世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

 

第五十四回   マルクスの墓参り              2011.9.21

 

 ロンドンに行くと、しばしば出かけるのは、マルクスの墓である。地下鉄Northern lineArchwayで降りる。駅前に、古い教会があり、雰囲気の良いところだ。坂を上って、公園に入る。芝生が広がり、静かで、池もある。散歩には最適だ。公園を横切ると、その向こうに大きな墓地があり、そこにマルクスの墓はある。『フォイエルバッハ・テーゼ』の有名な一節が、英文で、墓に刻まれている。「哲学者たちは、世界を解釈しようとして来た。しかし重要なのは、世界を変えることだ。」

 そこからさらに西に進むと、大きな公園が広がる。Hampstead Heathである。公園内に入って、すぐに南下すると、やや高い丘に出る。そこからロンドン市内を一望することができる。散歩をする人が絶えない。そしてその、ロンドンで最も自然に近いと言われる広大な公園の周囲は、マルクスの時代から、住宅が立ち並び、高級住宅も点在する。

マルクスの墓を、私が最初に訪ねたのは、いつだったか、そのときに強烈な違和感を持ったのを覚えている。その時は、同じNorthern lineChalk Farmから、Hampstead公園に向かった。住宅地が広がり、その中にマルクスは住んでいた。公園に入り、丘を上って、下りると、墓地は、その東側になる。この辺り一帯は、階級のはっきりしているロンドンで、中産階級の人たちの住むところである。しかし、私が少年時代に読んだマルクスの伝記では、彼は、貧乏と戦いながら、大英博物館の図書館で勉強して、『資本論』を書いたということになっていて、どの程度マルクスが貧乏だったのか、それは、私の経験から敷衍して、私が勝手に想像していたのだったが、第一に、当然のことながら、マルクスの家は、私の家がある東京の下町地区によく似た、ロンドンの東側に広がる労働者の町にあるべきであって、また私の家がそうであったように、その家は、あまりにも狭くて、汚くて、また家族がたくさんいて、うるさくて、家では勉強ができないから、仕方なく、図書館に出かけたのだろうと、そうであらねば、ならなかったのである。

しかし、いくつかマルクスの伝記を読み直すと、マルクスは、ロンドンの、この高級住宅地と言うべき辺りに、結構洒落た家を借り、ワインを、健康のためと称して、好んで飲んでいたと言う。エンゲルスからChâteau Margauxを送ってもらってこともあると言う。このChâteau Margauxは、ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人の好んだことで知られていて、フランス革命時には、この葡萄畑を所有していた大富豪も、王家とともに、ギロチンになっているという、いわく付きの代物である。エンゲルスは、とりわけ1848年物が好きだったそうで、この年は、革命の年であり、『共産党宣言』が出た年であるが、またうまいワインのできた年でもあったのか。思わず、「このブルジョア!」と口にしたくなるような話である。

しかし私はのちに、つまり40歳を過ぎて、左翼の集まりなぞに出かけて、彼らと焼鳥屋などで飲んでいると、大体の場合、彼らは私よりも年上であって、そうして彼らから、ちくちくと皮肉を言われる。「君はどうしてワインが好きなのか」と。これは明らかな嫌みであり、つまり私に対して、こいつは、若い時は貧乏で、良い感性を持っていたのに、大学教授になってからは、堕落したという含意が込められているのであるが、しかし私は、マルクスもエンゲルスもワイン好きだったのだし、しかも私の飲むのは、そんな高級なものではないと、いつも心の中で思う。

実際、私はChâteau Margauxは飲まない。これは日本で買うと、一本5万円から、10万円はする。そんな高い酒を私は飲まない。

私は、外で飲むことはそれほど多くはないし、ワインも家でひとりで飲むことが多い。毎日のように飲み屋に行く人、女の子のいる店が好きな人、高い店の好きな人と、友人知人の顔を思い浮かべて、私はそこまで飲んではいない。彼らほどには、お金を使っていない。車も持っていないし、ゴルフもやらない。酒以外は、旅と書物とが趣味と言えるが、しかしそれらに要する費用は、仕事上の必要経費だと言えなくもない。あとは至極質素な生活をしている。どこが悪いのか。何故嫌みを言われなければならないのか。

しかしこれは、マルクスでも同じであろう。マルクスの主観に即せば、マルクスは貧乏であった。また、ワインは健康のために飲むのであって、あとは高いワインは、金持ちの友人が送ってくれるのである。自分で買うのではない。

実際、マルクスが、マルクスの主観に即して貧乏であっただけでなく、当時の中産階級の基準に照らせば、相当の貧乏と言って良いものであったし、また借金で辛うじて生活を賄っていたにすぎない。彼の貧乏生活を記す証拠はたくさんある。しかし、それは私が、自分の体験に基づいて、想像していたものとは違うということだ。彼は娘たちに音楽のレッスンをさせ、高等教育を受けさせている。しかしあくまで、中産階級としては、貧乏であったということなのだ。
 あとは、そのやりくりできる範囲内で、何を飲もうと勝手である。行楽、すべからく、春に及ぶべし。私はChâteau Margauxは飲まないが、それは東京では、その20分の1の値段で、結構おいしいワインが手に入るからである。また私は、マルクスと違って、ロンドンでワインは飲まないが、それは、ここは物価は高いし、ポンドも高いからで、しかしユーロ圏では毎晩のように、ワインを飲む。ロンドンでは、パブでエールビールを飲む。それがおいしく、安いからだ。

 イギリスについては、このエッセイでは、第8回「ベンサムというパブ」と、第47回「イギリスの楽しみ」でしか扱っていない。しかし、ロンドンには、ここで挙げたパブのほかに、私には、いくつも馴染みの店があって、ロンドンに来れば、必ず寄る。さらに、Good Beer Guideだの、Real Ale Pub Guideだのといったガイドブックが、毎年出されていて、それらを時々は買って、パブの変遷を実感する。結局、酒は何を飲んでも良い。

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