世界の酒    ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第四回 ミュンスター・アルトについて

2006.7.18

 

H.P.トップページの写真は、ミュンスターで一軒だけアルトビールを供するPinkusという飲み屋で写してもらったものである。ミュンスターは17世紀、宗教改革運動の中で現われたカルト集団と呼んでも良いだろう、再洗礼派の拠点であり、彼らはここで千年王国を実現しようとしたのである。実は私の師匠で宗教改革史研究者であった倉塚平が若き日に過ごした町でもあった。不肖の弟子は、今から4年前、ここからそれほど遠くないボンで数学を勉強していた。しかし時々は師を偲んでこの町にやって来た。再洗礼派の首謀者がその中に入れられて吊るし上げられた檻は、今でも教会の高いところにぶら下がっている。屍は風化して、いつの間にか消えたのだろう。私は師がしばしば語ってくれた、教会や広場を見て回り、そうして最後に寄るのが、このPinkusである。時に飲みすぎて、近くの宿に泊まって、翌朝帰ることもあった。

あるとき、それは2002年の秋の終わりだったか、私は、台湾人のYin Chenと彼のアパートの一室でいつものように、飲んでいた。同じ台湾人のLanもいたはずだ。私たちは、英語とドイツ語を混ぜながら、議論をしていた。私はふと、あさって、ミュンスターに行こうと思う、というようなことを言った。すると即座に彼らから、なぜお前はいつも一人で旅をするのかと詰問される。そうして今回は、みんなで行こうではないかと言われたのである。

さて、二日ののち、早朝待ち合わせ時間にボン中央駅に行くと、驚くことに台湾人が7人も集まっていた。必ずしもボン在住者ではなく、ドイツ中から集められ、しかし一度か二度は、台湾人のアパートで毎晩のように開かれていた夕食会で出会ったことがあるメンバーであった。こうして私は、ぞろぞろと台湾人を連れて、ミュンスターを訪れ、町を一回りし、そしていつものように、最後にこのPinkusに入り、彼らにビールを奢った。H.P.トップの写真は、このときに、Yin Chenに写してもらったのである。

このPinkusのアルトビールは、本来エールビールが持つ、雑多なと言うべきか、複雑なと言うべき味わいがあり、さらに加えて、数ヶ月熟成させることにより、ワインに似た深みを有している。私の直観ではこれが本来のビールである。ドイツのビールはもともとはこのエールビールであったが、後にラガーが発明されると、南ドイツの主流は、このラガーになってしまった。北西ドイツでも、例えば、ケルシュは、エールビールでありながら、ラガーの影響を強く受けて、すっきりとした味わいになっている。その中で、このエールの伝統を受け継いだのが、デュッセルドルフのアルトである。今でも、デュッセルドルフには数軒のビール醸造所があり、それらは、この馥郁たる香りとまろやかな味、適度な苦味と軽やかさを持つ、赤い色のエールの伝統を残している。正確に言えば、それらも多少はラガーの技術を取り入れて、熟成は低温で行うのだが、しかし基本は常温発酵である。その中には、私が世界で一番おいしいと断言しても良い、Zum Ürigeという、旧市街地、ライン川のほとりにある店や、続けて二番、三番と言って良い、SchumacherFüchschen、ビールの味は一ランク落ちるけれど、料理は素晴らしく良い、Zum Schiffchenなどがある。

さらにこれも私の直感だが、このビールを熟成させる手法は、オランダやベルギーに渡って、例えば、南ブリュッセル駅のすぐ近くにある、CantillionLambicビールを生んだ。そういった、このあたりのビールの、そもそものおおもとが、このPinkusアルトなのである。

いや、まさに、Altという言葉は、古いという意味のドイツ語なのだが、しかし同時にこれは、古ドイツ語ではAleであり、さらにBitter、つまり苦いという意味の、イギリスで発達したエールビールと同義である。さらにはラテン語にまで遡ると、これはrising yeast、つまりぶくぶくと発酵するという意味もあり、まさにAltはビールそのものである。

私はこういった薀蓄を垂れたのだが、台湾人は誰もそんなことに興味を持っていない。ただ、この日本人のプロフェッサーは一人で旅に出て、さびしく酒を飲む習慣があるが、今日は楽しく皆で酒を飲むことができ、とにかく良かった、と彼らはひたすら善意に満ち溢れている。

その後まもなく私は日本に帰り、皆ばらばらになってしまった。Lanは高雄の大学に就職し、二年後に私は呼ばれて、その新設の大学で特別講義を行った。Yin Chenはまだボンに残って、ゆっくりと博士論文を書いている。

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