世界の酒   ---常に酔っていなければならない--- ボードレール

 

第六十一回  居酒屋で延々5時間半、居座る       2013.3.27

    

今年の卒業式は、学位交付式が終わるのが、いつもより少し遅れ、卒業生13人が、私の研究室に勢ぞろいしたのは、5時を過ぎていた。皆で写真を取り、さて、早々と居酒屋に行こうということになり、予約はしていないのだが、いつも良く出掛けて行た店に電話すると、14人が入るには少し狭いが、一部屋だけ空いているという。ただし、2時間で終わりにしてほしいと言われる。卒業生に教職員、それに父兄や在学生やOBまで集まることがあるから、今夜は相当な数の人たちが、この大学街で飲んでいるはずだ。店はどこも満員に違いない。狭い部屋で、2時間で追い出されるにしても、とにかく入れてくれるだけ、有り難い。二次会以降のことは、その時になって考えようということで、出掛けていく。

スタート時は、半分の人数しかいない。サークルの集まりに先に顔を出すという者もいるし、女子は、着物袴を、一旦は着替えなければならないから、時間が掛かる。7人でゆっくり飲み始めて、1人ずつ増えて、さて、14人が再び揃ったのは、もう、店を追い出される時刻になってから。店員に、いつ追い出されるか、恐れつつ、しかし少しずつ、注文を絶やさないでいると、8時を過ぎ、9時を過ぎても何も言われない。大きな店だから、席に余裕があるのか、あるいは、こちらは絶えず注文をしているので、良い客だと思われているのか、とにかく、二次会、三次会の場所を探して、街を放浪するのは嫌だから、店員に出て行けと言われるまでは、居座るつもりだ。

そうこうするうちに、今度は、今からサークルの飲み会の方に出かけて行くという者や、最終の特急に乗って、実家に帰らねばならないとか、地方から出て来ている親がホテルで待っているという者もいて、一人ずつ欠けて行く。一人去るたびに、全員で写真を取り、握手をし、互いに抱き合い、OB会には絶対来るから、と言って、涙ぐむ者まで現れて、卒業式の夜は、異常なまでに盛り上がる。

話は、38年後、60歳の定年になったら、皆で集まって、ドバイに行こうということになり、先生も、90を過ぎて、なお、お元気でしょうと言われ、よし、俺も行くぞと約束をし、38年後の計画を立て、これはこれでまた盛り上がる。

働きたくないと叫ぶ者、俺が一番出世するんだと言う者と、両極端がいて、さて、ラストオーダーですと、店員が言って来たのは、10時を過ぎてから。しかもまだまだ、テーブルの上に酒は残っている。それらを全部飲みほして、店を出たのは、11時過ぎ。延々5時間半の飲み会だ。

この時には、再び半分の人数に戻っていて、残った者は会計を済ませて、店を出る。路上で互いに抱擁して、そうしてそれぞれ帰路に就く。気分は高揚したままだ。

酒はこういうとき、私は、専らビールを飲む。これが一番安全だ。時々、学生が気を利かせて、先生、ワインがお好きでしょうと、言い出すのだが、それは止めてくれ、こんなところでワインなど飲めないと、私は答える。日本酒も、原則として、私は純米しか飲まないから、安酒場では、口にできない。焼酎の類も、原価率の一番低い酒を頼んで、何も店を儲けさせることはないと思う。

この日も、最初の2時間は、ビールを少しずつ啜り、しかし、その後、日本酒の好きな女子が、私の前に来て、それで私は、この学生とは良く一緒に日本酒を飲んだと、この2年間のことが思い出され、安くてまずい日本酒を一緒に飲む。さらに、ビールもまだ残っていて、テーブルの上に何時間も放置された、気の抜けたものを、日本酒と交互に飲む。

こういう飲み会も良い。いや、こういう飲み会こそ、良い。このエッセイで、私は、ドイツやベルギーのビールのことを書き、フランスやカリフォルニアのワインの話をし、日本各地の銘酒の名前を挙げてきたが、そしてそれらは、本当においしいと思って、エッセイを書き始めたのだが、ぬるくなったビールを呷り、何の銘柄か分からない日本酒を甞めて、そして肴は、ジャガイモだの、鶏だの、専ら学生が食べるのを眺めて、しかし、こういう飲み会こそ、楽しいと思う。
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