世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第四十三回 うちだ再訪         2010.4.28

 

私はあまり身なりにはこだわらないので、普段は、二着1万円だとか、サンキュッパ(3980)といったものを身に付けている。別段それで困ることはない。しかし妻は、相当に良いものしか自ら身に付けないし、また、機嫌の良い時は、私にも結構値の張るものを買ってくれる。昨年も、私は生れてはじめて、仕立屋に連れて行かれて、細かく寸法を測って、背広を作ってもらった。試し縫いが出来た時点で、再度チェックし、いよいよ本縫いになる。何度も店に足を運ばねばならず、面倒なこと限りがないと思うものの、しかし一着くらいこんな本物を持っていても悪くないと言う妻に大人しく従う。さらに妻は、靴も、何やら外国の名前の銘柄のものを買ってくれる。仕上げは、鞄で、これは20年くらい使っていたものが、いよいよボロボロになったので、500円で買った、買い物袋のようなものを使っていたら、さすがに妻が、日本橋のデパートに連れて行ってくれて、そこで好きなものを選んで良いという。値の安いものと高いものと、両方並べられると、さすがの私にも、その違いは一目瞭然、見た目の高級感は言うに及ばず、手触りの良さや機能的なデザインも、まるで違って、もうこうなると安いものは買えない。店員の売る技術はさすがに抜群で、私はまんまとはめられて、それでも妻は、予算をオーバーしたと呟きつつ、カードで支払ってくれる。それでそのかばんは毎日使うことにし、背広と靴はひとつずつしか高級なものはないから、何日かに一度の割合で、それらを身に付けることになる。馬子にも衣装。自慢話をすれば、私は、安物を着ても、貧乏臭さを感じさせないという特技を持っているのだが、しかし高級なものを身に付ければ、これはこれでかなり様になる。悪くない。

 さて4月下旬の火曜日のこと、私は火曜には講義もゼミも入れないで、その曜日は朝から様々な会議で埋まるのが常であったが、その日は、朝にひとつ、午後にひとつの会議をこなしたら、それで終わってしまい、時計を見るとまだ3時過ぎ、ふと今から飲みに出かけようかと思う。例の、立石のうちだである。ここは午後2時の開店の前から行列の出来る店であるが、4時前くらいに店に入るのが良く、一回か二回くらい客が回転し、適度な賑わいである。これが6時過ぎになると、もう食べ物のめぼしいものは残っておらず、残り物をつっ突いて、7時過ぎには閉店になるという店である。今から出かければちょうど良い時間だ。しかもその日は雨が降っていて、これならば、並ばずに中に入れるだろう。

この店に、私は三カ月に一度くらいは出掛けたいと思っていて、この10年くらいは、概ねそれを実行してきたが、ここのところ、本当にいろいろ忙しく、11月と2月はアメリカ、12月はヨーロッパ、1月と3月は沖縄と出掛け、どれも外国で一週間から十日ほど、国内なら3日か4日の短いものだが、しかし仕事は山のようにあって、短期間でも東京を離れると、その前後に仕事のしわ寄せが来て、もうどうにもならない。付き合いの飲みは、これは毎晩のようにあり、それはそれで仕方ないとして、本当はひとりでゆっくりと飲み屋に出かけたいのに、そんなことはできない。この半年以上、この店に出掛けていないのである。今日が絶好のチャンス、この機を逃したら、もう行かれない。明日できる仕事は明日に回せ。そう考えて、急いで職場を出たのであった。

 電車に乗っていて、ふと気付いたのは、私はその日、高級の背広を着て、高級の靴を履き、高級の鞄も持っていた。ネクタイも、いつもどのネクタイにするか、ほとんど気を使わず、手に取ったものをバランスも何も考えずに選ぶのだが、その日はたまたま、やはり高級のものを身に付けていた。これはまったく計算をせず、偶然そうだったのである。しかしこの格好でうちだに出かけられるか。この店は、狭く、隣の客と肩をくっつけて座り、テーブルも小さいので、真向いの客とは30cmくらいの距離で座り、焼酎を飲むときに前かがみになると、前の客にぶつかってしまう、そういう店である。モツ焼きのたれは飛び散って、ズボンを汚し、いつだったか、隣の客が吸っていた煙草の灰が、私のモツ煮の中にこぼれている。そんな事には負けず、煙草の灰を手で払って、そのモツ煮を食べる。そんなことには慣れているが、しかしさすがにこの格好で出掛けて良いものか。いったん家に帰って着替えてから来るかとも思うが、しかしそうすると時間が遅くなる。食べたいものがなくなってしまうかもしれない。

 それで職場から直行し、予定通り、4時前に店に着く。その日は、実際並ばずに入れたのであるが、しかしやはり満員で、長椅子の端が空いていて、そこに潜りこむ。長椅子と長椅子のわずか10cmの隙間を定員が忙しく走る。私は、ここに来たら、たいてい注文するものは決まっていて、ガツとハツとレバーは生で、アブラは塩で軽く焼いて、野菜のまったく入っていない、どぎつい色のモツ煮も食べ、飲むのは、焼酎の上に梅シロップをかけた梅割りで、この味と、この店の雰囲気と、本当に久しぶりで、これがたまらないと思う。客は、たいてい、朝早くから肉体労働をし、夕方早くに仕事が上がって、一杯引っ掛けてという人たちばかりで、そういうところに背広で来ること自体が間違っているが、さらに今日は、私自身にとってさえ、不釣り合いなものを着ている。何もなければ良いのだが。

そうしてモツのたれをこぼさないよう、細心の注意を払い、隣の人に汚されないように、これも気を使う。ところが梅割りをこぼさないように、顔を近づけて飲んでいたら、忙しく走り回る店員が、もつ焼きを持って私にぶつかって来る。梅割りがネクタイからズボンにかかり、鞄にもかかる。背広の背中のあたりには、もつ焼きのたれがかかる。店員は謝って、タオルを持ってきて拭いてくれるが、服への心配は形式的なもので、むしろこぼした梅割りの方に気を使い、お兄さん、これはサービスだよと言って、無料で焼酎を付けたしてくれる。しかし一杯180円の梅割りの、その3分の1位をこぼしたことが、私にとって問題なのではない。これは、背広もズボンもクリーニングに出さねばならない。鞄も靴も家に帰って、ていねいに拭きとらねばならない。妻にもどう言い訳をするか。これは、ただ単に間が悪かっただけのことなのだが、本当にしかしタイミングが悪すぎると思う。悲しい。

今回は、それだけの話。仕事が忙しいと言っても、飲み屋に行くことができるのなら、まだ何とかやって行かれる。酔って、春の雨に濡れながら、帰路に付く。服を汚された悲しさはすぐに和らぎ、むしろ自分で自分のことが滑稽に思える。災難ではあったが、夕方早くから酒を飲むことのできる幸せを私は感じていた。日々雑用の山。まだまだしかし、大丈夫だ。

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