世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

 

第五十九回 サンノゼで飲む                  2012.7.26

 

 サンノゼを訪れるのは、数年ぶりだ。10年ほど前に、私はサンノゼ大学で研究員をしていた。一年余り、アメリカに滞在することを許されて、半年をこの大学で過ごし、後の半年は、カリフォルニア大学バークレー校にいた。アパートメントを、サンノゼとバークレーの、ちょうど真ん中にある、フリーモントという町に求め、サンノゼには、バスで出かけ、バークレーにはバートと呼ばれる電車で通った。どちらの大学にも、車で出かければ、30分ほどだけれども、バスや電車で出かけると、1時間近く掛かる。両方の大学の同僚や友人から、なぜ、そんな遠くの町に住んでいるのだと聞かれたが、このフリーモントという町は、両方の大学に通うのに便利だからというだけでなく、静かな住宅地で、私たちは気に入っていた。三人の子どもを現地の中学と高校に入れ、車を一台購入して、妻が、三人の子どもを毎朝学校に送って行ったあとは、妻自身も、地元のアダルトスクールに通った。車はそのために使った。従って、私は、大学に行くのに、バスや電車を使わねばならなかったのである。週末には、必ず、今度は私が車を運転して、評判の良いレストランに出掛けた。中華、インド、メキシコ料理が多く、時に、エジプト、イラン料理もある。また、テントをトランクに詰めて、キャンプに出掛けた。街中から、30分も車を走らせると、結構たくさんのキャンプ場がある。夕日が太平洋に沈むのを見ながら、または森の静寂に囲まれて、私はビールを飲み、息子は焚火にくべる木の枝を集めて、楽しんでいた。娘たちと妻は、私たち男どもの楽しみに、しぶしぶと付き合っていた。また、時には、遠出もした。北はオレゴンから、南はロサンゼルスまで、東はヨセミテ公園まで、結構遊びに出掛けた。

それは私の人生の中で、最も幸福な時だった。フリーモントは本当に綺麗な街で、ここはシリコンバレーの発達に伴って、それまでの果樹園を切り開いて作った街なのだが、道路に沿って並木を植え、芝生を整えて、洒落た景観の家やアパートメントを揃えて、いかにもアメリカ的な、人工的な街で、そこに住むのは、快適だった。アメリカを十分堪能したと思えた1年余りであった。

さて、今回の学会は、まさに感傷旅行で、最初から、学会に通い詰めるつもりはなく、懐かしいサンノゼとフリーモントとバークレーとを訪ねようと考えていた。数年前に、バークレーを訪れる機会があり、その時に、フリーモントとサンノゼにも足を延ばしていたが、しかしそれは本当に、仕事の合間の数時間の滞在に過ぎず、10年前の感傷に浸る余裕はなかった。今回は、それが十分にできそうだ。また、サンフランシスコも近く、ここにも遊びに出かけられる。学会を口実に、大学をさぼって、もちろん学会発表は万全の準備のもと、きちんとこなすが、しかし、あとは遊べる。そう思ってアメリカに来た。

 

そうして、一週間のアメリカ滞在の間、ずっと、10年前のことを思い出していた。

2001年の前半を過ごしたサンノゼ大学では、私は、学部の授業に参加させてもらい、学生と同じように、毎回、膨大な量の予習をして、必死になって授業について行った。学生にどう教えるべきかという点で、アメリカの講義の方式を身を持って学ぶことは、ずいぶんと参考になった。しかしサンノゼでは、大学の授業が終わると、すぐにバスに乗ってフリーモントのアパートメントに帰ったので、この街では、せいぜい昼食をたまにとるか、マーケットで、夕飯のおかずやワインを買って帰るか、コーヒーを飲むか、というくらしかしていない。つまり、サンノゼでは、一回も私は、飲み屋に入ったことはなかった。

それに対して、後半の半年、バークレーに出掛けると、ここには、将来のアメリカ政治学は自分が背負うのだという気概のある若者や、日本も含めて、世界中からの留学生が来ていて、大学院の授業の後は、彼らと、飲み歩いた。だから、今回、学会がもし、バークレーで開かれたのなら、私は懐かしい店を訪ねて、飲み歩くことになっただろう。

しかしここはサンノゼである。飲み屋は一軒も知らない。バス停近くに、良くコーヒーを買い求めた小さな店がありそこでは、今も、コーヒーが一杯1ドルで売られていた。10年間値上げをせず、しかも店のおじさんは、コーヒー一杯を買い求めた私に、ミルクは要るか、ふたはこうやって閉めたら、うまく行くなどと、うるさい位に親切だ。ここは変わらない。しかし、繰り返すが、ここサンノゼで、私が懐かしいと思う店はない。世話になった人も、今は大学を辞めたり、引っ越しをしたりして、ここに今、知り合いもいない。街全体、とりわけキャンパスを懐かしいと思うだけだ。

今回はサンノゼで開かれた学会は、例年通り、月曜から金曜まで、朝は9時から、夜は、時に9時過ぎまで、毎日ある。もちろん、その全部に出ることはなく、面白そうなものだけ聞き、あとは、先に書いたように、あちらこちら遊びに出掛ける。特に今回は、早々と自分の発表を終えてしまったので、もうあまり真面目に参加するつもりもない。

しかし、水曜の夜は、恒例の晩餐会がある。これは、この学会に参加するときに、いつも楽しみにしているものだ。例年は、大学の建物を借りて、業者が来て、アメリカ式のパーティーで、そこではサラダが山のように出て、次いで分厚いサーモンのステーキがあり、最後に、これまた巨大なケーキが供されて、あとはワインを飲むという形式だが、今回は趣向が違って、皆で飲み屋に行くという。出掛けてみると、大学のすぐ近くの、多分10年前、毎日その前を通っていたはずの、しかしついに入ることがなかったGordon Bierschという店で、しかも、私の好きなドイツビールを醸造して、出している。なぜこんな店があるのに、10年前に一度も出かけなかったのだろうか。インターネットで調べると、この店は、このサンノゼからほど近いパロアルトで、1988年に最初の店を出し、その後、全米にチェーンを展開している店で、このサンノゼは拠点のようだ。

ビールは飲み放題で、食事は、ビュッヘ形式で、しかし会員が競って、ステーキなどは持って行ってしまうから、私は、残り物の、サーモンとパスタとサラダをつまみ、いろいろな人と話をしながら、親交を深めて、一応はパーティーの目的を果たし、しかしあとはひたすらHefeweizen(酵母の強い、ドイツのエールビール)を飲む。ここは、他に、ケルシュやメルツェンや、チェコのピルスも出す。店の作りは、ドイツでしばしば見かけたものと同じだ。地下でビールを醸造し、それを一階の店に出す。私たちは、中庭でくつろぎ、趣のある、レンガ造りの建物を眺め、涼しい風を浴びる。快適だ。懐かしい街に来て、しかし初めて入る飲み屋に感動する。

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