世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第四十一回 カリフォルニアでZinfandelに魅せられる

2010.2.26

 仕事でカリフォルニアに出かける。具体的な仕事内容については、企業秘密で、ここには書かない。以前に書いたが(No.38「アメリカの楽しみ」)、その時と同じく、学部の上司と出掛ける。

 到着して、その日の夕方に、現地で、今回の仕事の手伝いをしてくれた日本人女性と会い、打ち合わせを兼ねて夕食を取ることになる。その時に彼女の配偶者も招待する。そこに現れたのがJ氏である。強烈な個性の持ち主で、仕事の話が終ると、あとは彼が主役となる。日本の高校を卒業して単身渡米。相当に悲惨な目にも会い、苦労をして、辺境の地の短大を出た後、名門大学に編入。大学院にも進み、博士号を取る。何冊か日本語で本も書き、結構専門家の間では名を知られているが、まだ専任の職にはない。無給の研究生であって、一方女性の方は、専任の職にあるから、はっきり言えば、J氏はひもである。それで、私も昔はひもだったという話になり、ふたりで意気投合する。

カリフォルニア滞在3日目の晩は、仕事が一応うまくいったので、そのお祝いという名目で、再び最初の日と同じメンバーで夕食を取ることになる。その後、私たちは2日間ゆっくりと過ごして、上司が先に帰国することになり、5日目の晩も、J氏夫妻と一緒に飲む。レストランで飲んで食べた後、さらに物足りなくて、ホテルの私の部屋に来て、私がおみやげ用に買い込んでいたワインを空ける。

さらにその後2日間、私は仕事の後のご褒美として、ひとり旅行を許され、大学の図書館で雑誌を読んだり、古本屋を冷やかしたりして過ごしたのだが、最終日、つまり7日目の晩は、J氏にせがまれて、とうとう私は、J氏とふたりきりで、飲むことになる。夕方5時から飲み始めて、6時間ほど。すっかり酔って、意識もなくなる。一体アメリカで泥酔して、地下鉄に乗って、ホテルに帰るというのは危険極まりないけれども、何とかそれをこなしたようだ。良く朝、ホテルの私の部屋で目が覚めると、歯も磨いた跡があり、服もきちんとえもん掛けにあって、特に問題は起こしていないようだ。そうしてさすがに二日酔いで苦しく、水とコーヒーをがぶ飲みして、空港に向かう。これが今回の旅行であった。

さて、今回飲んだのは、もっぱらカリフォルニアワインであるが、その中でもSonomaZinfandelに出会えたのは、今回の旅の収穫と言って良い。あるいは、J氏と飲んだのが、今回の一番の仕事のような気さえする。もちろん職場の仕事も、きちんとこなし、そこさえちゃんとやれば、あとの時間はプライベートだから、そこにおいて、このふたつが一番の収穫であったと言っても、別に問題はないはずである。

 このZinfandelは、強烈な個性と言うべきで、果実風味があり、酸味も渋みもあって、味が濃い。逞しいと表現するのがふさわしく、まさにワインを飲んでいるという気持ちにさせてくれる。かつて旅行した、北イタリアからスロヴェニア、クロアチアからハンガリーにかけて、味わったワインに似ている。これはワインの原種とも言うべきものではないか。ここにはワインの持つうまみが凝縮されている。私は、カリフォルニアワインは相当に親しんできたと自負していたが、Zinfandelをうまいと思ったのは今回が初めてである。

カリフォルニアの赤ワインでは、圧倒的にCabernet Sauvignonが主流で、これはこれで結構おいしい。香りが強く、値段の安いものでも結構いけるし、高いものは高いなりに、コクがあってうまい。また私の好みでは、Pinot noirも良い。繊細で、気ままで、あまりカリフォルニアワインらしくないのだが、しかし私は気に入っている。旅行中、チーズでもつまみながら、ホテルでひとりワインを飲むなら、これに限る。また、Merlotも少し値段の高いものならば、おいしい。ここまではかつてカリフォルニアに滞在しているときに覚えたことだ。それからオーストラリアで、その味を覚えたSyrahも結構出ている。しかし残念ながら、Zinfandelは今まで、うまいと思わなかった。無知蒙昧を恥じ入るばかりである。(カリフォルニアワインについては、No.11、オーストラリアワインについては、No. 35 をそれぞれ参照のこと) 

 コルクを抜き、グラスの中で、ワインを回して空気を入れ、一口飲むと、まだ荒々しい、けれどもしっかりとした味を感じることができる。話をしながら、少しずつワインを口に運ぶ。1時間たち、2時間経つうちに、味はまろやかになる。この変化を味わうのも良い。短時間の内に、これだけの変化をするワインも珍しい。

 一本ボトルを空け、二本目に入り、その間に私はエールビールも飲む。飲むのはいつものものだ(No.3, No.18, No.26などを参照)

  そうしてJ氏の話を聞いていて、思うのは、私自身の若いころである。10代の私は留学をしたくて仕様がなかった。しかしまず私は極貧の家庭に育って、親の金で出掛けることは不可能である。奨学金をもらって、自分の力で行くことを考えていたが、しかし20歳で妻に出会って結婚し、間もなく子どももできてしまえば、それもできない。私は妻とであったことと、結婚したこと、子どもを作ったことを後悔はしていないし、それはそれで自分の人生だったと思っている。また子どもができてから、日本の大学に入り直すという我が儘をやっているから、それだけでも可能であったことに、つまりそれを認めてくれた周りには感謝しなければならない。しかしそれでもなお、留学したかったという思いはある。

 だからJ氏がうらやましいという思いは禁じ得ない。しかしまだパートタイマーでしかないJ氏にとって、私は専任の職にあり、かつ役職にも就いていて、つまり権力も金も持っていると思われるだろうから、そういう男から、君は自由で良いなどと言われれば、腹立たしいに違いない。もちろん私はそういうことは言わないが、しかし心の中でそう思っていて、かつ長い時間酔って話を続ければ、おのずとそれは伝わってしまう。別に今の仕事をやめて、放浪の旅に出ることは、可能ではある。しかしそれだけの勇気は私にはない。それで愚痴になる。相手をする身には、至って迷惑な話であろう。

 もっともこの気持ちは、いつも旅行に出て、さらにはそこで人と知り合って必ず思うものと異ならず、つまり、私にも別様の人生があったかもしれないという、いつもの思いに過ぎない。ドイツの片田舎の家族経営のホテルで、またはソウルの安宿で、または東欧の恐ろしくサーヴィスの悪いホテルで、いつも私はそう思う。まずはこの街で私は生きて行かれるかと自問し、直ちにそれは可能であるとし、そしてさらに、ではどうやって生きて行けば良いのか、具体的に考え始めてしまう。そうしてどの町でも、ここで、私は残りの人生を、日本人向けの旅館でも経営して生きて行こうかなどと思ってしまう。いつもそう思い、今回もまた、そのことは変わらない。

カリフォルニアは、2月の下旬に、もう桜が満開で、菜の花も咲いている。低い山並みが見られ、緑一色である。この辺りは、夏は乾燥して、山は草が一斉に枯れて茶色になる。冬は雨が降るから緑になり、そこに花が咲いて、今が一番きれいな時期である。

Zinfandelについては、帰国後、インターネットで調べると、どの店でも品切れになっている。それでも何とか探そうとすると、まったく無い訳ではなく、数年前の年代のものが、一番安いもので7500円もする。Sonomaのものと限定すれば、桁が上がる。レストランで飲めば、さらにその数倍はするだろう。これはやはり現地で飲まなければ味わえないものと言って良く、従って、このワインとの邂逅はひとつの事件である。

その地域にとって最も美しい時期に、その地方のおいしいワインを飲むのは、旅の醍醐味であり、そしてそれに伴う人との出会いや、自分の人生の反省は、旅の本質そのものである。この程度の感傷は嫌味になるまいと、これはもう祈るばかりである。


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