世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第四十二回 沖縄の女 Part2      2010.3.14

 

その後何度か沖縄に出かける。沖縄の大学で研究会がある。一応、それを名目に出かけ、研究会の後は、空手の練習に行く。あるいは、学部4年生が、卒業旅行で沖縄に行くとなると、いろいろこちらも理由を付けて沖縄に出かけ、向こうで合流する。合間に、首里の道場を訪れる。空手は一向に上達しないが、長く続けるほかはなく、ちょくちょくと沖縄に通うしかない。

 「沖縄の女」(No.37 )で紹介した飲み屋には必ず寄る。ナオミさんは相変わらず元気に店を仕切って、孤軍奮闘、時にお母さんが、泡盛を注いでくれるが、たいていはナオミさんが、料理も作り、客に愛想を振り撒き、会計もする。店はいつも常連と言うべきか、これは全国に私のようなファンがいて、沖縄に来れば必ず寄るという客で一杯である。注文をして、料理が出て来るまでにどんなに時間が掛かっても文句は言わない。泡盛を飲むための、水や氷も客同士分け合っている。良く出来た客ばかりで、こちらも何度か通って、ようやく顔を覚えてもらい、その中の一員に入れてもらう。

 先だっては、日曜に出かけた。店の扉には、「日曜定休日」と大きく書いてあるのだが、店の近くを通った時、何だか店の辺りが明るくなっていて、もしかしたら開いているのではと思って近づくと、確かに電気が付いていて、扉も半開きになっている。それで覗いてみると、お母さんがひとりで切り盛りしている。客は4人ほどいる。

いつものように、しばらくは皆で飲んでいる。ここは客がいろいろと自分の出身地からおみやげを持ち込み、それを皆で分けて食べたりするのだが、この時も、地元のラッキョウだの、豆だのを振舞う客がいる。

さて、その間、お母さんと話をして、ふと私は思う。何だ、この人はナオミさんと実に良く似ていると。もちろんこれはおかしな話で、私も例えば、息子の小学校の同級生の母親から話しかけられて、お父さんは本当に息子さんに良く似ていますね、と言われることがあるが、それと同じで、それは本来逆の話である。息子が私に似ているだけのことだ。しかしこの場合、やはりお母さんはナオミさんに似ていると私は思う。

ああ疲れたと言いながら、ヤギ肉を切り、えーとこれは誰の注文だったっけ、と言いながら、にんにくは入れる、入れない、と一人でつぶやきながら、客に給仕する。あるいは、おなかがすいたから、夕飯を食べると言って、自分が食べるための、そうめんをたくさん茹で、しかしそれもほとんど私たちに配ってくれる。その分の御代は取らない。いや、そもそも注文した分も、きちんと計算せず、驚くほど安い額を請求する。

あらためて良く似た親子だと私は思い、ゆっくりと泡盛を飲んでいる。その内、他の客は帰ってしまい、気付くと私ひとりである。お母さんとふたりで話をすることになる。こういう場合、ほとんど私は聞き役である。先方がひとりで話をする。

どこまでこのエッセイに書いて良いのやら。店はずいぶん前からある。ナオミさんは一度結婚している。その後、店を離れたが、間もなく、離婚して、戻って来る。それで店はお母さんとずっとふたりでやっている。平日はナオミさんが切り盛りするが、日曜は休んで、お母さんがひとり、気が向けば店を開く。

ナオミさんには妹さんがいらして、そちらは結婚し、そのお子さんが今度、東京の大学に入ったと言う。妹さん一家の写真を見せてもらう。

 そうして、この店の主役は、実はお母さんであったのかと思う。昔は、二階も店だった。私がはじめてこの店に来た20数年前は、確かにそうだった。ずいぶん繁盛して、使用人も雇っていた。それが段々と体力もきつくなり、一時期は店を閉めていたこともあり、その後は、できる範囲でやるしかないと悟って、細々とやっている。客は皆良い人たちばかり。客に支えられて、店を開けている。そんな話だ。

 私はずいぶんと長居をし、実際に飲んで食べた分の半分くらいを支払って、土産までもらって、ホテルに戻る。老婆と飲み屋で話をするのはよくあることだ。あるいは、ドイツでも、私がママと呼んでいるお婆さんの家に泊めてもらって、私はもっぱらワインを飲み、ママは、古い写真を取り出して、一方的に昔話をする。私は半分くらいドイツ語が分からず、しかし後半分の理解できるところで、おおよその推測をして、頷きながら、さらにワイン口に運ぶ。そんなこともあり、その記憶とも重なる。これがお爺さんだと、自慢話を聞かされるが、お婆さんだと、延々と苦労した話をする。その方が私には楽だ。こういう飲み方も悪くない。

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