世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第六回 マキャヴェリvs.モンテスキュー
2006.9.5
夏休みの政治学説史特殊講義は拙宅で行われ、マキャヴェリとモンテスキューの飲み比べが行われた。テーマは明確である。私の最も好きなワインのひとつであるキャンティ・クラシコの、その中でも一番おいしいマキャヴェリと、同じく大好きなボルドー・ワインの、その最高峰と言うべきモンテスキューと、その両方が、まさに政治思想史上の双璧であるこのふたりと、単に名前の由来を負っているだけでなく、本質的に関わりがあるということである。
マキャヴェリは長く外交官であったが、政権交代があって、失脚し、さらには投獄にまであって、フィレンチェ近くの山の中に蟄居し、ひたすら『君主論』を書いた。その際には、わずかばかり持っていた葡萄畑から作られる、このワインの上がりが彼の生活を支えていたはずである。私の直観では、彼は酒が飲めなかった。塩野七生は彼の情熱的な文体は、酒を知る人のものだと言うが、私は、あの粘着質の体質は、酒の飲めないところから来ていると思う。彼にとって、小さな葡萄畑も、そこから作られるワインがどんなものかも興味の対象ではなかったと思われる。実際にはワインで生活していたにもかかわらず、ただひたすらに、再び新政権の下で、何としてでも外交官の仕事にありつけないか、そのことだけが彼の関心事であった。『君主論』もただ単に、新政権に媚びるために書かれたと言って良い。自分が如何に外交官として有能であり、かつまた、フィレンツェのような小国では、如何にその外交の仕事が根本的か、そのことを示した本である。
残念なことに生涯、官職に復帰することはなく、しかしそのために、彼は次々と本を書き、著述で歴史に名前を残した。それは彼にとっては不本意なことであっただろうが、後世の我々には幸いであった。マキャヴェリというワインを飲むと、彼の不幸と、しかし我々の幸いとを感じることができる。彼の直系の子孫が後を継いでいる訳ではないが、その名前と、ブドウ畑とは、代々受け継がれて今日に至っている。
一方のモンテスキューは大貴族である。叔父から受け継いだ広大な葡萄畑を活用し、ボルドー地区のワインの品質を高めるべく、努力した。今日、ボルドー大学には、モンテスキューの名を冠したワイン法研究所があり、さらに大学内にはワイン法研究の大学院コースまである。そこから彼が如何に葡萄作りとはワイン醸造に貢献したかが伺える。
彼の政治学の要点は次の通りである。すでに中央集権的なフランスにあって、如何に地方分権が大事であるのか、そしてその仕事を自らがそうであるような、地方貴族が如何に担うべきであるのか、というのが彼の主張のひとつである。もうひとつは、中央の国王が行政権を担うが、司法については、これも地方貴族の仕事であるとして、権力の分立を主張し、さらには、イギリスに学んで、行政と立法の分離も主張した。
いずれの主張も、国王に権力の集中しつつある時代に、地方貴族の役割とその正統性を明確にしたものである。そしてその貴族の貴族としての生活を支えたのは、まさしくワインである。ヨーロッパを旅したものは、どこに行っても、延々と続くその葡萄畑に気付くであろう。日本にとって田んぼがヨーロッパにとっての葡萄畑であり、その地主が地方政治を担ったのである。モンテスキューはそのことをよく自覚していた。
もっとも、この葡萄畑は、1972年に、さる有名なワインネリーがモンテスキュー家から買い取り、現在は、その娘が後を継いでいると言われている。その程度の紆余曲折はあれ、しかし、その名は今も残って、我々の今夜の酒宴の主役となる。
マキャヴェリと言い、モンテスキューと言い、どちらも歴史に通じ、該博な知識に裏づけされて、その政治学を形成しているが、基本的な発想は単純である。自分が何ができるのかと考え、そしてそのことこそが必要なことであり、一番大事なことなのだと正当化する。実はそれこそが政治学である。
ふたつのことがここから帰結される。ひとつは、まず私も政治学者として、何をすべきかと考えたとき、自分のやれることをやるしかないということだ。
私の場合、下町の貧乏人のせがれで、10年前にたまたま大学教師の仕事にあり付いたけれども、子どもは三人いるし、親から受け継ぐ財産はないし、給料は酒と旅と書籍に費やされて、相変わらずの貧乏暮らしで、しかしそこで日々いろいろ感じることはあり、気付いたことを提案する。それが政治学者としての務めであると了解している。
もうひとつは、歴史上の人物の思想を理解するには、彼らの生活を理解しなければならないということだ。思想は生活と、そしてこれはモンテスキュー自身が説いたことだが、その思想家の住んでいた風土とも密接に関係する。
ただ、私はアメリカとドイツについては、かつて多少なりともそこに住み、自らの手でアパートを苦労して借り、毎日マーケットで買い物をし、銀行口座を開き、郵便局とも付き合い、車や自転車を走らせて町を自分自身の目で見て、たどたどしくはあってもその国の言葉を話して、そこでいくばくかの友人も持っている。子どもを地元の学校に入れ、町の住民活動にも参加している。どこに行けばおいしい飲み屋があるか、嗅覚も働く。クリスマスの賑わいや春の訪れを待ち侘びる気持ちを住民と共有している。
しかし、イタリアやフランスについては、私はただ単に旅行を経験したに過ぎず、さっとその町を通り過ぎたに過ぎない。言葉も大して知らず、現地の人との触れ合いもない。だから到底その地方の政治やその地域で生まれた哲学を理解できるとは思えない。
そこに、しかしワインがあり、私はそれを味わうことはできる。先のふたりの仕事とワインが本質的な関わりを持つように、ヨーロッパでは、風土と日常生活にワインは密接に関わり、そこから文化が生まれ、政治や哲学が出て来る。そのワインのおかげで、私はそれらを多少は理解できたと思う。
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