世界の酒 ---常に酔っていなければならない--- ボードレール
第六十回 クリスマスのパリで豚足を食らう 2013.1.1
久しぶりのパリである。しかもクリスマスの時期に来るのは初めてで、いろいろと感じることが多い。
ドイツでは、12月23日まで、クリスマスマーケットが華やかで、それが、24日の正午に、きれいに片付けられ、その日の午後から、街はひっそりとする。25日には、どこも店は開いていない。私は、この数年はいつも、ボンの知り合い(ママと呼んでいる老女)の家に泊めてもらい、24日の夜は、その家で、留学生が集まり、パーティーとなる。その後、翌日は、どこも出かけず、おとなしく、ママの家で過ごす。そういうクリスマスを、ここ数年繰り返して来た。
今年は、いろいろ事情があり、まず、クリスマスの時期は、外国に行くことはできないと思う。それについて、ここで説明する気はなく、人生いろいろだと言うしかなく、ドイツのママには、早々と、今年は行けないと書いた手紙を送っていた。先にそういう結論を出しておいて、しかし、12月になると、やはりどこか外国に出掛けたいと、強く思う。この数年、この時期にボンで過ごすことができたのは何にも増して、喜びであった。日本での夥しい雑用から解放されるために、外国に出かけることは、私の精神衛生を保つために必須である。そう考え、いろいろと計画を練っていく内に、実際に、出掛けられる状況であることも分かって来る。それで、家族には、ロンドンで働いている次女とパリで待ち合わせて、彼女の慰労をするからという口実を作って、パリに行くことにする。実際、それはその通りで、短いクリスマス休暇を取った次女と、パリで落ち合い、一緒に散歩をして、食事をする。パリは、ロンドンと違って、何を食べてもおいしいと、娘は満足する。父親が娘にしてあげられるのは、うまいものを食べさせることくらいである。しかしその後、彼女には、彼女の旅があり、私には私の旅がある。再び、孤独に戻って、さて、そこからが、旅の本領。まさにこのパリで、見ることから学んでいくつもりだ、と『マルテの手記』の中で書き記したリルケに倣って、私も、パリを見てみたい。そしてこれほどに、観光客の多いパリで、しかし、だからこそ、孤独になれると思う。
そうして、いよいよクリスマスを迎える。12月25日は、ドイツの感覚で、この日は、きっとすべての店は閉まっているに違いないと思う。どこに出かけても仕様がないし、電車だって、動いていないのではないかと思って、ホテルの部屋に、予め、ワインとチーズとオリーブの実を買って、一日、部屋で、読書と思索の一日を送ろうかと思っていたのだが、朝、ホテル近くのMontmartreに行くと、観光客がたくさんいる。カフェもレストランもお土産屋も、開くための準備をしている。ドイツとは様子が異なる。
Sacre C?ur聖堂に入ると、そこでは、10人ほどの修道女が、合唱をしている。ソプラノの声がきれいで、しばし聞き惚れる。
その後、開いたばかりのカフェに入る。すでに客はたくさんいる。それで私は、一日の計画を立て直すことにし、あらためて、今日、どう過ごすか考える。さすがにこの日は、美術館などは休みだから、通常の観光はできないが、しかし教会巡りにはできる。地図で、パリ市内の目ぼしい教会に印を付けて、順に回ることにする。
どこも教会は、この日はむしろ、いつもより、行事が充実している。私は、パイプオルガンの音色に聞き入り、ミサにも参加し、何もなければ、あとは、椅子に座って、何を思うものでもなく、雰囲気に浸っている。そうして第章の教会をいくつか見て回って、最後に、夕方の4時前、Les HallesのSt. Eustache教会に着く。そこで、壁の張り紙に、今日の5時半から、パイプオルガンのコンサートがあると書いてあるのに気付く。それで、ぜひそれを聞きたいと思い、あと1時間半、どう過ごすべきかと考えながら、一旦外に出ると、教会の隣に、Au Pied de Cochonという名前のレストランがある。「豚の足」という名前である。少々けばけばしい外観で、結構大きなもので、中を覗くと、午後4時だというのに、盛況である。つられて私も中に入る。
客は溢れかえり、店員は忙しく動いている。毎年、この日は、ボンでひっそりと過ごしていたのに、ここパリでは、こんなにも人がいる。必ずしも、観光客ばかりではなく、地元の人と思しき人も多い。皆、着飾って、夕方こんなに早い時間から、ワインを飲んでいる。
さて、店の名前の示す通りの、この店の名物である豚の足を、私は注文する。ワインは、Merlot、Cabernet Sauvignion、Cabernet Francから作られたBordeauxワインをボトルで頼む。豚の足は、日本では煮込むが、ここでは、油で揚げている。結構おいしい。ゆっくりとナイフとフォークで、皮をはぎ取り、口に運び、ゼラチン質の部分を味わう。ワインと良く合う。
そうして、1時間あまりをここで過ごし、その後、隣の教会に戻り、コンサートを聴く。なかなか良い。ほど良く良い、料理の余韻に浸り、人に囲まれて、今度は、音楽に身を委ねる。
さて、帰りは、ここから私のホテルまで、3km弱だろうか。速足で、歩く。聖なる日は、一日を大半を教会で過ごし、讃美歌の合唱に始まり、パイプオルガンのコンサートで終わる。ワインと豚足で、私はご機嫌である。鼻歌まで、出て来る。人通りをかき分け、パリ恐るべしと思う。クリスマスこそ、最も人の楽しむときである。
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