世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第三十八回 アメリカの楽しみ
2009.11.24
アメリカに出かける。4泊6日。大学間の国際交流を深めるべく、具体的な交渉が必要で、先方の大学の関係者に会わねばならない。私が外国に出かけるのは、たいていは学会参加で、その場合、自分の発表をし、その後に議論があるが、実質的な仕事をするのは、短ければ30分くらい、長くても2時間。この間、私は下手な英語を繰り出して、相手の言うことは良く分からないけれども、とにかく何とかやりくりし、じっと我慢をすれば、あとは自由な時間で、ひとり街中を観光し、現地の酒を飲み、またホテルでゆっくりとすることもできる。しかし今回は、上司と一緒で、同じ飛行機で往復し、ホテルは隣同士の部屋を取る。しかも先方の大学関係者と一日に何人も会わねばならず、食事はたいてい誰かと一緒で、こういうのは、私は最も苦手とするところである。本当につらい。
それでも楽しみはある。いや、それがあるからこそ、今回の仕事をしぶしぶ承諾したのである。
最初の晩は、先方の教員と上司と三人で、Pinot Noirを飲み、ステーキを食べる。アメリカでは金を出せば、結構うまいステーキが食べられる。これは悪くない。二日目の晩は、先方の教員や学生、それに留学生たちと一緒にパブに入り、Samuel AdamsやIndian Pale Aleといったエールビールを飲み、チーズやパスタなどをちょっとつまむ。主食はビールである。これもなかなかのものである。三日目も、先方の関係者と少人数で、イタリア料理店に行き、トスカーナのワインを飲み、シーフードを食べる。これはかなりいける。この町には、イタリア人街があり、イタリア料理店が軒を連ねている。入った店は小さいけれども、本格的な味の店で、店員のイタリア訛りの英語が雰囲気を出している。四日目の晩も、かつて日本に来たことがある、またはこれから来たいという学生が大勢集まり、皆でパブに行き、ここでも様々な種類のビールを飲み、かつ私はそれを主食とし、その他にピザを少しだけ、と言っても日本人にはとてつもなく大きなものだが、これはふた切れほどつまむ。これも悪くない。
また朝は、クリームチーズをたっぷり塗ったベーグルを食べる。昼には、アメリカの大都市なら、どこにでもある中華街に出かけて、料理はダックの半身を注文する。または洒落たレストランで、サラダには、日本では手に入りにくい野菜が皿に盛られている。チーズと豆が皿に溢れるほど入ったエンチラーダも食べる。コーヒーは一日に何杯も飲む。これらは先に書いたように、人と打ち合わせをしながらであったり、打ち合わせのあとの会談をしながらだったりするのだが、しかしアメリカでの楽しみは洩れなく経験する。アメリカでの楽しむべきこととは、これは私が以前アメリカに滞在していた時に覚えたものや、その後に、年に一度は出かけて、旅先で覚えたものと、両方があるが、しかしここのところアメリカに来たら必ず食べたい、飲みたいと思っていたものはすべて味わうことができる。悪くはない。
さらには、滞在中、朝早く起きて、街中をひとりで散歩する。古い建物が並ぶ、そのどの壁も赤い煉瓦で統一された一角があり、道も同じく赤い煉瓦が敷き詰められている。庭の木々は紅葉し、落ち葉が風に舞う。ヨーロッパの面影が感じられ、久しぶりに外国に来たのだと思う。あるいは昼間、大学のキャンパス内を歩くのも心地良い。リスが走り、大きな池があり、学生は芝生の上で、サンドウィッチを食べている。大学内にいくつも寮があり、学生は一日中、この広いキャンパス内で暮らしている。こういうところはいつもアメリカに来て、羨ましいと思うところだ。さらには、人と会うという仕事の合間を縫って、美術館や博物館や教会を訪ねる。これらはいつも旅で必ずすることだ。こういったことも旅の楽しみを構成する。
もうひとつ、今回経験したことがあり、それは大学のバスケットの試合を見たことである。遠方の大学からバスケットチームが来て、大学内の体育館で、こちらの選手との対抗試合が行われる。それはずいぶんと派手なもので、入場料も取り、完全な見世物となっている。商売として成立している。大勢のチアガールとダンスガールがいて、吹奏楽団もあり、試合の前後だけでなく、おおよそ5分間隔くらいに、それはボールがコートの外に出たり、誰かが反則をしたりして、試合が中断された時には、一斉に音楽と踊りが始まる。監督は選手を集めて注意を与えている。その間に、コートの上では、華やかな踊りが始まるのである。縫い包みをかぶった学生も、思い思いにダンスをする。応援の学生たちは揃いの赤い服を着て、それは賑やかだ。
試合は、相手方の方が技術もあり、前半戦は、こちらが圧倒的に負けている。しかし、後半、様子が違う。こちら側のチャンスの時は、観客は一斉に歓声を上げ、点が入ろうものなら、拍手喝采、チアガールはバク転をして、喜びを表す。ボールが敵方に渡ると、観客は低いうなり声を発し、点が取られようものなら、あちらこちらでため息が漏れ、怒声も飛び交う。相手方は、これは承知のことなのだろうけれども、まさにアウェイであり、やりにくかろうと思う。次第に点差が詰められ、ついには逆転し、その後、抜きつ、抜かれつの接戦があって、最後はこちら側が勝つ。観客の興奮たるや、それは凄まじい。私もその中にいて、いつの間にか、手を叩き、声を出している。
試合のあとは、招待してくれた教授の紹介で、選手たちと握手をする。2メートルはあろうかという長身の者ばかり、半分以上は黒人だ。一方、チアガールは全員が白人で、きれいどころを集めている。その対照は見事だと言うしかない。
さてホテルに戻って、しばしの興奮が収まって、いろいろと考えることがある。この大学の学費は、日本の私立大学の三倍はする。だから、相当の金持ちの子か、秀才で奨学金が取れるか、何か一芸があって特待生になるか、そのどれかでないと学生になれない。秀才であったり、美人であったり、スポーツが出来たりすれば、学生生活は楽しかろう。あるいはアメリカで生活するのに、金持ちであれば、一般にそれは快適だ。ここは競争社会であり、競争に勝った者には、様々な楽しみが保障されている。
テレビは、まさに国会で、アメリカの国民保険の議論が始められたことを告げていた。まだ議論が始まったばかり、その実現にははなはだ障害が多い。この国では、貧乏人は医者に行かれず、早死にする。金持ちだけが、最先端の医療技術を享受する。失業者もホームレスも多く、一方で、しかし私たちが出かける高級レストランは人で溢れている。
アメリカでは、そういったことが、露骨に見える。隠されてなどいない。見たくもない格差の実態が、旅行者も伝わって来る。それは承知した上で、私は決して金持ちではないが、金持ちのように振る舞い、アメリカの楽しみを味わう。短期間の滞在ならば、それが可能である。
ホテルの部屋は広く、ベッドは大きく、高層ビルの窓からは、町が見渡せる。ここは私の住む国ではないが、年に一度か二度来るには良いところだ。
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