世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

 

第五十八回 徳島で飲む                  2012.7.9

 

 学会があり、徳島に来る。7月上旬の土曜日、夕方遅く、徳島に入る。ホテルに荷物を置いて、街をぶらつき、雰囲気の良さそうな店を探し、飲むことにする。しま鰺と鯛の造りに、鱧の天麩羅を頼み、酒は、地元の名勝に因んだ眉山。これを、冷や(常温)3合ほど。

しかし腕時計を見て、店に入って、まだ1時間しか経過していないことに気付く。カウンターは10席近くあるが、客は私ひとりしかいない。後ろのテーブルには、45人の集団が二組いて、盛り上がっている。もちろん、彼らの中に割り込んで話をする勇気はない。店の若い衆は、ひたすら仕事に打ち込んでいる。女将は、愛想が良いのか悪いのか、分からない。世間話ができる感じでもない。

魚は本当にうまい。これはもう感動するほどで、これが食べられれば、徳島に来た甲斐があったというもの。酒も肴の味を損なわず、謙虚に、しかししっかりとした味で、申し分ない。

とは言え、これ以上この店に、長居はできず、勘定を済ませて、外に出る。このあと、しかし、はしごをする気力もなく、結局、コンビニに寄って、朝食用の野菜ジュースとヨーグルトを求め、さらに缶ビールと、少々のつまみも買って、ホテルに戻る。シャワーを浴び、明日の研究会の予習をして、寝る前にビールを引っ掛けよう。あるいは、その前に、ちょっと散歩をしても良いかもしれない。そう、この程度のことができれば、それで良く、これをもって、学会に来る楽しみとしよう。

実は、ひとりで飲み屋に入るのは久しぶりである。以前はしばしば、地元の飲み屋でひとり飲んでいた。しかし、今は、職場の同僚や、受け持ちの学生や卒業生や、その他ちょっとした会合などで飲む機会が、週に二、三回果、多い時はそれ以上にある。これは結構疲れる。そうすると、残りの日は、酒を止めるか、または飲むとすれば、自宅でひとり飲むことになる。書斎の端っこに、ワインナリーと称して、ワインを隠し持っている場所があり、そこから、一本取り出し、仕事が終わり、夜が更けてから、飲む。または、妻に、一緒に飲もうかと声を掛けて、しかし一緒に飲む訳ではなく、妻は、居間に子どもたちと居るから、妻の分のワインをグラスに一杯注いで渡し、残りはひとりで、書斎に持ち帰って飲む。結局ボトル一本分、つまり4合をひとりで飲むか、3合をひとりで飲むかの違いでしかない。ここのところ、これが唯一の楽しみとして続いてきた。

人と飲むと、肝臓が疲れるというよりも、気持ちの疲れが残り、それが続くと、もう人と会うのも、酒を飲むのも嫌になり、そういうときは、酒を止めて、散歩をしたり、柔軟体操をして夜を過ごし、それで体が回復すると、その次の夜は、上述のように、ひとりで飲む。これで気持ちも回復する。しかしそういう幸せな夜は、何日も続くことはなく、結局、また人と飲むことになる。そうやって、この数年過ごしてきた。それで、まったく、地元の店でひとり飲むことがなくなった。旅に出ないと、ひとりになれない。あるいはひとりになるために旅に出る。学会は、短い期間の旅に出る格好の口実だ。

ひとりで飲み屋に入るのは悪くないと、これは久しぶりに思う。カウンターに座って、目が向かう先は、肴か、お猪口か。時々目を上げて、若い衆の働きぶりを見て、酒のお代わりをする機会を伺い、あとは後ろにいる客たちの話が、自然と聞こえるのを、耳をそばだてるのでもなく、ただ聞き流している。しかし先に書いたように、根が貧乏性だから、そうしていられるのは、1時間か、長くても2時間。それで切り上げる。そのくらいの、短い快楽がしかし、ちょうど良いかもしれない。

徳島は吉野川河口に広がる街だ。この吉野川は、空港からホテルまで、バスに乗って来た時に見たのだが、思いの外に大きく、一体、四国は小さな島だと思っていたから、こんなにも大きな川が流れているのに驚く。近くにさらにいくつも小さな川が流れる。水が豊かで、遠くの低い山並みに、霧がかかり、初めて来るところだけれども、どこか、私自身の故郷に来たかの様な心地にさせてくれる。

夜が更けて、散歩をして、あらためて、適度な湿り気を含んだ風を感じ、ここは本当に、小さな街で、さほどの喧騒もなく、平和だと思う。夜の散歩を楽しんだあとは、ホテルに戻り、窓を開けて、風を入れる。この涼しさを感じながら、眠ることができれば、幸せだ。

世界の酒 トップページに戻る