世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第三十五回    オーストラリアの酒

                              2009.7.21

 

7月中旬、オーストラリアはブリスベンにいた。亜熱帯地方の乾季は、日差しが強いが、風は涼しく、サンフランシスコの初夏を思わせる。気温は暑いときは30度くらいにはなっているだろうが、日陰はひんやりとしている。日中、荷物を持って外を歩くと結構汗ばむ。しかし朝晩は上着がないと寒い。

 近代的な建物が川に沿って立ち並ぶのは、ミシガン湖に沿ってビルの乱立するシカゴに似ていなくもない。しかし川辺にはマングローブの茂みもあり、ここが亜熱帯だということに気付く。マングローブについては、私は西表島やカリマンタン島を訪ねて、観察したことがあり、その生態については一応の知識を持っているので、そこから判断して、これは紛れもなく、マングローブであると言うことができる。また公園や大学のキャンパス内を歩けば、鮮やかな色の亜熱帯の植物が花を付け、鳥の種類も様々で、色彩の美しい、インコか、オームと思われる鳥が飛び交い、またサギかクィナか、水辺に何かついばんでいる。

この町では、大学に行くのにフェリーを使う。これはなかなかスリリングである。ブリスベン川はS字型に緩やかな蛇行をして町に近づき、町の中心で、今度は町を抉り取るかのように、Uの字を描いて、大きく曲がる。クイーンズランド大学は、そのS字型に流れる川の縁にあるものだから、町の中心、つまりUの字の真ん中にホテルを取って、移動にはフェリーが最適である。行きは朝のすでに強い日差しの中、川を渡る風は涼しい。町の中心部でさえ、川岸には緑が多く、フェリーを5分も走らせれば、一面緑である。帰りはもう暗くなっていて、川岸に立ち並ぶビルは、中にはライトアップされているものもあって、美しい。自然と人工物との調和は見事である。

大学もまた、広大な敷地を持ち、学会の合間に散歩をするのは楽しい。湖と亜熱帯植物の繁茂する森があり、映画館やスポーツセンターや託児所を備えている。学生の寮もあり、教職員の家まである。こういうところはいつも欧米の大学をうらやましく思う。

人々の生活はアメリカのそれに似ている。いや、私はアメリカは多くの土地を訪れたが、オーストラリアについては、ここブリスベンしか知らないから、ブリスベンは、アメリカ、とりわけカリフォルニアに似ていると書くべきだろう。広大な土地があり、人々は移動手段に飛行機か車を使い、バスの運転手は運転が荒く、他のドライバーもやたらと車を飛ばし、人々は電気や水道を無駄遣いし、この自然が無限に続くと思っている。家の構え方や、店の配置の仕方など、街中を歩けば、すべてがアメリカと同じである。

町には、中国人が多く、インド、パキスタンからの人々もいる。私はカリフォルニアのシリコンヴァレーの近くにいたので、彼らには馴染んでいる。バスや電車では、彼らの大声でしゃべっているのに悩まされたが、それはここでも同じである。

オーストラリア料理は、しかし悪くはない。カリフォルニアと同じく、豊かな素材が手に入り、近年はとりわけ日本を含むアジアの感性に影響を受けて、あるいはイタリア、フランスの技術も定着して、探せばおいしい店はいくらでもある。ワインもまた同じである。やはり豊かな自然の恵みと、ヨーロッパの技術が溶け合って、かなり高い水準のものが多い。

ブリスベン滞在中は、とりわけこのワインに親しむ。カリフォルニアと同じく、ここではワインの表示に、ぶどうの品種を使う。カリフォルニアでは、私は赤ワインでは、Cabernet Sauvignonを専ら飲み、 ときに繊細な味のPinot Noirを飲んだ。Merlotは値段の高いものは信用したが、安いものは信用しなかった。Shirazはカリフォルニアでは見たことがない。フランスでは、このShirazは他の品種と混ぜて使っているのを飲んだことがある。しかしここでは、このShirazの単独が主流である。酒屋をいくつか覗くと、赤ワインのコーナーは、半分くらいが、このShiraz単独で、残りがブレンドとなっている。ブレンド相手は、先のカリフォルニアの各品種である。それでそのShiraz単独はいくつかの銘柄を飲み、またブレンドについては、ShirazCabernetMerlot三種を混ぜたものを、これもいくつか飲んでみた。なかなかうまい。どちらもコクや深みがあるという訳ではなく、また渋みや酸味があるのでもなく、複雑さに欠けるが、バランスは良く、まろやかで甘みがある。これはこれでなかなか良いものだ。空気に触れるほど、甘みは増すように思われる。これはそれなりに評価すべきことだ。

ブレンドの方がより甘さが目立つかもしれない。Shiraz単独は、最初の一口を口に含むと、独特の臭さが鼻につくときもあるが、しかしこれも空気に触れるとなくなり、舌に馴染む。

レストランで食事を取ったあと、ホテルの部屋で、一本のワインを、仕事をしながら、少しずつ飲む。または仕事が忙しく、食事を取る時間がないときには、マーケットで、山羊のチーズやオリーブの実や七面鳥のハムなどを買ってきて、それらをつまみながら、飲む。さらには少し時間があれば、中華街で北京ダックなどを買って、サラダも用意し、これは本格的な夕食を誂えて、やはりホテルの部屋で、ワインを一口ずつゆっくりと味わう。ボトルが半分ほど空き、後半、残りが少なくなってきてからの方がうまい。

 ビールのことも書いておこうか。わずか一週間の滞在で、毎晩ワインを飲んでは、身体に悪いだろうと思い、breweryにビールを飲みに行く日を作る。Xを四つ重ねて、フォーエックスと読ませる銘柄が、このあたりのシェアを占めていて、ラガーの他、ビターも醸造している。

 予約をすると、工場見学ができ、一通り工場内を見せてもらう。20人ほどの集団を、若い女の子がガイド役で説明する。彼女の明瞭な発音は聞き取りやすい。彼女の愛用する、basicallyという単語は(baisikali)と聞こえ、私の耳に今でも残っている。

しかし工場の説明自体は面白いものではなかった。私は、イギリス、ドイツ、ベルギーでビール工場を見学したことがあり、それらは大概小さな工場で、そのために、製法の細かいところも理解できたが、ここは大掛かりな、オートメーションの工場で、見てもつまらないし、ラガーとビターの違いも分からない。ただとにかく、たくさんのビールを作っているということだけがわかる。

 その後、ビールの試飲があり、結構な量のビールが出て、私はつまみに春巻きを頼んで、さらに自腹でもう少し飲む。ビターがラガーと同じ温度で、つまり相当に冷やされて出て来る。最初は、これはおかしい、つまりイギリスのビターはもっとぬるいものだ、と思うのだが、しかしここは亜熱帯で、日本の夏と同じく、冷たいビールはおいしい。ビターをこんなに冷やして飲むのは、邪道だと思われるのだが、しかし結構おいしい。これはこれで、つまりおいしければ良いと思う。一体にアメリカ以上に温度管理に鈍感で、万事、大雑把に思われる反面、これはこれで合理性があるのかもしれない。

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