世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

第四十九回 ドイツビールとベルギービールの違いについての考察  2010.12.31

 

 年末はヨーロッパに出かける。昨年と同じく、ドイツでクリスマスを過ごし、そのあとベルギーを旅しようと計画していた。しかし9月からロンドンで勉強をしている娘から、頻繁に電話が掛かってきて、ロンドンは寒いだの、英語が通じないだの、修士論文が書けそうもないだのと、つまらないことを言い、それを哀れに思う妻から、ベルギーまで行くのなら、もう少し足を伸ばしてロンドンに行って、娘を慰めてくれと言われる。確かにユーロスターに乗れば、ブリュッセルからロンドンまで、わずか2時間である。行かれない距離ではない。ただ私はそこまで親馬鹿にはなれず、躊躇していた。そうして飛行機の切符を買ったりと、一応の旅の準備ができたところで、娘から再度電話があり、ルームシェアしている家を追い出されるという。大家は、日本で言えば、生活保護受給者で、政府の補助があって、安い値段で部屋を借りている。その部屋を娘ともうひとりの学生に高い値段でまた貸しをし、自分は親戚の家に身を寄せている。この不正貸し出しがばれて、役人が来て、娘ともう一人の同居人に、部屋を出て行けと言ったのである。

もちろん娘たちに非はないから、すぐに出て行かねばならない訳ではないのだが、私は電話で娘に、いずれ出なければならないのだから、早い方が良い。すぐに次の部屋を探すべきである。そうして私が年末に行って、引っ越しを手伝うと約束してしまったのである。

さてそうすると、10日に満たない短い旅を、ドイツとベルギーで二等分するところ、イギリスを加えて三等分しなければならず、ずいぶんと忙しい旅となった。結局、ロンドンでは、専ら娘の引越しの手伝いをして、また修士論文のアドバイスもし、あとは娘の好きなものを奢る。娘とパブに入り、ビールを楽しむということもあったが、ひとりのんびり飲むビールではない。以下に書くのは、従って、旅の最初の3分の2の、ドイツとベルギーで感じたことである。今回は、両国のビールの違いについて書こうと思う。

このテーマについては、すでに何度も書いている。まずドイツビールというものは存在しない。あるのは地ビールだけである。ミュンヘンのビールの一部は、ドイツ中どこに行っても飲めるが、しかし私がここで念頭に置いているのは、ボンとケルンとデュッセルドルフである。ボンにベンシュを飲ませる店は一軒のみ。また、ケルンにはケルシュの銘柄は、40ほどあり、そのうちの半分を私は制覇している。大聖堂の裏側にあるマーケットあたりに店は集中しているが、しかし他にもケルン全体に広く散在している。ケルシュはケルンのほか、ボンでも飲める。一方、デュッセルドルフにどのくらいのアルトを出す店があるのか、分からないが、私の行く店は4軒のみ。私はデュッセルドルフに行くと、必ずこの中の二軒をはしごする。以上のビールは、以上に挙げた町でしか飲めない。私の行く店は、どこも店の中に醸造所があり、そこで作ったものを、その場で出してくれる。

さて、ここで注意すべきは、どの店でも、飲むのは一種類のビールだけで、店に入って椅子に座れば、ビールを飲むかと聞かれ、そうだと答えれば、店員は、すぐに自家製のビールを持ってくる。200ccほどの小さなグラスで、ビールだけを飲むなら、ゆっくりと4杯。食事をするなら、ビールと料理を注文して、料理が来るまでに2杯は飲み、その後料理とともに、もう3杯飲む。それが私の標準的コースだ。

一方、ベルギーでは、カフェに入る。カフェとは、専らビールを飲ませる店である。食事は、軽いものしか出さないところもあり、そういう所では、多くの人はビールを飲むだけである。食事を出すところもあり、そこでは凝ったベルギー料理とともに、ビールを楽しめる。ビールはどこでも数十種類は置いてあり、店によっては、百種類以上を揃えているところもある。私はビールを飲むだけなら、ゆっくりと2種類のビールを、それぞれ1杯ずつ飲む。食事をするときも、せいぜい3種類で、爽やかな味の、軽いものをまずは飲んだところで、料理が来て、2杯目は、少しコクのあるものか、酸味のあるものを料理とともに楽しみ、料理が終わるころ、最後は締めで、少し度の強いものを頼む。そんなところだ。1500種類はあると言われるベルギービールの、まだほんの3%くらいしか、私は知らないが、少しずつレパートリーは増えて来ている。

今回の旅で、特に気付いたのは、次のことだ。私はドイツにいるときに、瓶ビールを飲まない。ドイツで、瓶ビールを飲むなど邪道である。大体は、地下の醸造所で作ったものを、そのままホースで一階につなげて、それを出すか。または樽に詰めて運んで、それを出すか。どちらかである。

しかしベルギーで気付いたのは、基本的に瓶ビールがうまいということである。これはビールを瓶に詰めるとき、瓶に中で発酵するよう、例えば糖分を付け足すとか、様々な工夫があり、そのため、少し瓶に詰めてから寝かせて。飲むのが良い。De Koninckのように、熱処理をして、樽出しをするビールもあるが、それはベルギーでは例外的だ。

とすれば、ドイツでは、その店で作ったビールを飲む訳だし、個人が樽でビールを買う訳にもいかないから、ビール好きは必ず飲み屋に行く。これは当然だと思う。ではなぜ、ベルギーで、人はカフェに集まるのか。瓶ビールがうまいのなら、自宅で飲んでも良いはずだ。

ひとつの理由は、ベルギーでは、ビール毎にグラスがすべて異なるということがある。バルーン型、聖杯型、円筒型と、実に様々な方のグラスがあり、たいてい、グラスにはビールの銘柄の名前が書いてある。普通の人は、自宅に、そう何種類ものグラスを用意できないから、店で飲むのが楽だ。また一度に、数種類のビールを楽しむことが多いし、ビール毎に適正な温度が決まっていて、良い店は、温度管理もちゃんとしている。自宅ではそうは行かない。

ドイツでは、店員は、グラスが10杯程度は載せられる台を持って、ごった返す客の間を縫って、歩き回っている。お代わりをしたければ、手を挙げて店員を呼び止めれば良い。皆が同じビールを、何杯も飲む。違うビールが飲みたければ、別の町に行けば良い。そういうことだ。このビールは、この町でしか飲めない。この町の、この店では、このビールを飲むということが決まっている。

一方ベルギーでは、お代わりをするときは、異なった種類のビールを飲むのが普通だし、数人で店に入った時も、全員がそれぞれの趣味に合わせて、様々な種類のビールを飲んでいる。店の壁には、数十種類のグラスが掛けてあり、店員にビールを頼むと、迷わずに、そのビールの銘柄に合わせたグラスを選んでくれる。その熟練の技には感心する。

料理の違いも大きい。ドイツで私は、豚の腿を茹でたアイスバインか、同じく豚の腿を焼いたシュバインスハクセしか頼まない。どちらも相当の量があり、1ポンドのアメリカのステーキに匹敵するボリュームがある。しかしおいしいのは、最初の半分だけ。あとは義務感で、残さず食べようと思うのだが、食べ物と、これは格闘するという感じになる。こういう時に、ビールはありがたい。淡白な味で、脂っこい料理を中和してくれる。他においしいものに、ソーセージがあるが、しかし私はあまり注文しない。好きなものは、ニュルンベルクソーセージとミュンヘンの白ソーセージだが、前者は、ニュルンベルクでしか食べられないし、後者は、ドイツ中で食べることが可能だが、しかし限られた店でしか扱わず、しかも限られた量しか作らないから、注文しても食べられないことが多い。

一方、ベルギー料理は洗練されている。これも前に書いたが、北ベルギーはオランダ語を話し、そしてオランダの料理があまり芳しくないのに、ここでは手の込んだ料理が供されている。しかもその土地のビールを使ったものが多い。

私が必ず頼むのは、ムール貝のビール蒸しで、店によっては、いくつかのバリエーションがあり、客の好みで注文ができる。私の好きなのは、Gueze Lambicを使ったものだ。そしてこれを食べるときは、同じGueze Lambicを飲む。料理に使ったビールと同じものを、その料理を食べながら飲むというのが重要だ。

また、北ベルギー地域には、カルボナードというビーフシチューがある。これもオールドブラウンなど、来たベルギーのビールを使って煮込むが、料理に合わせて、料理に使ったビールを飲む。

以上は昨年も食べたが、今回は、さらに兎のプラムソース煮を頼む。これも店員に、どのビールがうまいか、聞き出す。残念なことに、このときはメモを取らず、ビールの名前を正確に覚えていないが、赤ワインに似た、香りが強く、酸味のあるものを薦められる。料理のソースと同じもの。

まるでワインを飲むように。ベルギーのビールの飲み方は、日本やドイツのビールの飲み方とは違い、つまり同じ種類のビールをがぶ飲みするのと違い、むしろワインの飲み方に似ている。一杯毎、順番があり、また体調やあるいは料理に合わせて、選択をしながら飲む。しかしワインと違って、小さなビンだから、ひとりで来ても楽だ。

旅では、これはいつもそうだが、朝は4時くらいには起きて、7時からの朝食を挟んで、11時くらいまでは、部屋で本を読み、また論文を書いている。東京にいると、これだけまとまった勉強時間は取れない。毎日これだけ勉強ができるのは、旅に出たときだけだ。ホテルに連泊するときは、昼前にホテルを出て、散歩をし、どこか店に入って、昼食を取り、ビールを飲む。その後、さらに散歩をし、もう一軒、今度はビールを飲むだけの目的で入るか、ホテルに戻って昼寝をするか、美術館にでも入るかというところ。夕方早いうちに、今度は夕食で、もちろんビールを飲む。その後は、飲み足りなければ、また一軒入って、ビールを飲む。そうして比較的早いうちに、床に就く。

移動する日も、それほど日程は変わらない。今回は、フランクフルト空港について、そこからケルンまで、特急で1時間。ドイツでは、ケルンを中心に、ボンへ30分。デュッセルドルフには、逆方向に30分。ケルンからベルギーのブリュッセルには、特急で2時間。ベルギーでは、ブリュッセルを拠点にして、北のアントヴェルペンへは40分。南のナミュールには、1時間。その後、これは先にも書いたように、ブリュッセルからロンドンへは、ユーロスターで2時間。ホテルはどこも、駅からそれほど遠くないところに取れば、移動にそれほどの時間はかからず、昼前にホテルを出て、昼過ぎには、次の目的地に着く。列車の中では、本も読めるし、問題はない。

もっとも、ドイツでは、ママと私が呼んでいる老女と、友人たちに会うという目的があり、ロンドンでは、娘の引越しの手伝いをしなければならない。それは午後の大半を費やす仕事だが、しかしそれらを含めて、旅の面白さを感じる。

今回は行き先々で、雪が降り、散歩には適さないが、雪の降る中、古い街並みを見るのは、風情がある。この風景が見られるだけでも、ここに来た価値があると感じられることが度々あり、ほろ酔い気分で、しかし凍った雪道に滑らないよう、注意をしながら、ふと立ち止まって、しばし時間を忘れるということもあった。

世界の酒 トップページに戻る