世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第三十六回 酒は霧積
2009.9.8
軽井沢から、旧碓氷峠を通って、霧積温泉に行こうと思う。そう思い立ったのは9月の上旬、その翌日は朝早く起きて、午前中に仕事を片付けて、11時には家を出る。新幹線で、上野から軽井沢まで1時間ちょうど。昼過ぎには軽井沢駅に着く。そこから旧軽井沢の人込みを押し退け、別荘地を通り抜けて、山を登って行くと、旧碓氷峠の見晴らし台に着く。駅から、徒歩1時間強。
このあたりには何軒か茶屋があり、その内のひとつで餅と蕎麦を食べて、さてそこから林道に入る。この林道とは、しかし名ばかりであって、実際には、車など、何年も入っていないだろうと思われる。道はすすきが生い茂り、茂る木々の枝を振り払わないと先に進めないところもある。折悪く、霧が出て来て、やがてそれは小雨になり、まだ午後3時だというのに、あたりはうす暗い。このあたりは熊が出るので、用心しなければならないが、前も見えず、私の来るのに驚いて逃げ去る野兎に、私の方が驚かされ、遂には自分で踏んだ枯れ枝の音に悲鳴を上げる始末で、情けないこと限りがない。剰っさえ、雷まで鳴り出す。
一体、恐怖というものは、一旦心の中に発生すると、どんどんと増幅するもので、状況は悪化する一方、10メートル先が良く見えず、熊と鉢合わせたらどうするのか。誰一人出会うこともなく、私自身の荒い呼吸以外は何も聞こえない。
もっともこの道を歩くのは、はじめてではなく、15歳と、40歳の時に来ている。35年前はともかく、10年前の記憶はまだ新しく、道に迷う心配はない。それは唯一の救いであって、1時間余り、私の実感では、それは数時間に匹敵するのだが、熊に襲われないよう、空手の稽古よろしく、おすだの、えいっだのと掛け声をかけながら、すすきと蜘蛛の巣を払いながら早足で進む。やがて林道は終わり、今度は、獣道かとまごうほどの、しかも険しい山道を、熊笹を払い、木の根っこに摑まりながら進むことになる。これはきついが、しかし10年前の記憶では、これはわずか30分ほどの道のりで、山道を登って降りて、霧積温泉の、二軒あるうちのひとつの宿に着くはずである。そこから私の泊まる予定の、もうひとつの宿は、さらに20分ほど歩いた山奥にある。あともう少しだと思う。
黙々と歩いて、しかし強く思い出されるのは、35年前の記憶である。15歳の少年は、一体、人生初のひとり旅を、なぜこんなところに決めたのか。それは高校一年の夏休みの終わりか、あるいは私の通っていた高校は二期制だったから、9月下旬に秋休みがあり、それを利用してのことだったか、いずれにしても、今と同じ頃、しかしあの時はよく晴れて、すすき野原を進むのは快適だった覚えがある。高校に入って初めての夏休みに、いくつかのアルバイトをして、お金を貯め、それでひとり旅を思い付いたのだった。私の家は極貧で、それまで、もらえる小遣いはわずかしかなく、初めて自分の好きに使える金ができ、最初にしたのは、文庫本を何十冊か買うことだった。その中には、堀辰雄や立原道造や若山牧水があり、その内のいくつかをリュックサックに詰めて、追分から軽井沢を歩き、この道に出たのであった。
正味2時間強の山歩きである。軽井沢駅から数えれば、3時間半ほどの道のりで、しかし私は十二分に秋の野を堪能し、熊と雷に怯え、霧に震え、汗と小雨で全身びしょ濡れとなり、ようやく宿に辿り着く。この宿も35年間ほとんど変わることなく、山奥にたった一軒、水車とともに佇んでいる。
温泉に入って、一休みをして、間もなく夕飯である。ビールを飲み、山菜の天ぷら、山菜の煮しめ、こんにゃくの刺身と食べ、さて食事の後半は日本酒を飲みたいと思う。宿にある酒は、上州地酒の霧積。地元横川駅近く、坂本の産である。すっきりとした味わいで飲みやすい。これで鯉こく、岩魚の塩焼きと食が進む。そして酔って、再び、35年前のことを思い出すのである。
繰り返し書くが、私の家は極貧で、子どもの頃外食をすることも滅多になかったから、自分の稼いだ金で旅に出て、そこで食べたものも、印象深く、今でもひとつひとつを覚えている。先の茶屋で、今回と同じく、餅を食べたはずだ。それからこの宿の食事も、今回と同じ。鯉こくと山菜の天ぷらはうまかった。牧水は読んでも酒を知らないから、なおさら食事の印象は強烈である。
酒が飲める今の方が幸せかとは思う。しかし15歳の私は、まさか50になるまで生き長らえるとは思っていない。ラディゲ19歳、立原道造24歳の死はさすがに早すぎるが、若山牧水は43歳で酒を飲み過ぎて死に、三島由紀夫は45歳で自死している。15歳の文学少年には、そのあたりが想像力の及ぶ範囲であろう。しかし一篇の小説もなく、専門の思想史の論文は、いたずらに冗長で、人様に読んでもらえる代物が書けないとすれば、これはもう長生きをするしかない。
外は、相変わらず霧が深く、夜が更けて、清流の流れる音だけが響く。開けっ放しの窓から入って来るのは、弱々しい蜘蛛や、力尽きて、お膳の上で息絶える蛾であり、それらは、夏が疾うに終わって、この地では、秋もまた短いことを示している。私は使わなかったが、部屋には炬燵とストーブが用意されている。しかし私は今日一日良く歩き、良く食べ、良く飲み、身体は火照って、山の寒さは苦にならない。この35年間、何をしてきたのか。酔えば反省などしない。ただ生きるのみである。
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