世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第四十八回 沖縄の楽しみ             2010.10.1

 

 空手は一向に上達しない。いや、確実に上達はしているのだが、客観的な評価は得られない。師範代の審査ともなると、本土から50歳のおじさんが来たからと言って、甘くしてくれる訳ではない。

審査の前日は、かなり憂鬱である。一体私は何をしているのかと思う。大学の仕事は猛烈に忙しい。沖縄のホテルにいて、パソコンと携帯電話を持ち込み、頻繁にそれをやり取りして、学内業務をこなしていく。書きかけの論文の資料も持ち込み、夜中はパソコンに向かう。飛行機の中では、講義の予習をする。ここまでして、なぜ沖縄にたびたび来なければならないのかと自分でも思う。それで嫌になる。成り行きで、もうやめられないというのが正直なところ。自分でも、ここまでやるとは思わなかった。

審査が終わり、自分では、これがベストだと思われる演技ができ、しかしそれで不合格であれば、これはこれで仕方ない。沖縄の諸先輩は、付きっきりで面倒を見てくれる。9月中旬に数日の特訓があり、さらに一度東京に戻った後、審査前日に再度やって来て、その日の午後と審査当日と、ていねいに指導をしてくれ、しかもその特訓の効果はてきめんで、本番では、かなり上手に型を演じることができ、もうそれだけで自分では満足で、それで不合格ならば、仕方ない。あとは受かるまで、何度も沖縄に足を運ぶしかない。負け惜しみを言う訳ではないが、審査に運は付きもので、どうも運に見放されている。

しかし、せっかく沖縄に来て、楽しみがなければならないと思う。とは言え、審査前日は、緊張していて、深酒をしてはならないと思い、結局缶ビールを買って、ホテルで飲みながら、パソコンに向かい、仕事をする。審査が終わった後も、先輩方と、反省会を兼ねて一緒に夕食を取り、その後ホテルに戻って、風呂に入り、空手着を洗濯すると、もうそれほど元気は残っていない。外に飲みに出かけようとし、9月下旬の深夜になお、生ぬるい風の吹く繁華街を彷徨って、しかしどこかの飲み屋に入る気力はない。結局ホテルの周りを一周して、前日と同じく、コンビニで缶ビールを買って、ホテルの部屋で飲みながら、仕事をしている。沖縄まで来て、一体何をしているのかと、やはり思う。

それでも楽しみはある。何よりも食事は美味しいと思う。あちらこちらで沖縄料理を楽しむのだが、ここで、私の第一のお薦めは、あやぐ食堂。ここはモノレールの終点首里で降りて、そこから歩いて10分ほどのところにある。地元の人は、以前は、店は汚くて、しかし安くておいしくてボリュームのある料理を出していたが、最近は、ガイドブックにも載ってしまって、店は小奇麗になり、食事の量が減って、値上がりもしたとこぼしている。しかし味は変わらずに良く、常に地元の人と観光客の両方で、混んでいる。第二に薦めたいのは、浦添市民会館の隣のてだこそば。車がないと行きにくいかもしれないが、バスは走っている。ここの沖縄そばは、豚で白濁の出汁をとり、手打ち、手もみの生麺、野菜にはヨモギを使う。本当においしい。この二軒は特筆すべきだと思う。

昼間、食事の前後に、近くの公園を散歩するのも良い。ガルマジュ、バナナ、パパイヤを見ると、南国に来たのだとあらためて思う。暑さも慣れれば、それほど苦にならず、むしろこの気候を含めて、沖縄を味わいたいと思う。

審査の前日や当日は仕方ないとして、そうでないときは、沖縄に来れば、必ず飲み歩く。沖縄について、このエッセイでは、No.28(2008.10)に書き、さらに「沖縄の女Part I(No.37, 2009.10)と「同Part II(No.42, 2010.3)でも書いている。そこに出て来た、ナオミさんの店には必ず一度は行く。また、以前は、国際通りの北側、久茂地あたりか、さらにその北側の58号を超えた松山で飲むことが多かった。今回は、モノレールの安里を降りて、その東側、女性が着飾って、家の前に座って、私たちが通ると扇子で顔を隠して、露骨に私たちを誘う、そういう怪しい雰囲気の店が連なる中に、安い飲み屋があって、出掛けてみる。少しずつ、沖縄に足を運ぶごとに、飲み屋を覚えていく。

これも、以前に書いていることだが、酒は泡盛自身がうまいと言うより、これは一緒に食べるものと実に良く合って、店の雰囲気や周りの客や、沖縄の気候まで含めて、その全体の調和が良い。その中で、食べ物は、ヤギはヨモギと一緒に炒めても、刺身でもうまいし、豚の足や耳もうまい。色鮮やかな魚の煮つけも良い。豆腐も良い。豆腐は沖縄では、本当にうまい。ゴーヤと、島ラッキョウ、海ブドウも、沖縄でしか味わえない野菜だ。

夜の繁華街は、これも沖縄特有のものだ。飲み屋らしい造りのものばかりではなく、普通の家庭の、玄関だけを作り直して、即席の飲み屋にしたような作りのものが実に多い。一体何でこんなに飲み屋があるのかと思う。それに露骨な客引きと、同じく露骨な女性の誘惑もある。あらゆるタイプの飲み屋があり、つまり女性がいて、それを売り物にしているであろう飲み屋や、私の好きな焼き鳥屋タイプのものや、女将が自宅を改造して、ひとりでやっているといった飲み屋や、そういった様々な店があって、それが沖縄の魅力になっている。

再度書くが、9月下旬、深夜になってもまだ暑い沖縄で、出歩くのは、結構気持ちが良い。昼間汗を大量に掻き、十分出し切って、その後、水とスポーツドリンク、お茶をたくさん飲み、ホテルの風呂に入り、さて落ち着いて、夜の街に繰り出すのは悪くない。生暖かい風に吹かれ、夥しい客引きの男たちを無視して、繁華街を歩く。ホスト風の男たち、着飾った女たち、様々なタイプの客たち。飲み屋の中でも外でも、初めて沖縄に来て、興奮している客と、沖縄のことは何でも知っているというリピーターと、現地訛りで話す地元の人と、すぐに違いが分かる。そういう雑多な群れの中で、夜の時間を過ごす。こんなところが沖縄の醍醐味と言うべきか。

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