を繁殖させ、それによって雑菌の繁殖を抑え、さらにその後に酵母を増やし、糖分を発酵させる。そのために、どぶろくは酸っぱく感じる。その酸っぱさがこのワインには感じられる。
私はレストランで、これをボトルで注文する。料理に頼んだラムステーキは、ここでは、200g、350g、1kgと三段階になっていて、私は、一番小さなものを頼む。ステーキのほかに、パンもサラダもあり、何より主役はワインだから、この大きさで十分である。
ワインは本当にうまく、ひとり静かに、というのもまだ暗くならない、早い時間だったので、客は見当たらず、店内に置かれた、大きな植木鉢の中の、灌木の脇で寝ている猫を撫でながら、私はひとり静かに飲んでいた。人生の愉悦とも言うべき瞬間である。旅の快楽はここに極まる。
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