世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第三十二回    ハンガリーのプライド ― ハプスブルク物語(3)               2009.3.23 

 ハンガリー語は、私の知る限り、どの言語にも似ていない。ヨーロッパの言語は、たいてい、どこかしら、近隣の国々の言語の影響を受けていて、従って、いくつか言語を知っていると、どの国に出掛けても、たいていの言語は、ある程度のことは推測することができるのだが、ハンガリー語は単語も発音も、まったく他の言語の影響を受けていないかのようである。大した準備もしないで、この国の旅行者となった私は、しかし、たった一人で、ホテルから歩いて駅に行き、地下鉄に乗って、町の中心に来て、あとはバスや路面電車を乗り継いで、観光をしなければならず、せめて通りや広場の名前くらいは発音できないと、どうにもならない。それは結構大変である。

またこの国の人々の顔つきや体の輪郭は、一体どの民族と似ているのかと思う。ハンガリーの国民の98%はハンガリー人である。彼らは、中央アジアから来た騎馬民族で、ヨーロッパの他の民族と、どこか異なる。体はがっしりとしているが、顔つきの特徴は、どこか馴染みがあるが、しかし初めて見る顔つきであるとも思う。

さらに、ハンガリーはハンガリー人の単一民族国家であるかと言えば、そうではない。ハンガリーの人口は1000万人だが、ハンガリー人は1500万人いると推定されている。つまり、ハンガリー国外に、多くのハンガリー人がいる。これはハンガリーが東欧で一番の数の人口を抱える民族であるにもかかわらず、長いトルコ支配があり、ハプスブルク時代には、政策的な入植があり、またその後も国境線は変更されて、その結果、近隣諸国にたくさんのハンガリー人がいることになったからである。こういう特殊性を持つ民族を、私は他に知らない。

ウィーンから、列車に乗ると、東にドナウ川に沿って、平原が広がる。列車はひたすら平野を進むこと、3時間。するとあたりは、わずかに山がちになり、ドナウ川はその山を避けるようにして、ほぼ直角に、今度は南へと向きを変える。その回り切ったところに、ブダペストがある。

ここはウィーンと並ぶ、もうひとつのハプスブルクの拠点である。主役はハプスブルクの、実質的に最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの妻、エリザベート、愛称、シィシィである。

さて、ここで歴史の復習をする。フランツ・ヨーゼフに至るまでの、ハプスブルクの、長い歴史を知らないと、この間の事情を伝えられない。ハプスブルク家と言い、神聖ローマ帝国と言い、あらかじめ説明を読者に与えておくことは必要だ。

まず、ハプスブルク家が、神聖ローマ帝国の皇帝としての地位を確立したのは、15世紀末の、マクシミリアンⅠ世からと言って良いだろう。神聖ローマ帝国は、正確には、「ドイツ国民の神聖なるローマ帝国」と言い、オランダからチェコ、北イタリアあたりまでを含んだ広いドイツ地方を、ローマ教皇から帝冠を授与された皇帝が支配する。皇帝は、選帝侯と言われる聖職者と世俗君主の代表による選挙で選ばれる。マクシミリアンⅠ世の父親と、その遠い先祖は、無名で無能だという理由で、選帝侯たちの思いのままに牛耳ることができるとの思惑の下、皇帝に選ばれている。しかし父親も、また先祖も、決して無能ではなく、皇帝に選ばれると、着々と自らの家系の勢力を拡大していく。

マクシミリアンⅠ世も、父親の戦略で、若くしてブルゴーニュの公女を娶る。この公女は子どもを二人産むと、早生する。その間にマクシミリアンⅠ世は、良くブルゴーニュを支配し、フランスブルボン朝とも戦い、その実力が評価されて、彼は、戦争に強い有能な人物として、神聖ローマ帝国皇帝に選ばれる。

彼自身は後にトスカーナの公女と再婚し、その地も支配し、次いで息子をスペイン王女と、また娘を同王子と結婚させる。やがて孫が生まれ、その一人は後のスペイン王として知られる、カールⅤ世である。ここで、この子どもたちと孫を使って、スペイン支配が完成する。仕上げは、ハンガリーである。今度は、他の孫二人を使って、先と同じようにハンガリー王子と王女と結婚させる。かくしてハンガリーも支配し、その王となったのは、カールⅤ世の弟のフェルディナントⅠ世である。

さて祖父の死後、祖父の持っていた膨大な財力を使って、選帝侯たちに働きかけ、神聖ローマ帝国皇帝としてカールⅤ世が即位したのは、まさに宗教改革が始まろうというときである。乱世をしかし、彼は次第に、広大な神聖ローマ帝国全体ではなく、スペインに絞って、支配を強めて行く。そして自分の死後は、その後継者に、弟のハンガリー王、フェルディナントⅠ世を任命する。このときから、選挙で選ばれていた皇帝の座は、ハプスブルク家が独占するようになる。以後、20世紀に入って、ハプスブルク帝国の滅亡するまで、皇帝は、ほぼこのフェルディナントⅠ世の直系子孫が座を守ることになる。そしてカールⅤ世の直系は、長くスペインを支配し、その栄光と衰退とを経験するのである。

ハンガリーに話を戻せば、このようにして、ここも神聖ローマ帝国の中に繰り込まれる。しかしハンガリー人たちの独立意識は高く、容易にハプスブルク支配に収まらない。フェルディナントⅠ世を初代として数えて、ハンガリー系ハプスブルク11代目は、マリア・テレジアである。彼女はオーストリア人に不信感を抱くハンガリー人と直接交渉をして、その忠誠心を獲得する。そうして後に、マリア・テレジアの夫が皇位を継ぎ、この夫妻はウィーンを拠点として、シェーンブルン宮殿に住むのだけれども、一方で、彼女はハンガリー女王を名乗ってもいる。

さらにマリア・テレジアの孫が、ナポレオンに攻め込まれてあっさりとローマ皇帝の帝位を降り、オーストリア皇帝を名乗るようになったフランツⅠ世であり、さらにその孫が、フランツ・ヨーゼフ帝である。彼は1848年、ドイツ革命の最中に18歳で即位し、第一次大戦後まで長生きする。その妻が、この主役のエリザベートである。

長い、ハプスブルク家と神聖ローマ帝国の関係について、語って来た。その歴史について、ウィーンとブタペストを訪れる者は、あらためて知らねばならない。

さて、このフランツ・ヨーゼフの時代に、ハンガリーはオーストリーから独立しようとし、それは事実上成功して、ここにオーストリー=ハンガリーの二重帝国ができる。明らかにハンガリー人にとって、オーストリーは、圧迫する敵であるのに、しかし、ハンガリー語を解し、ハンガリー衣装を身に纏い、このブタペストに住むことを好んだ、妃のエリザベートは、ハンガリー人のお気に入りである。いや、シンボルでさえある。町には、エリザベートの名前を残した、通りや広場があり、愛称のシィシィという名のレストランもある。町には至る所に、彼女のドレス姿が描かれた肖像画が見られる。一体これは何なのかと旅行者は思う。

ここにはウィーンと並んで、王宮があり、国会議事堂もあった。ハプスブルク帝国の二つの首都の内の一つであるという誇りと、しかし独立の機運と、常に両方がこの町には併存している。あるいはこう言うべきかも知れない。ハンガリー人の独立精神は旺盛であり、自らの伝統に対するプライドも強く、しかし支配者に対してアンビヴァレンツな気持ちを持っている。

ソ連に対しても同じである。ソ連に最も忠実な国であると同時に、早くから国内の自由化、民主化を促し、うまくその両立を図る。こういったところがハンガリーの特性かと思われる。

ソヴィエト支配の痕跡は町中に至るところにある。モスクワの名前は、広場に残っている。もっともかつてはスターリン通と呼ばれた、街中で最も美しい道路は、ハンガリー動乱の後、しばしば名前を変えて、現在は、アンドラーシ通りと、最初の名前に戻っているのだが。

一番、ソヴィエト支配の影響を私が感じたのは、地下鉄である。モスクワの地下鉄と同じく、核シェルターと言われるほどに、地下深く作られていて、そのエスカレータのスピードは異常なくらいに早い。一方で、黄色で表示される路線1は、19世紀に造られ、ハプスブルクの雰囲気を持つが、私が二日間何度も乗った、赤色の路線2と青色の路線3は、これは明らかにソヴィエトの遺産である。

そしてベルリンの壁の崩壊に貢献したのも、またハンガリーである。ハンガリーとオーストリーの国境がまず崩壊し、そこから大量の東ドイツ市民が西側に渡ったからである。

その後は、東側からの急速な移住を恐れたドイツやオーストリーが政策的に資本を投下し、経済を発展させたが、その結果は他に例を見ないくらいの経済格差と、プライドと現実の落差の拡大である。

町を歩けば、そのことは嫌でも痛感させられる。ここで過ごした二日間は、何をしてもそういうことを感じさせられる。人々の顔立ちや言語には、ハンガリーの古層があり、その上に、ローマ帝国、トルコ、ハプスブルク、ソヴィエト支配の中で、それらの特徴を示す層を形成し、それらを残しながら、ここは今日の独立を誇り、そうして新たな悩みを持つ国となっている。

さて、本題の酒の話をしよう。この国のワインは、実はフランス、イタリアよりも歴史がある。おそらくワインの起源は、中近東であったはずで、それがトルコを通じて直接、または遅くてもローマ帝国時代には、ローマからやはりトルコを通じて間接的に、ハンガリーにワインを作る技術は伝わっている。つまりローマ時代に、イタリア、フランス各地にワインが広まる以前から、このあたりには、ワインを造る技術が確立されていたはずである。広い草原があり、夏の高温乾燥の気候で、ブドウはよく育つ。

実際マーケットに出かけると、そこには、各種のワインと、山のように積まれたパプリカと、牧畜の国であることを再確認させるように、様々な部位の肉が売られている。レストランでもメニューは豊富で、また味も良い。私の感覚では、ワインも料理も、イタリア、フランスほどに洗練されていないにせよ、決してそれらに劣らない多様性と味わいを持つと思う。

私の疑問のひとつは、一体ハプスブルクは、ブルゴーニュ、トスカーナ、スペインを支配し、そこからワインを持ち帰ったはずである。しかし歴代の皇帝たちが、ワインを楽しんだ風には見えない。スペイン王となって、生涯スペインを支配したカールⅤ世は、ビールを好み、僧衣をまとって、宴会は好まなかったという。その後、スペイン系が衰退して、ハンガリーに中心が移ったとき、このハンガリーの独自のワインが、ハプスブルク帝国内でどのくらい評価されてきたのか。この疑問はついに解決しない。日本に帰って、時間をかけて、資料に当たってみようと思う。

さらにワインの話を続けたい。Tokajワインは有名で、日本でもよく知られている。これは貴腐ワインがとりわけ有名である。しかし何度か書いたように、貴腐ワインは、一人旅の男が、大量に飲むのに適する酒ではない。

一方で赤ワインも結構知られている。その中では、Egri Bikavérが一番有名である。私もこれを一応は飲んでみる。バランスの良いワインである。多分、私の飲んだものは、cabernet, merlotを組み合わせて作っている。今まで飲んだことはないのに、馴染みがあるように感じられる。どのワインに似ているのか、よく分からないが、しかしどこかで飲んだことがあるように思える。伝統のなせる技であると思われる。

続けて、Szekszardを飲む。これはずいぶんと甘く、まろやかである。コクもある。この甘さはくせがなく、嫌味もなく、深みがあり、芳醇と言うべき香りと相俟って、人を酔わせる。黒みがかった赤色も良い。kókfrankosがベースであり、それにcabernet sauvinionや、cabernet franc、それにmerlotを混ぜている。これも絶妙と言うべきバランスが特徴である。

Villanyも飲む。これは甘みが少なく、苦み、渋みが強い。味が濃い。ccabernet sauvinionが強い味だ。これほど上質のワインも珍しいと思う。先のスロヴェニアとのワインと並んで、私の人生の中で最良のワインを続けて飲むことができたのはうれしい。

もちろん短期間の滞在でこれらのワインをすべて飲みつくすことはできない。レストランで飲み、町のマーケットで調べ、さらにワイン専門店に行き、いろいろと聞き出す。そして気に入ったものはお土産に買う。帰国してからゆっくりと味わう。

さて、ハンガリー経済はあまり良い状態にあるとは言えない。観光地の物価はそれなりに高いが、町の人たちが利用する店だと、それらはすべて安い。Egri Bikavér300円くらいからある。私がレストランで飲んだものは、それよりは2.3倍高いもので、更にその2.3倍の値段で、レストランに出ている。しかし日本で飲むことかを考えれば、格段に安い。SzekszardVillanyは、もっと高い。前者は、探し出すのに苦労するが、マーケットでやっと見つけ、ブタペスト滞在の二晩目は、これをホテルの部屋で飲もうと、つまみに、鳥の丸焼きの半身や、チーズ、ハム、サラダをこれもマーケットで買い込み、ひとりで飲む。後者は、ワイン専門店で、これは何種類も出ていて、今まさに世界に売り出しているものだそうで、とすれば、日本で買うこともできるに違いないと思いつつ、少し値段の張るものを、土産として買い、東京に戻ってから飲む。

酒はワイン以外も町中には豊富にある。Dreherビールもある。これは結構、あちらこちらの飲み屋に、その看板が出ている。ブタペストのビールとしては、大いに売れているのだと思われる。

私は、今回の旅行に出かける前にある程度の仮説を持っていたのだが、これはどうやら証明されたようである。ウィーンのラガー職人アントン・ドレーアは、よほど優秀だったと思われる。ラガービールという、品質が均質で、長持ちし、ビンや缶に詰めれば、輸出も簡単な、そして癖がなく、誰もが毎晩飲めるビールを作り、それをこのハプスブルク内、南はトリエステ、東はハンガリーまで広めた。そして現在、トリエステにはわずかに、つまり探すのは、正直に言えば、いささか困難であったのだが、このブタペストでは、至る所で、Dreherの名前を見つけることができる。

もっとも、多くの人にとって、ワインはおろか、ビールも値が高いのかもしれない。私の観察した限りでは、人々は、立ち飲みの店で、一杯40円ほどで飲めるウォッカを呷っている。これをソヴィエト支配の名残とは言わない。しかし、観光客は2000年の伝統のハンガリーワインを飲み、住民は少し金があれば、ハプスブルクの名残のビールを飲むが、労働者は安物のウォッカを飲む。格差は著しい。

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